だんだん、話は加速してきます。一行はいよいよブルサへ!
第三十九章 クシャダスの異変
岬の神殿での一連の出来事が有ってから三日目、早馬がやって来た。
マークの元にブルサでの一大異変を知らせる報告書を持ってきたのだった。
報告書を読み進めるマークの表情は険しい。
「これは……急遽クシャダスに向かう必要が有るな」
マークは読み終えた報告書をクラウスとロザリアにも見せた。
ブルサの巨大な貧民窟クシャダスは「呪われた者の町」或いは「穢れた町」などの異名を持ち、見苦しく不潔な町並みが見渡す限り広がっているような場所だ。
建物は恐ろしく古い。
かつては宮殿の一部であったものが「神の呪い」により穢れたのだともいう。
事実、この巨大な貧民窟とブルサの王宮の直線距離は驚くほど近い。
とてつもなく分厚くて巨大な、台座のような塀と言うか壁と言うかそういったものが、神聖で祝福された場所とされる王宮と穢れた呪われた町を完全に仕切っている。
「神の呪い」と言う言葉だけが一人歩きしているが、その由来も事情も今はまるで伝わっていない。
考えてみれば、実に奇怪な話だ。
このクシャダスに生まれた者は生れ落ちたその瞬間から「穢れて罪深い」とされるが容姿は奇妙なほどに整った者が多く、娼婦や男娼向けの人材の宝庫としても知られている。外の世界で経済的に成功した者も、そうした「罪深い」業界で生きるものが大半であったため、ますます「穢れた町」として広く世に知られるようになるという悪循環に陥っていた。
クシャダス出身の娼婦が富豪や貴族・王族に身柄を買い取られて、落とし胤が生まれても「クシャダスの種はクシャダスへ」追いやるのが普通である。中には良心的な実の「父」によって何がしかの金品を受け取ったり、毎年決まった額の手当てを与えられたりする者も居るが、そうした連中は「差別されていながらも高貴な身分の血筋」であると言う自覚からか、強烈にゆがんだ自尊心と破滅的な生活態度の者が多いと言う。
「クシャダスの種」たちは、その隠れた血脈やネットワークを梃子にして、さまざまな種類の非合法な経済活動を行っている模様だ。賭博・麻薬などの違法薬物取引・人身売買・盗品の売買・請負殺人などが主にあげられるであろうか。
さて、クシャダスの街の現実の姿はと言うと、恐ろしく不衛生な匂いが立ち込め、あちこちに吐しゃ物や排泄物が散らかり、古めかしい建物に多くの人間が住まうにもかかわらず、夜はほとんど明かりも見えず、昼は人の笑い声はおろか話し声すらほとんど聞こえないと言う奇妙に静かな状態に有る。時折怒号が響き、嬌声が聞こえる事が有るが、大抵は国法を無視して営業されている麻薬の取引所か娼婦宿から聞こえて来るようだ。
この街の子供たちは、親や周囲の大人に虐待される事がほとんどで、皆、早くから夢と希望を失い、目に暗い影を宿し、日当たりが悪く劣悪な衛生環境に有るため、ごく幼い内に命を落とすものが多い。
マークは「クシャダスの種」でありながら珍しく官吏登用試験に合格した若者二人に、この地区の教育と福祉について研究させ、対策を講じてきたが、なかなかに厄介ではかばかしい結果は出ていない。
まずは街の衛生環境を改善するため、衛生的な水を確保できる水場と公衆便所をいくつか設けたが、官吏の巡回が手薄になると水場はすぐに汚され、便所はいかがわしい取引などに使われると言う具合である。
クシャダスのすぐ外に「誰でも入学できる小学校」を設け、無償で昼食を食べさせるようにしたが、反応はいまひとつで、いまだに器量良しの子供は女衒や人買いに売り飛ばされる事が多い。
あの、シャボンヌの岩が吹き飛んだ翌日に飛び去った謎の赤い剣は、王宮とクシャダスの境界線の頑丈な台座に飛来したらしい。一日中奇妙な甲高い音を発し続け、王宮も大騒ぎになったと言う。
安全のため、その台座から王宮の皆をなるべく離れた場所に誘導し、クシャダスの側の顔役達にもその旨を伝達し、一応大半の人間が台座から可能な限り離れたかと思われた夕刻になって、凄まじい轟音と共にその台座が粉々に崩れ、全て近くの海に飛び去ったと言う。そして、王宮からもクシャダスからも良く見える海の或るポイントに、その粉々の台座が集結したかと思うと、見る間に巨大な角柱を形成したと言う。
「そして、その角柱の上で赤い剣は強い光を放ち続けているのですね?」
「報告書によればそうだねえ」
「それにしても、王宮とクシャダスの境界が壊れてしまうなんて、どういう意味が或るんでしょう?」
「元はクシャダスも王宮の一角だった、と言う事を示しているのかもしれないな」
「クシャダスの建物は不潔に汚れてはいても、基本的なつくりが王宮と同じだそうですね。以前ティボー先生と御一緒に各地の伝承を調べていた時に読んだ書物で知ったのですが」
「ついでに言うなら、王宮もクシャダスもキタイがまだ帝国領であった頃からの建物が大半だ」
「問題は、赤い剣は何のために光っているかと言う事ですね。兄様はどうお考えですか?」
「大真面目に、后、いやはっきり言えば、僕の番がもうすぐこのオルトに出現するって事かな。もっとも、それだけでもないんだろうけれど」
「ロザリアが母親になるのはまだ先だと思いますが……」クラウスの表情は険しい。
「だが、後数年だと言う事だろう。器をなくした龍が生き延びるのは最大で十年程度とされるからね」
「チチェックは后の剣『ヴイーヴル』のふさわしき主を探し当てる力を持つ。それがたとえ遠き異界であっても飛来して、オルトに迎え入れる助けとなる……でしたっけ」
ロザリアはゼキの家で見た覚書の文章を思い返していた。
「ここは、やっぱり、チチェックとその主が出向く必要が有りそうだ」
そのマークの言葉にクラウスは眉をひそめる。
「クシャダスと言う場所が、危険であることに変わりないのでしたら……」
「私が危険な目にあうのをクラウスが心配してくれるのはわかるけれど、やっぱりここは行って実際にその巨大な角柱と赤い剣を見てくる必要が有ると思うの」
「そうだよ、クラウス君。確かにクシャダスはいまだに物騒な場所だと思われるが、王宮側からだって、その巨大な角柱は確認できるんだ。何なら王宮側から角柱の場所へ行くっていう手も有るだろう?」
「それは、そうかもしれません。今の王宮の警備体制はどうなのでしょうか?」
「一応仮の塀をめぐらせて、兵を配備して警戒には当たっているし、神官が魔法の結界も張った事は張ったはずなんだが……そうだなあ……」
「兄様、何が一番気がかりでいらっしゃいます?」
「いわゆる『クシャダスの種』の中に強い魔力を持った人物が混じっている可能性は、有るな」
「そうした人物が何か不穏な行動を取る可能性は、高いのですか?」
「クラウス君も知っての通り、彼らは犯罪的な組織の重要人物である可能性が高いからね。王宮側と正面切って事を構えるとは思えないが、神官が張れる程度の結界なんて、魔力の強い人間なら破る事もたやすいだろうからさ、油断できないって事さ」
「チチェックの力を借りれば、そういうクシャダス側の人との意思の疎通も容易くなりませんか?」
「なるほど、チチェックを持って歩いていると、人との話が上手くまとまりやすいような気がするって、以前もロザリアは言ってましたね」
「まあ、可愛いロザリアちゃんを見て嫌な顔する奴なんていないけどさ、ただ、人買いや女衒の親玉も居るから用心に越した事は無いよね」
「人買いに女衒……」クラウスは苦虫を噛み潰したような表情になる。
「まあ、彼らも儲ける為にやっている事だから、ロザリアちゃんの安全を金を出して買う事だって出来ると思うんだ」
「マーク兄様、沢山のお金が私の安全のために必要なんて、申し訳ないです」
「何、ロザリアちゃんの安全のためなら安いもんだ。幸い僕の個人的な資産は今の所、オルト一なんだしね。まあ、僕に任せなさいって」
「それは、鉄鉱山をはじめとする新しい事業の収益で出来たものですか?」
「そうだよ。ロザリアちゃんのアイデアでまた新しい事業を展開すれば、また金が入ってくるわけさ。だから、クシャダスの犯罪組織の親分連中に払う一時的な金なんて、たいした問題じゃないのさ」
「ならば、それはそうとして、いつブルサに向かいますか?」
クラウスの問いにマークはしばらく考え込んでいたが、一つの結論に達したようだった。
「このトラブゾンの特産品の開発の計画は中断する事になるかな。どちらにせよ、この村の主だった連中と話もしておきたいね。この半島を一周できるように街道をつなぐ工事はすぐに入れたいし……」
マークは行動を決めると素早かった。
その日のうちに旅籠のおかみデニズや老いた神官の力も借りて、ほぼ全員の村人を岬の神殿に集めた。それに際してマークは魔法を解いて、自分の正体を明かし、村人の前で説明した。
「出来るだけ速やかにこの街道をつなげ、更に幅を広げて整備するとお約束します。また、このトラブゾン独自の特産品の開発の件ですが、デニズさんに幾つかの魚加工品のアイデアをお渡ししておきますので、参考になさって、皆さんで工夫して下さい。アルビの『朝霧楼』はいわば私の身内のようなものでして、味や料理法について何かご相談があればいつでも応じるように話を通しておきます。また、こちらの『通行証』を網元さんにお預けして置きますので、直接私に伝えたい事が有りましたらブルサの邸の方においで下さい」
それを聞いた村人達は、ざわめく。面白い事が始まると皆が感じたらしい。
更にマークは村人全員に行き渡る様に金貨を一枚づつ渡した。
「皆さんそれぞれ、この金を活用して美味しい特産品を考え出してみて下さい。自信作は一度、朝霧楼の連中に味見をして貰いましょう。ブルサでも十分売れると判定される物が出来ましたらお知らせください。私も、こちらの聖剣の主で料理名人のロザリアちゃんと、経理に詳しいクラウス君と相談の上で、美味しい特産品をキタイ中に売り出す作戦を考え、皆さんのお手伝いをします」
村人は拍手した。
「さて、個別のご質問は、今から、どうぞ。出来る限り、誠実にお答えしますよ」
後は、相談会と言うより、スターのサイン会のようになって、皆着ている服や手持ちの紙にマークのサインと手形を押してもらいたがった。何しろ「金の龍」様が宿る公爵様は、このあたりでは生ける福の神と信じられていたからだ。ある老女などはひれ伏して拝み、涙を流して「これで思い残す事はございません」とまで言う始末だった。
何はともあれ、トラブゾンの特産品開発に一つのめどが立ったのは確かなようだった。
「さてと、これでブルサに行けるかな?」
出発は明日と言う事に決まって、その晩はデニズの旅籠に村の人間が入れ替わり立ち代りやってきて、にぎやかな酒盛りとなった。ロザリアも色々な料理を振る舞い、大いに皆を喜ばせたのだった。
【恋愛遊牧民R+】
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