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無垢なほど人は正常に狂いゆく
作:椎名 奎



八頁『彼女への代償は美しい意味でヒトを殺すボク』


 中学二年に進級しても何も起こらないと、だんだん僕の中に疑いが生まれてきた。
 柴田智明は、本当に僕らを殺しにくるのだろうか、と。
 盗聴器から聞こえてくる奴の生活に、なんら怪しい気配はない。それどころか、週末にフランス料理を食べに行こうなどと、僕とは違って楽しそうだ。葉書の宛名は確かに柴田智明で、一行きりの文面は『いずれそちらに伺います』と、殺害予告めいた内容だ。もしかして柴田保智明という同姓同名の奴が、間違って僕の家に葉書を送ってしまったのだろうか。
 時の経過が起こす魔法にかかったみたいに僕の緊張は薄らぎ、神経質に警戒することも、盗聴する時間も短くなった。僕はしばらく様子を見ようと思ったけど、外見は普通の生活に戻りつつあった。


 盗聴器に変化が訪れたのは、中学二年の冬の半ばだった。
 季衣が寝転んで漫画を読んでいて、僕はいつも通り勉強机に座って、音楽を聴く振りをしてイヤホンで盗聴していた。
 柴田家に男がやってきて、玄関らしき所で柴田智明が対応している。会話の内容は小さくて聞こえないが、声の調子から知らない相手らしいと分る。夜の八時に訪問販売か、などと思っていると、やがて男は部屋に上がり込んで、うろうろと歩きまわりだした。物を動かす音がしばらく聞こえ、次にマイクを叩いた音がしたかと思うと、突然ぷっつりと聞こえなくなった。
 僕は電池が切れたのかと思って、機械のオンとオフを繰り返す。けどイヤホンからはどんな音も拾わず、しんと静まり返るばかりだった。
「まさか……!?」
 盗聴してるのがバレたのか、という言葉は寸前で飲み込んだ。
「どうしたの?」
 季衣が本から顔を出して、目を丸くする。
「教室にノートを忘れてきたのを思い出した」
 僕は苦しい嘘をつくと、僅かに笑みを浮かべた。季衣に僕の嘘は通じないと分っていたけど、それが精一杯の正常な僕だった。
 それからも盗聴器は、なにも聞こえなかった。闇の業者によると、ソケットからだから半永久的に盗聴し続けるらしいから、きっと夜に訪れたあの男が、盗聴器を発見して外したのだろう。
 一体何者なんだ?
 柴田智明の仲間なのか?
 だとしたら、いっそう僕らを警戒して、保留にしていたあの殺害予告を実行に移すかもしれない。
 僕は以前にも増して神経質になり、もう隠す余裕すらなくなっていた。授業は耳に入らないし、点数は下がるし、普段話もしない担任から「どうかしたのか」と心配された。
 そしてとうとう、僕は事件を起こしてしまった。ハイエナのように苛めの対象を探す奴と、些細な言い争いで椅子を投げてしまったのだ。そいつは運良く椅子を避けた。けど後ろの窓に直撃して割れた破片は、運悪くそいつの顔に刺さった。
 最初は普通に、いってーと言ったけど、自分の顔に破片が刺さってるのに気付くと、妙な甲高い声で叫びだした。そうして何を思ったか、顔に刺さった破片を自分で抜き取り、吹きだした血が壁や机や黒板にまで飛び散った。
 クラスの女子は悲鳴をあげ、男子は、うわやべーとか、こいつ死ぬんじゃねーのとか、他人事のようにそれぞれ感想を言いあっていた。
 顔から流れる黒い血を、そいつは震える手で押さえる。唇は真っ青で、目は泳ぎ、まるで死人のように助けを求めず、意味もなくゆらゆらと揺れながら立っていた。正常な人間の行動ではない。それらを静観する加害者である僕の方が異常な気がするが。
 少し冷静な奴が先生を呼びに教室を飛び出した。僕はというと、先生がくるまで特にすることもなかったから、その間、窓の外に消えた椅子を探すために、窓越しから外を眺めてた。

 頬から顎にかけて10針縫ったけど、警察に被害届はださないようだ。
 担任からそう伝えられたお父さんが、僕に説明した。当人たちの知らない間に、示談が成立したようだ。怪我をした奴の親が騒がなかったのは、世間の評判を気にする職業だからだろう。息子の悪事は僕の比ではないので。
 僕はてっきり、お父さんに怒られると思ってたのに、なにかあったのかと心配された。きっと普段の僕が温厚だからだ。いくら温厚でも、殺される恐怖が身近に迫ったらのんびり構えてなんかいられないけど。
 僕は、思春期だからとか、今から高校の受験で頭が一杯だからとか、適当にごまかして部屋へ逃げた。頭の中の映像で、平気な顔をしていられなかった。

 顔を血に染めたあいつが死人みたいに立っている。
 赤とは正反対な白い目で、じっと僕を睨みつけている。
 頬を押さえる手がもそもそ動き、傷の辺りに指先が這う。
 詰まった何かをほじくるように、指が傷の中を弄りだす。
 痒いんだ、とそいつはぽつりと呟いた。
 そうしてゆっくりと、次第に激しく指が動く。
 気味の悪い音をたてて、五本の指が傷の中をかき回してる。

 僕の後を追うように、季衣が部屋に入ってきた。無言で僕の背中を抱きしめて、顔を埋めてくる。
「お兄ちゃん、可哀想……」
 くぐもった声が、服越しの背中を熱くする。
 僕はなにも答えず、暗闇で立ち尽くしながら、思考がひとつの方向へ集まるのを感じていた。けどそのときは、まだ決断には至っていなかった。


 決め手になったのは、正月休みの部屋でぼうっと勉強机に座っていた僕に、慌ただしい継母さんからの知らせだった。
「季衣ちゃんが車に轢かれて病院に運ばれたって」
 僕は初めて目の前が白くなる体験をした。家から病院までの記憶が全くなく、どういう手段できたかも覚えていない。ただ、酷く恐ろしい想像をしていた気はする。多分、考えたくもない、最悪な想像だ。
 病室に入るなり、ベッドに座った季衣が顔を明るくさせた。頭と差し出された右手に、痛々しい包帯を巻いている。でも本人は至って元気で、怪我も大したことはなかった。
「元気そうで良かった。頭痛くないか?どこで怪我させられた?運転手は警察に捕まったのか?どんな奴か分かるか?名前は聞いたか?」
 僕は笑顔で矢継ぎ早に質問する。
 その質問に、季衣は全て答える。
「うん、平気。信号のない道路で、あたしの不注意だった。名前は知らないけど、若い女の人。あたしに御免なさいって謝ってから、警察の人についていったよ」
 季衣は打撲した頭の詳しい検査と様子をみるために、三日間入院することになった。

 僕は、継母さんが運転する車中で考えを巡らせ、家に帰った後も、部屋で考えを巡らせた。
 季衣に怪我を追わせた女は、柴田智明の仲間なのか?
 だとすると、とうとう行動にでたということか。
 手始めに一番簡単な季衣を狙ったというのか。
 狙う、と僕は今言ったか。
 季衣を殺すって?
 殺すって?
 殺す。
 ころす。
 コロス。
 ころス。
 ころろ。
 ろおお。
 おおお。
 おおお。
 おおお。
 

 刺して、裂いて、縫って、また刺して、裂いて、縫って、それの繰り返し、繰り返し……。
 逃げられず、避けられず、抵抗もできずに、風に揺れ、高らかに笑いながら揺れ、奴らは踊るよ、踊りながら歌うよ。
 僕の大切なものを、自分と同じようにしてやろうと、陽気に、楽しそうに、合唱するよ。


 ダカラネ、

 僕ハ、

 柴田智明ヲ、

 殺ソウト、

 決メタンダヨ。













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