第九章 成長する男
ロザリアの起業した菓子製造とその販売を行う企業体を「会社」にしたのは、クラウスの提案だった。
このオルトと言う世界には、近代的な社会保険制度も無く法人法も存在しないが、クラウスは会社の組織や運営方法、資本金など会社の基本的なルールを「定款」に纏め、帝国の公証人役場に登録して公の認証を受け、国際ギルドにも発起人・役員・商標・商号・本店所在地・事業目的・資本金額をきっちり登録した。
個人的な商店では帝国中に事業を展開する上で資金的にも人材的にも限界が有る。会社組織にすればより多くの人材と資金を集め易いのではないかと期待しての事であったが、法的な手続きを経て、国家の認証とギルドの会員証を掲げて商売をしたおかげで、社会的な信頼度は高まり、人材の採用もしやすくなった。
公爵家の姫君や騎士が銭金の心配をし、帳簿をつけ、物を売り買いするなど如何な物か、と言った苦言を呈する向きもあったが、領内に新しい産業を興し、人々の暮らしを豊かにするために必要な事と言うクラウスの信念は固かった。
乳母のイネスは初参内以降、幾度かロザリアの供をしたが「宮中に渦巻く邪悪な気」に中てられて体調を崩し、国許へ静養に戻る事になり、事実上引退していた。魔力が全く無いものは、気に中る事も無いのだが、干渉してくる力を防御する術も無いのに感応する微小な魔力だけが残っていると、イネスのような状態になってしまう。元来は、クラウスもイネスと大差ない能力しか発揮できなかったが、ロザリアが異界の魔術でクラウスの気性になじみやすい物を選び出した中から、少しずつ修行して身につける内、予想もしなかったハイレベルの防御魔法を手に入れた。
ロザリアの魔法の教え方は風変わりであった。
「このやり方ではクラウス一人にしか教えられないけれど」と言いながら、いつもロザリアは目をつぶって床や地面に座ったクラウスの頭をそっと抱きかかえる。そして「色の無い輝く大きな玉を思い浮かべて」と耳元でささやくのだ。すると、クラウスの脳裏にきらめく色の無い巨大な宝玉が鮮明に思い浮かぶ。
「思い浮かんだわね。ならば、今から押し寄せて来る汚れた気・邪悪な気を呪文とともに掻き消すわよ。イレイズ!」すると、立ちこめて来ていた黒い気配が一度に消滅した。
「イレイズ、消滅の呪文よ。さあ、クラウス、今度は自分の口で言ってみて頂戴」
次に、また黒い気配が漂ってきた。
「イレイズ」
「先ほどの消滅の瞬間をもっと鮮明に頭に描いて、もう一度」
「イレイズ!」
「まあ、今度はうまく行ったわ」確かに気配は消えていた。
すると、次の段階は手近な場所で黒い気配を感じる墓地や邸に続く森に出かけて行って、自分の体が「色の無い輝く大きな玉」にすっぽり入り込んでいる様子を思い浮かべさせ、「イレイズ」するのだった。
幾度か繰返す内にロザリアに見せられたヴィジョンを思い浮かべるのと呪文を唱えるタイミングが、かみ合うようになって来る。ここまでくれば、後はクラウス一人で練習を積めば良い。
玉の中に、自分を納めるイメージのほか、ロザリアを納める様子を思い浮かべたり、自分とロザリア二人を納める様子に切り替えたり、応用もしてみる。こうして「イレイズ」は都合10日ほどで完全に習得できた。
クラウスは、こうしてロザリアの手ほどきを受け、防御魔法と治癒魔法を体得した。修行の過程で小さな魔物や悪霊から受けた攻撃を模倣して応用した攻撃魔法も自分のものにしていった。
「クラウスの魂のありようが、色の無い輝く大きな玉そのものだからこうして教える事ができるが」他のものではこうした教え方も出来ないし、ロザリアの描くヴィジョンを体に触れる事で感じ取る事が可能な人間など、「クラウスしか知らない」とロザリアは言うのだった。
全く魔力の無い庭師が、剪定作業をしていた高い木の上から、二人の魔法の練習の様子を見て、
「姫様はクラウス様がお好きなんだろうな。まあ、稀に見る好い男だし何より姫様一筋だからなあ。あれまあ、あんな風に愛しげに頭を胸元に抱きかかえて何事か囁いておいでだ。いやあ、お熱い事だ」などと面白がっていたのは気がつかなかった。
それから数日して「いやあ、クラウス様もうらやましいやら大変やらですな!」と、酒の入った庭師に大声で呼び止められて初めて、その様子を見られていた事にクラウスは思い至ったのだった。
興味津々と言う庭師の目つきから、魔法の修行が確かに恋人同士の親密な行動に見えなくも無い事に気がついて、クラウスは赤面した。
「・・・とまあ、かような具合に面白半分の噂のネタにされてしまったようです。迂闊でした」
と、クラウスは顔を赤くしながらロザリアに事の次第を伝えると、
「魔力も殺意も無い視線まで気を配っていなかったわ。私もうっかりしてた。でもね・・・」
「でも、何ですか?」
「その庭師のおじさんの見方は正しいのかもね」
「姫様!」
「だって女神様は言われたの。触れられて構わないと思う男、嬉しいと思う男、動けないと思う男、そういう男は特別な存在で、私の運命に大きく関わるのだと」
「な、なんですって?」
「まだオムツをしていた時分から、私はクラウスに抱っこしてもらうのが大好きだった。今も触れると何だか気分が安らぐの。最近、触れられると動けないと感じる方に出合ったけれど、あれは魔力の所為かもしれないし、どう言う事なのかまだ私の中で整理がつかないの」
「それは、皇太子殿下ですか?」
「そう。大きすぎる魔力に押しつぶされそうになっている寂しい方よ」
「姫様はあの方がお好きですか?」
「あの方は私を好きだとおっしゃるけれど、どうなのかしら・・・苦しくて寂しいから、助けを求めていらっしゃるだけのようにも思うわ。あの方の瞳の奥に時々、怒り狂う銀色の龍が見えるの。今の私ではあの大きな力に食いつぶされてしまいそうで怖い」
「姫様、どうかご自分のお気持ちのままになさって下さい。怖いなら、怖く無くなるように手を尽くしてみますか?それとも一層の事逃げますか?私はどこまでも貴女にお供いたします」
「銀の龍は片割れで、金の龍がいるはずなの。その二つの龍の力が穏やかな形でこのオルトに留まるには、どうしたら良いのかしらね?」
「金の龍の力も、この世界の誰かの中に宿っているのですね?」
「女神様のお言葉はそういう意味だと思うの」
「やはり怒り狂う恐ろしい龍でしょうか?」
「そうかもしれないし、そうでは無いかもしれない。だって、金の龍と銀の龍は性質がまるで違うらしいから。私なんか片割れの龍だけでも恐ろしいのに、その二つの龍を調和させ自分の身に宿らせたという建国の祖であられた方は、どれほどの力をお持ちだったのかしら」
「姫様の重大な使命とは、龍の力の調和なのでしょうか?」
「そうなのではないかと私も思うの。でも、どうすれば良いのかわからない」
「逃げるに逃げられませんか・・・」
「たぶんね。クラウスはどう思う?」
「銀の龍が暴れだす前に、金の龍を探す事が大切かもしれませんね。同じぐらいの大きな力が二つあれば、おのずと力の均衡も生まれてくるでしょうから。そうすれば、姫様がお力を蓄える時間も出来るのではありますまいか?」
「まあ、本当ね!とても素晴らしい考えだと思うわ」
「どこで何をなさるにせよ、このクラウスをお連れ下さい。魔法も精進いたしますから」
「クラウスって不思議な人ね」
「不思議ですか?」
「だって、年を追うごとに、確実に強く賢く頼りがいの有る人になって行くのだから。出合った頃は、ただ真面目で優しいお兄さんと言う感じだったのにね」
「私はただ、姫様をお守りしたい、いつもそれだけなのです」
ロザリアはいつしかごく自然にクラウスに抱き上げられていた。初めて抱っこされた頃よりずっと背が高くなり、胸板も厚くなっている。かつての優しく清らかな少年の面差しは逞しく決意を秘めた男の顔になっていた。近頃クラウスは幾人もの女から文や贈り物を送られるようだったが「自分は姫様をお守りする騎士だからお受けできない」と言って、全て断っているらしい。近頃ふとしたきっかけでそのことを知って、ロザリアは嬉しかった。嬉しい。なぜ嬉しいのかしら・・・。
いつも心地よく気持ちが安らぐクラウスの腕の中に比べて、あの赤い瞳の皇太子の腕の中は苦しく切なく、そして痺れる様な甘い気だるさを感じさせる。
ずっとクラウスと一緒に居たいけれど、あの皇太子を見捨てて良いとは思えない。
銀の龍に相対する金の龍・・・金の龍を宿した人間との出会いはいつの事になるのか?
そして自分の運命はどのように変化するのだろう?
化け物じみた龍の力に飲み込まれそうな少年と、奇妙な魂と運命を与えられた自分、そしてまだ見ぬ金の龍。
そんな厄介ごとの中に、クラウスのような善良な魂の持ち主を引きずり込んだのは、ほかならぬロザリア自身だった。
「クラウス、ごめんね」
「何をおっしゃいますか」
「次々と厄介な事にクラウスを引きずり込んで、本当にすまないと思ってるの」
「別に姫様の所為では有りません。お気になさいますな」
「あの日、あの時、私がクラウスに抱っこをせがまなかったら、クラウスは誰か優しい人と結婚して、平和に楽しく暮らしていたかもしれないのに」
「今の立場に私を置いて下さったのは姫様ご自身です。姫様がご自身で私を選んで下さった、その事がどれ程私にとって大切か、お分かりですか?」
「全部はわかってないかも。まだ私は七歳だから」
「ふふふっ・・・そうですね。だからこうしてまだ抱っこして差し上げる事ができますから。あと数年すればこんな事も出来ません」
「クラウス・・・ずっと傍にいてね」
「勿論です。もっと強くなって、いつも姫様をお助けできる男で居たいものです」
そう答えたクラウスの顔が、男らしくて綺麗だとロザリアは思うのだった。
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