第四章 母の気懸かり
生まれたときから、二つの魂を持つ娘、それをどう受け止めるべきなのだろう。
本来の娘の魂は母の命と共に儚く消え去る定めであったらしいが、
どうにか異世界の若くは無い女の魂の力で、消滅する事を免れたのだ。
四歳頃まで、ロザリアはエスターに「他の人には絶対ナイショですよ」と言いつつ、「キョウコ」と言う異界の婦人について語ってくれた。それによると、三人の成長した子供の母で、学問を7歳から二十二歳頃までおさめ、アイキドウとケンドウと言う武術の心得があり、料理が得意な人なのだという。その人「キョウコ」がロザリアの中にいて、異界の風変わりな魔法や目新しい知識を夢を通じて教えてくれるらしい。
「私が本当の意味で大人になったとき、キョウコ様は私の魂と一つになられて、今のように夢の中でお話しする事はなくなるのだそうです。何だかそれは寂しいのですけれど、仕方がないことのようです」
その、キョウコは黒い目黒い髪の人がたくさんいる国の人であるらしい。
そう言えば、エスターは出産の時、夢の中でキョウコと思われる姿かたちの婦人に『お助けします、しっかりなさい』と言われたように思う。
その人の智恵や知識が、ロザリアの中に眠っているのだろうか?エスターの魔力は微々たる物だが、ロザリアに眠る強い力を感じ取れる能力は有った。この世界の魔力とはどこか違っている。でも強い。
それが何を意味するのか、エスターには見当がつかなかった。
自分自身が腹を痛めた娘は、ロザリア一人きりなのであるから、他の子供とどこがどう違うのか、細かなことまでわかるわけではない。それでも、誰が見ても風変わりな娘との付き合いは、エスターを思いもよらぬ運命に導くようであった。それは空恐ろしくも有り、楽しみでもあった。
ロザリアの並み外れた力は、まず言語能力に現れた。
なんと、生後わずか半年で「だっこ」とはっきり口にしたのだ。
ベビーベッドを覗き込むと、じっと、エスターの目を見つめて、小さな紅葉のような手をひらひらさせる。
「だっこするの?」
「はい」
「はい」と返事する生後6ヶ月の赤ん坊の話など、聞いたことが無い。
エスターが抱っこすると、「お外」と言う。外へ出たいと言う事らしい。
「お外は少し寒いわよ」と言うと、「お花」「お花」としきりに言う。
窓の外を指差す先には、白い梅が三分ほど咲いていた。
「お部屋から見ましょう」と言っても、「お庭」「お外」と繰り返す。
「じゃあ、ちゃんと温かい格好をして、お花を見に行きましょうね」
そういって一度おろして、おくるみに包んでやると、その間はにっこりして大人しい。
エスターもショールを羽織って、改めてロザリアをしっかり抱きかかえ、庭に出てロザリアが納得するまで、花を見せてやるのだった。
希望をすっかり叶えると、実に可愛い表情で「ありがとう」と言う。
それから毎日、エスターだけでなく、乳母や小間使い、執事に執事見習い、掃除のメイドや庭師に至るまで、ロザリアは盛んに話しかけ、抱っこしてもらって、自分の見たいものを見せてもらったり、屋敷の中を探検したりするのだった。乳母や執事はともかく、新入りのメイドや庭師に抱っこさせるのは無用心極まりないと父も執事も心配したが、いつも安全に移動し、目的をちゃんと果たしていて、ヨチヨチ歩けるようになる頃には邸の中で見ていない所は無く、邸に仕える人間全てと顔見知りと言う状態になっていた。
「ウチの姫様は、本当に凄いぜ。樹の刈り込みの手順を説明して差し上げたら、『じゃああれは、本当は間違いなの?』っと、新入りのハンスがやっている刈り込み作業を指差されるんだもんな。確かに、あいつ、一つ手順をすっとばかしてイヤがった。思わず叱ろうとしたら、『お願い、怒らないでね?ハンスは咳をしてるし、元気が無いように見えるの』とおっしゃる。ハンスの額を触ると、熱が高くて慌てて医者に見せたよ」
庭師のマルクは酒を飲むたび、その驚きを語るのだった。
庭以外にも、厩に行けば馬の世話の仕方や体調管理、調理場に行けば火の起こし方に始まって、パンの焼き方やシチューの作り方を、その係りのものに熱心に質問して学ぶと言った具合だった。
厩舎長は「姫様なら皇帝陛下のお馬の世話も立派に出来るようになる」と言い、料理長は「皇帝陛下の召し上がり物だって立派におつくりになるに違いない」と褒めるのである。
主人の娘だから、多少は世辞が入っているとしても、わずか5歳かそこらで邸中の人間の仕事の内容を深く理解出来ているのは確かだった。
エスターは、この好奇心旺盛で何でもやってしまう娘も、そろそろ貴族の娘としてのたしなみを仕込まなくては困ったことになるかもしれないと思い、夫に相談したのだが、夫は「ロザリアのやりたいようにさせてやればよかろう。どうやら既に文字の読み書きは出来てしまうようだし、あまり急ぐことも無いのではないか?」と言った。
「エスター、お前がこう考えていると言う事を、直接ロザリアに伝えたほうが良いのではないか?私はロザリアは好奇心が旺盛だから、案外お前が身につけて欲しいと思っている『貴族の嗜み』にも興味を示してくれるような気がするよ」
その夫の助言に従い、エスターはロザリアに自分の考えを伝えた。
「やはりお前は公爵家の一人娘ですから、貴族らしい気品有る立ち居振る舞いをしなくてはいけませんし、楽器の一つも弾けた方が良いし、大きな舞踏会でも気後れせずダンスが出来るほうがよいですね。そうは言ってもお母様は舞踏会は苦手ですけれどね。でも、大きくなればそれなりのお付き合いは必要です。宮中で高貴なご身分の方々にお会いしたり、皇帝陛下の御用を務めたりするかもしれません。何より、お前にふさわしい身分の貴族か皇族の方を婿としてこの家に迎える事なるかもしれないし・・・」
「お母様、マナーが完璧でダンスが出来て、何か楽器が弾ければ良いのでしょうか?」
「最低それだけは、と思うわ」
「では、それもやることとして、私は学問がしたいのです。それに、武術も学びたい」
「女の子がそんなことまで・・・」
「レオンハート領内の皆さんは、まだまだ貧しいです。ご苦労が多いのです。自然の恵みをもっと生かせる方法が本当はあると思うんです。そうすれば皆さんの新しい仕事が出来て、遠くの街まで条件のよくない出稼ぎに行く必要もなくなります。だから、いずれは農業と畜産について学ばせてください。そんな学校があれば行きたいのですが、この帝国にはないそうですね。キタイ王国には立派な学校があるそうです。」
「外国にやるのは少なくとも今は無理でしょう。まずは、最低限、公爵家の跡取り娘として、必要な事柄だけでも身につけてください。お父様に無理なことをお願いしたいなら、尚更です」
「本当はダンスもマナーも、これからの私には大して役に立たない気もしますが、お母様のご心配はわかりました。でも、学問と武術は絶対必要だと思います。立派な方に婿に来ていただくためには、その方のお話やお考えがきちんとわかり、時には御相談相手も勤まるようではなくてはいけないのではないでしょうか?それに何か一大事があったとき自分の身も守れないようでは、領国も守れませんでしょう?」
エスターは、幼い娘が自分をふがいない母だと感じているのかも知れないと、思い至った。
「それはそうなのかもしれません。私では確かに、お父様の御相談相手も出来ず、政治向きのお話や領国のやりくりも出来ませんから」
エスターは段々我が身が情けなくなってきた。
「ご、ごめんなさい」
「いいえ、本当のことですものね」
わずか5歳の娘は、母親の気持ちを傷つけたことを、ひどく気にしている様だった。
「お母様、泣かないで、ごめんなさい、ちゃんとダンスもマナーも楽器もがんばります。でも・・・」
「学問と武術ですね。わかりました、お前の気がすむようにやってみなさい、でも、留学はダメですよ」
「はい、ありがとうございます」
そういって、ロザリアはエスターの腕に飛び込んできた。
「お母様、泣かないで、きっとロザリアが守って差し上げます。守れるようにがんばります」
わずか五歳の娘にこんな風に言われてしまう自分は、母としては落第かもしれないと、
苦笑しながらも、その癖の無い美しい黒髪を撫でてやるのだった。
だが、ロザリアにとって学問と武術がどれ程必要であるか、エスターはこの当時はまるで理解できていなかったのだ。領国の建て直しにロザリアが腕を振るい、自らのアイデアを生かして帝国一の女商人となるに及んで、なぜロザリアが学問と武術にこだわったのか、ようやくその重要性を悟ったのである。
もはや、母としてこの子に教えてやれることなど何もないかと思っていたが・・・
意外や意外、自分の出番は、むしろこれからかもしれないと、近頃エスターは感じるようになった。
大人びて人並み外れて賢いとは言え、まだ、ロザリアは12歳なのだ。並みの貴族の姫ならば家庭教師や乳母にまだまだ色々しつけられている年頃だし、もっと身分の軽いものなら学塾に通ったり、やっと奉公を始めたりする年頃である。
時々思いつめた表情で、溜め息をついている姿を近頃は見るようになったのだが、
あれは、恋の悩みでは無かろうか?そうエスターは察しをつけてはいたが、
まだ見守っていたほうが良いような気もしていた。
相手は、誰なのだろうか?やはり、皇太子と見るべきなのだろうか?
それとも度々話題に出ていた隣国の摂政だろうか?
身近に仕えるクラウスだろうか?
その絞込みはエスターには出来て居なかった。
既に皇太子から内々に求婚されて居たとは、思いもよらなかったし、
そのためにユーグが捨て身で魔法を行使しているとは考えもつかなかった。
【恋愛遊牧民R+】
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