第四十九章 ロザリア・十歳
七歳でキタイに来てから瞬く間に年月は過ぎ、ロザリアは十歳になった。
その間に幼いポールの守役となったクラウスを助け、共にポールの生母・ハリカの作った朝霧楼の建て直しを成功させた。ハリカの弟以下指導を受けたメンバーで、二人のサポートが無くても危なげなく店の運営ができるようになり、かねてからのマークとの申し合わせどおり、二人はもうすぐ三歳になるポールを連れて、都であるブルサのエスコバル公爵邸に戻った。
それ以降は、クシャダスの生活改善事業や調理師専門学校の事もあって、ロザリアもクラウスも大忙しだった。
近頃はロザリアの生来の美少女ぶりに更に磨きがかかり「後数年で空恐ろしい程の美女になる」とキタイの宮廷でも言われているが、王にまで認められた婚約者であるクラウスが普段から近衛師団の連中の剣の相手をしていて、聖剣の主で剣豪である事も広く知られている。
本当はロザリアに誘いをかけたいとは思っていても「眼の保養だけで済ませるしかない」と諦めて居る男は実に多いのだった。
クラウスはそうした視線の一つ一つに一瞥をくれるのだが、その破壊的な攻撃力は男達を震え上がらせるのに十分だった。そのくせいつも行動を共にしているロザリアは、一向に無頓着なのだった。又、そのようで居られるようにクラウスが万全の注意を払っているのでもあったが。
それでも、主君であり恩人でも保護者でも有るマークの場合は、ロザリアに時折ぶしつけな視線を向けてもクラウスなりに自制して、睨み返したりはしない。そのようにしなくても、マークにはクラウスの不愉快な感情は手に取るようにわかってしまう。
「ゴメンよ、クラウス君」と毎回、口にして謝られてしまうのも、決まりが悪い。
マークはハリカの死後、すぐにイゼル王女との結婚を国民に広く披露して多くの祝福を受けた。
だが、それから一年もたたない内にイゼル王女はファティマ姫を産んで、すぐ亡くなってしまった。
ファジル王にとって唯一の子供であったイゼル王女の死後、王位の第一継承権は幼いファティマ姫のものとなった。ファティマ姫の父でファジル王の甥であるエスコバル公爵つまりマークに、次の王になって欲しいと願う貴族も多かったが「自分はあくまで摂政の立場を貫く」と言うマーク自身の強い希望は、そのまま通りそうだった。
「いずれ、マルクは帝位を継ぐのだろうしな」というファジル王の昔からの持論は、近頃はますます現実味を帯びてきた。隣国である帝国の状況は、幾ら皇太子ユーグが魔法で不都合な実態を隠そうとしても、時折喀血すること、顔色がますます以前より悪くなった事などは、帝国を訪れる商人の噂や外交官達の報告で明らかだった。無論、そんな報告が無くても金の龍の話でマークは逐一承知してはいたのだが……。
「エスコバル公爵は実は先帝陛下の第一皇子らしい」「聖剣『ジルニトラ』の主であるエスコバル公爵こそ正当な皇位継承権を持つ」と言う噂を利用して、マークは帝国の貴族の切り崩しを図った。
かなりの帝国の貴族が亡きギュルバハル皇后の悲劇を記憶しており、今の状況を苦々しく思っているのは確かだった。
本来なら皇太子ユーグの生母の実家と言う姻戚関係で権力を得るべきレオンハート家が、ただ一人の姫君であるロザリアをキタイに居るエスコバル公爵に委ねたという事実も、驚きと共にある種の共感を持って受け止められている。
「レオンハートが見放すとは、やはり、ユーグ殿下は狂っておられるという事だな」
口にはしないが、そのようにユーグを見る者は着実に帝国内で増えている。
銀の龍の力を暴走させた「爆殺」事件については魔法の力の所為で詳細に思い返す事は不可能でも、女神の封印を目論んでいるらしいと言う噂や、時折垣間見せる過剰なまでの残虐性は、心有る者を離反させるのに十分な材料であった。
名ばかりの現皇帝ファーン・ド・オルテスは、もはや思考能力を完全に無くし、人語を理解する事すら不可能になったという事実も、かなり知られるようになっている。普通なら退位して皇太子に帝位を継承させるべきだが、帝国内には皇帝の剣である『ジルニトラ』が無いので大神殿における皇位継承の儀式を執り行う事ができないと言う噂も、オルト中の神官を中心に相当広がっていた。
昨年のようにブルサ中の神官連中が大挙して宮中のマークの元を訪れて、
「一日も早く聖剣『ジルニトラ』を掲げて、帝国の首都オルテスにお入りになり帝位をお継ぎあそばすべきです」と申し入れると言う事件まで起きている。
そのような事をすれば皇太子ユーグとの争いは避けられず、下手をするとオルト中を巻き込んだ大戦争を引き起こしかねない。避けられる戦争は避けるのが上策で、自分の寿命は限りなく長いのに対し、ユーグは酷く健康を損ねているので先は短い。あせる必要は無い……そのようにマークは神官達に言い聞かせ下がらせた。
「ユーグは酷く健康を損ねているので先は短い」とマークが公の場で公言した事が引き金になって、各国は様々なやり方で帝国に探りを入れるようになった。ユーグが弱った体に銀の龍の力を受け入れて行う眼くらましだけでは、覆い隠せない事実が次々明らかになって来ている。
「僕が特に軍事的な行動を起こさなくても、回りが勝手に騒いで、ユーグをじわじわ追い詰めている感じだね。戦闘はなるべく避けたい。悪くはない手だろう?」
含み笑いをもらすマークの顔は、結構悪人面だとロザリアもクラウスも思った。
「おいおい、僕がそんなに悪人面か?」
近頃はポールの養育や仕事の件で、互いに連絡を密にする必要を感じていたので、心話をブロックする腕輪を使う事は稀だった。だが、こんな風に頭にチラッと浮かんだ事まで全て丸わかりというのは、なかなかに決まりが悪い。そうだとも言いかねて、ロザリアとクラウスは顔を見合わせる。
「僕は近頃は誰とも親密に愛し合う事もできない寂しい身の上だから、謀をめぐらすぐらいしか気晴らしも無いのさ」
国家の一大事を「気晴らし」とは何とも感心しないが、マークには今、愛情を傾ける女性が居ないのは確かだし、マークが流血の惨事を可能な限り避けようと真面目に考えているのも確かなので非難できない。
「なあ、ロザリアちゃんは、そろそろ始まるんじゃないの?月の物。そんな気がするんだけどさ」
たとえマークであっても、そんな話題を口にされるのは愉快ではないクラウスだった。しかしその理由もまんざらわからないわけでもないので、冷静に答える。
「おっしゃるとおりのような気がします」
ロザリアはロザリアで、男二人に自分の一身上の事をこんな風に話題にされて、恥ずかしかった。
「ああ、ゴメンよ、ロザリアちゃん。でもね、個人的な事のようであってそうでも無いんだ。いつ僕の番が出現するか、いつ二人が帝国に戻るかと言った重要事項に直結するんだよ」
番の件は二人とも承知していたが、帝国に戻る時期と関係しているとは考えていなかったので意外に思った。
「いずれ又、細かく話をつめることになるだろう」
そうマークに言い渡されて、狐につままれたような気分で、二人は宮中を下がり、エスコバル公爵邸に戻った。近頃マークは七日に一度程度のペースでしか邸には戻らず、宮中に居る事が多い。娘を失った王を慰め、幼いファティマ姫の安全を図るためもあったが、何かそれ以外の事情も有りそうだった。
幼いポールの乳母は引き続きハリカの妹が勤めていたが、貴族としてのたしなみや立ち居振る舞いなどを仕込むのは、守役を任じられたクラウスとロザリアの役目で、食事のマナーが楽しく自然に身につくように、夕食はいつもロザリアが心を砕いた献立を用意していた。
美味しく夕食を食べ、日課の絵本の読み聞かせが終わると、ロザリアとクラウスはようやく自室に戻った。
二人で久しぶりにゆっくりと入浴した直後、「あらっ」という狼狽したロザリアの声で、クラウスは異変を知った。
「あんな風に殿下がおっしゃったのは、虫の知らせでもありましたかね」
待ちかねていた月の物の始まりだった。
クラウスはいそいそという感じで、ロザリアの手当てをした。
「ねえ……クラウス……月の物が終わったら…」
「まだ、早いです。早すぎますよ。あせらなくって良いんです」
幾らなんでも、十歳で男女の契りを交わすのは早いだろうとクラウスは思う。
「明日は偶々休日でよかったですね」
二人はいつものように寄り添いあって、穏やかな眠りに着いた。
オルトに七日ごとの休日の慣習を根付かせたのはマークだが、ロザリアもクラウスも大いに恩恵をこうむっている。ゆったりと朝の時間を気にせず二人の時間を持つことができるのだ。いつもならとっくの昔に身支度を整えなければいけないが、休日の朝は二人そろってまだ寝床に居た。
「頭は痛かったりしませんか?」
「頭は大丈夫だけど……」
クラウスが大きな手で包み込むように後ろから腰から下腹にかけて摩ると、ロザリアの口から溜め息が零れる。
「冷やさないように用心しなくてはいけませんね」
「摩ってもらうと、痛みが引くみたい」
「これから、毎月これがあると思うと、心配になります」
「女の人はみんなそうなのだから、心配し過ぎなくても良いのじゃない?」
「本来なら母君がお祝いを用意して下さったでしょうに……」
「クラウスが居てくれるから、平気よ。お母様には内緒だけれど」
「そうですね、色々と内緒の事が増えてしまって、申し訳ない気もするんですよ。時々」
クラウスはロザリアの耳朶を軽く噛んでから、首筋にキスを落とした。
「どうして?お父様もお母様もクラウスと私が結婚するんだと認めていらっしゃったから、何も申し訳ないことなんて、無いわ」
「でも、随分前からこんな風に貴女にキスもしてますし、他にも色々してますからね」
それでも、全然かまわないのに……とロザリアは思っている。
恐らく、父も母も銀の龍の魔法で自分がクラウスとの結婚を認めた事を綺麗さっぱり忘れている。それを思い出させるのも、そして自分に魔法をかけられた時に真実を思い出すためにも、クラウスとの強い絆が大切なのだから。
「そうですね。帝国内部は銀の龍の魔法で覆われているでしょうし、戻る時は大変でしょうね。私にはなぜかあの魔法は効き目が無いのですが、ロザリアには多少なりとも効くかもしれません。私との関係も忘れさせようとする可能性は高いのでしょう。でもね、ロザリア」
クラウスはロザリアをしっかり抱きしめて言った。
「貴女の記憶は必ずや私が取り戻します」
ロザリアは自分をしっかりと受け止める逞しく広い胸に身を委ねて、頷いた。
【恋愛遊牧民R+】
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