二頁『小学四年の春僕はあの言葉の意味を理解した』
僕が学校に通うようになる前に、家族に変化があった。
お父さんが同じ会社の人と再婚して、僕に四つ下の妹の季衣ができた。お婆ちゃんは段差でつまずいて足を悪くしたけど、どんなに痛くても、ガーデニングの手入れだけは続けていた。
お父さんは相変わらず日付をまたいでの帰宅だったけど、少し家族に興味がでたのか、前よりも会話をするようになった。
僕は季衣と一緒の部屋で寝起きするようになり、苦手な朝もお婆ちゃんではなく、継母さんの声で起こされるようになった。
学校での僕は、控えめながらも、まあ優秀な方だった。クラスの人気者には縁遠い集団の一人ではあったけど、いじめられる部類ではない。友達も何人かいたし、先生も嫌いではなかったから、学校生活に不満はなかった。
継母さんと季衣が加わっただけで、僕とお婆ちゃんだけの食卓が淋しいと思えるくらい、家は賑やかになった。
そうして、僕の僅かな一般的生活は、穏やかに緩やかに消費し続けた。
けど、そういった日は、時に、あまり長く続かないものだ。
ある日の夜、僕はいつかのように、怖い夢を見て跳ね起きた。刃物を手にした男が、僕の名前を呼びながら廊下を突き進んでくる夢だ。息遣いを感じるほど、色も音も生々しい。そこへ季衣が帰ってきて、ターゲットが僕から妹へと替わり……。
けど実際は、季衣は僕の隣でぐっすり寝ている。お菓子を食べる夢でも見ているのか、頬にえくぼが浮かんだ。僕は季衣の柔らかい頬に触れると、呪縛が解けたように、ほっと息をついた。
汗をかいたせいか、喉の渇きを覚えて、起こさないようにそっと階下の台所へ向かった。知った間取りの、白と黒の廊下を歩き、物置部屋の前を通り過ぎようとしたときだった。
扉の向こうから、またあの声が聞こえた。
内緒話をひそひそと、男女の区別さえつかない、句読点のない呪文。
僕は一瞬にして、夢と片付けたあの記憶を呼び起こした。全く同じ現象、あれは夢ではなかったのだ。
僕はあのときと同じように、扉に耳を押し当てる。
違うとすれば、僕はもう、意味をちゃんと理解できる年齢だった。
「……コロセ、コロセ、シバタトモアキヲ、コロセ、サバキノハモノデ、シバタトモアキヲ、チマツリニアゲテ、セキノネンノウラミヲ、ハラスノダ……」
呪文ではない。身体が震える。怨念を抱く誰かが、中に居る。
僕の脳裏に、最初に疑った人が浮かんだ。まさかと否定する反面、僕は足を忍ばせて台所の影に潜んだ。物置部屋から出てくる誰かを、見届けようと思った。
冷蔵庫のモータ音が静寂を切り裂く。
うるさい耳鳴りが脳を攻撃し、僕は目をきつく瞑った。
瞼の裏に、優しい笑みと最悪の夢が蘇る。
その人でないように祈りながらも、その人であって欲しいと、矛盾した願望を抱く。
軋んだ音を立てて、扉が開いた。
心臓の位置が分かるほど、鼓動が早い。
僕は唾を飲み込んで、そっと確認した。
そこには、包丁をだらりと下げた、平素と変わらない姿のお婆ちゃんが、立っていた。 |