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まずは、家庭環境から話を進めますか・・・
第三章 レオンハート公爵
思えば、娘のロザリアは、生まれてきた時のいきさつからして型破りだった。

「お父様、ロザリアの心からの願いをお聞き届け下さい」

思い返しても、とても2歳半の幼児の言葉とは思えない。
その言葉を口にした幼い娘は女神の祝福を受けて生まれたのが明らかな、女神と同じ輝く黒い瞳、艶やかな黒髪で、大人になったら大した美女になるだろうと思わせる愛らしさだった。生後わずか半年で言葉を口にし、2歳を過ぎる頃には既に、大人顔負けの難しい言葉も言い回しも理解していると言う賢さは、ある種空恐ろしいものが有ったが・・・

今でこそ大人しく良き領主、良き父といった役割に納まっているが、レオンハート公爵ジョシュアは、かつては「高貴なる放蕩者」として帝国内に広く知られていた。身分を隠して帝国の首都・オルテスの盛り場や娼婦窟に出入りし、派手な浮名を流したり、身分の低い荒くれ者と渡り合ったり、「建国以来の名門」「皇帝を支える諸侯の要」とされる名門の当主としては、目も当てられぬ荒れようで、美人と評判の妻をエリンコート伯爵家から迎えても、全く素行は改まらなかった。
輿入れ当時、16歳であった妻のエスターは、口数が少なく塞ぎがちで邸にずっと引きこもっていた。たまにジョシュアと顔を合わせても悲しげに見つめ返し、挨拶以外何も言葉を口にしない。なまじジョシュアに「自分が悪い」という自覚があるだけに、ますますエスターとの仲は冷え切ったものとなって行くのだった。

「帝国一の美しい妻を泣かせてばかりいて、少しは申し訳ないと思わんのか?」
「清らかな乙女であった人を一度我が物としたら、後は放り出すのか?」
「レオンハートの血筋を伝える事ができるのは、身も心も高貴な女性だけだぞ」
そうなのだ。このオルトと言う世界では、魔法の力は高貴な血筋に伴う能力で、そうした男性の子を生むことが出来るのは同じく魔力を持つ高貴な家系の女性でなければ不可能とされている。
ごくまれに非嫡出の子供が生まれる事もあるが、そうした場合も生みの母はかつて貴族であった、或いは他国の王族であったものが没落して庶民に紛れ込んでいただけと言う例ばかりで「高貴なものの母は高貴でなければならない」と言うのは、この帝国全体、いやオルト全体の常識であった。

しかし、その「高貴な血筋」にどれ程の価値があるのか、ジョシュアは幼い頃から疑問だった。
確かに建国当時の皇帝とその眷属は、大規模な魔法を使い、世界に大きな影響を与えたらしいが、遙か後世の子孫は魔法といっても、子供だましの手品のような事しか出来ないものがほとんどだ。
炎系の魔法なら種火程度の火種がやっと出せる程度、水系の治癒魔法なら虫刺されが治せる程度、風系の魔法はごく限られた範囲にそよ風を起こす程度だ。複数の魔法が使える場合でも、大した実用性は無いと言っても良かった。そんな程度のことで、真面目な庶民に向かって威張り散らかして良いとはどうしても思えない。
魔法をより開放して増大する修行方法や瞑想の技法も失われて久しい。
実際の世の中は、大半が魔法など抜きで成り立っている。
役立たずの魔法が使えるからと、威張り腐っている古い家系の人間が政治権力を独占するのは、どこか間違っているのではないか?「高貴な血筋」などより全うな努力や合理的な工夫のほうがよほど尊い・・・こうしたオルトでは危険な思想が、もはやジョシュアの信念となっていた。

しかし、今にして思えば、新婚の妻に苛立ちをぶつけていただけだった。
実に大人気おとなげなかったと思うのだ。
結婚以来、夫婦双方の親戚どもがあれやこれや要らざる干渉を繰り返し、やれ子供を早く作れだの、放蕩癖が修まらない男など離縁して実家に戻れとか、実に不愉快なことばかり続いた。
まだ十代でおとなしい性質で世慣れぬ妻は、美しかったが、正直な話、会話の相手としては退屈で、まれに共に食事をとってもどうも重苦しい沈黙が続いてしまうのだった。
ある夜、遠縁の者がまた要らざる「忠告」を妻にしていたことが露見し、不機嫌な気分を妻のエスターにぶつけながら強引に事に及んだことが有ったが、皮肉なもので、その夜の行為の結果エスターは懐妊し、娘のロザリアが生まれたのだから、人生と言うのはおかしなものだ。

母親が死ぬか、子供が死ぬかと言う大変な難産だったが、苦しみながらもジョシュアの子を守りたいと強く願うエスターの様子を見て、この年若い妻は自分が思っていたよりもずっと深く自分を愛してくれているのだと言う事、今まで自分は妻の良い所を素直に認めようとしないで頑なに拒んでいたのではないかと言う事に、はじめて思い至った。

子を成す時は、親となる男女双方が深く互いを思っているほど健康で幸せな子が授かるというのは、オルトでは上は皇帝から下は身分卑しい者まで、誰もが弁えている事だった。
自分が妻に対する労りや思いやりが欠けていたため、子が神の祝福と加護を十分に受けられないのだ・・・と、ジョシュアが己を責めている内に、エスターは危篤状態に陥ってしまった。このままでは腹の子も亡くなるであろうと言う医師の宣告を聞きながら、ジョシュアは生まれて初めて開国の祖を祝福したと言う黒髪の女神に心から祈った。
その運命の夜が明けたとき、奇跡的にエスターの意識が戻り、黒目黒髪の女の子が生まれたのだ。
「夢の中で、あなたが私を必死に呼んでいらっしゃるのを見ました。そこに明るい光が現れて『名も無き黒髪の女神の加護を与えよう』と言う厳かな調子の声が響きました。そこで目覚めたら、あなたが私の手を取って涙を浮かべていらっしゃるのを見たのです」
子を産んでから強くなったエスターに、幾度もその話を繰り返されるたび、ジョシュアは一言も言い返せなくなっていた。それと同時に、徐々にではあったが、夫婦の距離は近くなっていくのだった。
そう、この美しい妻はまっすぐに自分を見て、愛してくれている。しかし、自分はどうだろうか?そんな忸怩たる思いと照れ、堅苦しい貴族の暮らしに対する反発から、まだ、ジョシュアは「放蕩者」であり続けた。
ただ、必ず夫婦で同じベッドに眠り、朝食を取るようにはなっていて、妻は朗らかになり、ロザリアは日を追うごとに目覚しく成長していった。

自分を、良き領主、良き夫にしたのは、あの、二歳半のロザリアが口にした言葉なのだ。
「お母様は本当にお父様が大切なのです。ですから、よその女の方の所に度々出かけられるのは、おやめいただくことは出来ないのでしょうか?お母様は、お笑いになって『大丈夫よ、ロザリア、お父様はちゃんと私のところに戻ってきて下さるから』とおっしゃいますが、でも、その後、お一人で溜め息を漏らされたり、時々涙ぐまれたりなさるのです。私が物陰から見ていてもまるで気がついてらっしゃいません。きっと、それだけ、お母様のお嘆きは深いのですわ」

二歳半の幼児が口にすることではないし、これほど幼い子供に両親の間の微妙な関係を気遣われるというのも、なんとも父としては、ふがいない話だ。ジョシュアは苦笑いした。
「本当に、真剣に申し上げていますのに・・・」
ロザリアは、そう言うとその瞳に大粒の涙を浮かべた。ジョシュアは自分でもとんでもない悪事を働いたような気分になってしまった。
「ああ、ゴメンよ、ロザリア、ちゃんとお前が真剣にお母様とお父様のことを思ってくれているのは、解かっているよ。苦しませてしまって、お前にもお母様にもすまなかったね」
ジョシュアはロザリアを抱きしめると、涙を浮かべて誓った。
「今日からお父様も、ロザリアの良いお父様になるように、そしてお母様ともっと仲良くなるように、心を入れ替えてがんばるよ。許しておくれ」

子はかすがいとは、誠によく言ったものである。

それからのジョシュアは、帝国中に名高い愛妻家、子煩悩となったのだが、なぜかつての放蕩者がこうもすっかり生まれ変わったのかと人に聞かれるたびに、「ロザリアに泣かれてしまいましてね」と答えるのだった。
結婚以来、はや十五年、エスターは三十一歳になったが、このごろは輝くような美しさに円熟味が加わり、今や名実ともに帝国を代表する貴婦人となっている。

「お父様、お母様おめでたですわ。きっと今度は元気の良い可愛い弟が生まれると思います」
ロザリアが今朝、そっとジョシュアに告げた。
あわてて、エスターに確かめると、
「ついさきほど医者に確かめてもらいましたのに、ロザリアがそのように申しましたか?」と、驚いていた。
「ロザリアが言うには、元気の良い弟だそうだ」
「まあ・・・あの子には、弟だとわかるのでしょうか?」
「わかっているような気がするな」

だが、さすがのジョシュアも、弟が生まれれば、自分は気兼ねなく他所に嫁ぐことができるとロザリアがホッとしているという事までは、思い至らなかった。既にロザリアが皇太子ユーグから熱烈に求婚されている事、娘が恋をしている事を、妻のエスターが察していたのも驚きだった。とは言え・・・
ジョシュアもロザリアもエスターも、ユーグ皇太子の放つ銀の龍の力に影響され、その記憶が大きく歪められていると言う自覚が持てなかった。僅かにロザリアだけが密かに違和感と理由のわからない焦燥感を覚えているのだった。たた一人全てを記憶するクラウスは、来るべき日に備えて帝国内での活動に勤しんでいた。

父親と瓜二つの弟が無事に生まれて、レオンハート公爵家はますます明るく賑やかになるというのは、また別の話。

【恋愛遊牧民R+】



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