晴れた日は屋上に上がっている。それはいつもと変わらない事。
俺の日常の一部になっているこの行為は、ごく当たり前に行っていた。
そして今日も屋上に来ていた。
「いい天気だな……」
俺は手摺に寄り掛かり、ぼんやりと空を眺めていた。空は雲がゆっくりと流れ、その形を変幻自在に変えている。雲はただ流れていく。同じ方向へ流れて、そして消えていく。
「今日で、最後か」
俺は空に向かい、静かに呟く。その声は雲へ届く前に、ふわり、とかき消される。
なんとも物悲しい気持ちになっているのは、どうしてだろうか……。
「……ここにいたんだ」
どこからか、声が耳に届いてきた。何かと思いながら振り向くと、そこには軽く笑みを浮かべた女の子が立っていた。
「なんだ……お前か」
「なんだ、とは失礼ね」
不満そうに口を尖らし、俺に近づいてくる女の子。その足取りはいつもと変わらず軽やかなのだが、怒っているのは足の運び方で分かる。
「どうした?」
「どうしたって……貴方を探してたのよ」
「……俺を?」
「そうよ」
ふう、とため息を吐きながら、俺の隣に立つ女の子。こいつとは、いつの間にかここで会うようになっていた屋上の仲間。変な呼び方だが、俺達の間ではこれで通じるのだから、問題はない。
そう言えば、初めてこいつに出会った日も、こんな天気だったな……。
あの日も俺はいつ通り屋上に来ていた。特に何する訳でもなく、俺はここにいた。別に友達が少ないとか、学校が嫌だとか、そんな理由ではない。ただ俺は、なんとなく一人になりたい時があったので屋上に来ていた。
「何してしてるの?」
唐突にかけられた声に、俺は驚いて振り向いた。いきなり自分のそばで声がすれば、誰だって驚くだろう。それに、ここには誰もいないと思っていたから、驚きも半端ではない。そして、振り向いた俺の目に飛び込んで来たのは、見た事もない女子生徒だった。この学校は生徒数がニ千人を越すほどのマンモス校で、同じ学年でも知らない生徒が多い。その女子生徒に付いている腕章は俺と同じ学年のものだが、向こうも俺の顔を知らないだろう。
「俺……か?」
「あなたしかいないでしょ」
「……そうだな」
初対面だが、この物怖じしない態度に妙な感心を持っている俺に、
「だから…何してるの?」
更に聞いてくる女子生徒は、真っ直ぐと俺の瞳を見つめ返している。何とも清々しいほどの態度だな。
「――空」
「……空?」
「空……見てんだよ」
半分呆れたような怒ったような声で、空を見上げて呟いている女子生徒は、俺の顔を見て不思議そうな表情を浮かべていた。そんなに俺の言った事は変か? 正直に答えたまでなのだが、変なのかな。
「いい天気だね……」
「……そうだな」
そんな事を考えていた俺の耳に、なんとも不思議な事を言っている声が聞こえたのでそちらに向くと、空を見上げて背伸びをしている女子生徒がいた。こいつも十分変わっていると思うがな……。
それから俺達は揃って、ただ空を見上げたまま別れた。俺はその女子生徒が誰かも知らないし、名前も知らない。それにクラスも知らない。分かったのは俺と同じ学年だと言う事。それ以外は分からなかったが、それでもよかった。もう会う事もないだろうし、どこかですれ違っても俺の事など覚えてないだろうと思った。しかし、それからもその女子生徒は何故か屋上に現れるようになっていた。
俺が先にいる事もあれば、その女子生徒が先にいる事もあった。それが段々と当たり前になっていってきたある日――
「私も……ここが好きになった」
「そうか」
「……うん」
俺を見ないで呟く声は、どこか楽しげに聞こえた。
色々と話していて気づいた事だが、こいつは結構口が悪い。決して悪口を言うのではなく、物事をはっきりと言うタイプの人間だと言う事だ。
「貴方、友達はいないの?」
「いるぞ」
「いつも一人じゃないの」
「お前……失礼な奴だな」
そんな口の悪い奴だが、意外な事に趣味や好きなものが同じで、簡単に意気投合してしまった。
「俺の趣味か……?」
「そう、貴方の趣味」
「俺は――」
「……そっか、同じだね」
しかし、恋愛話や下ネタはまったく駄目で、すぐに顔を真っ赤にする一面もあった。
「お前……好きな奴とかいないのか?」
「わ、私は……別に」
「……いるみたいだな」
「あなたには関係ない!」
ここに来れば彼女がいる。それだけの事だが、俺は楽しみにしている自分に気付いてしまった。
……俺自身の気持ちにも、気付かされた。
そんな『屋上仲間』と言う不思議な関係を続けていたが、今日で終わりだ。今日、彼女の名前も分かったから――。
「で……何の用だ?」
俺は素っ気なく聞くと、隣で動く音がした。
「今日で……最後だね」
「……そうだな」
それ以降、会話がなくなり俺達は黙って空を見上げていた。隣を見なくても、俺と同じ動きをしてるのが分かる。
不意に隣で咳払いをして、
「貴方に……言いたい事があって」
真剣な声が聞こえてきた。
「なんだ? 改まって……」
「……えっと、ね」
彼女の声が隣から聞こえる。俺は彼女の顔を見ていない。彼女も俺の顔を見ていない。
俺達は顔を合わせていない。それがいつもの俺達だから……。
「早く言えよ」
「そうね……」
「お前らしくないぞ」
「私、らしく……か」
ため息混じりの吐息が聞こえ、ゆっくりと彼女は俺から気配が離れていくのを感じた。あまりに突然の行動に驚き、目を向けた先には後姿の彼女が、
「私ね――好きな人がいるの」
そう呟き、歩みを止める。
その言葉が俺の中をぐるり、と駆け巡り捕らえていた。好きな人がいる……か。
「驚かないの……?」
彼女から再度、声が届く。
後ろ向きの彼女から聞こえる声は、その身体と一緒で少し震えていた。
「あなたはいつも……肝心な時には、そうやって黙ってしまうね?」
俺は言葉を発する事が出来ない。前もそんな話をした事があった。そのときから俺は――。
「誰なのか……聞かないの?」
彼女の声が何かを急かしてくる。それが俺を何故か焦らせていた。
俺はこいつの事が好きだ。それは分かっている。でも、もし好きな相手を聞いて、俺がショックを受けたら……。
迷っている俺を見て、半ば怒ったような目を向けて、
「もういいわ。私の好きな人は……」
声を荒げ、彼女は言った。彼女が好きな人の名前を――。その名前は俺を包みこみ、心に響いてきた。
「本気だよ……私は」
「……そうか」
「それ……だけ?」
「他に……なんて言えばいいんだ」
怒りを通り越したような呆れたような彼女の声が俺に降ってきた。ため息も聞こえ、どうしていいか分からない様子の彼女と目があった。いつの間にか彼女は俺の前に立っていた。真っ直ぐに俺の方を見つめる瞳を向けて――。
「ちゃんと聞かせて……」
その瞳が俺を射抜き、心を満たしていく。その瞳にこもった思いを俺は受け止めよう。
「答えて……」
瞳から光がこぼれ落ちる。太陽の光を浴び、頬を伝う光の筋が輝いている。
綺麗な光は次から次へと落ちていく。
俺はこいつの事が、いつの頃かなんて知らないが、こいつの事が――。
「……俺も好きだ」
それだけを言うのが精一杯だった。俺はそれ以上の言葉を見つける事が出来なく、舞い上がりそうな気持ちを抑えるのに必死になっていた。そんな俺の方へ優しく微笑む彼女が近づいてきていた。
ゆっくりと歩み寄ってくる彼女は俺の前で止まり、恥ずかしそうに手を差し出してきた。
「なんだ……?」
「……手」
俯きながら小さく消え入りそうな声で彼女は呟き、そのまま動かなくなってしまった。
俺は恥ずかしさもあったが、そんな彼女が可愛く思え、頭をかきながらその手を握る。
「これで……いいのか」
俺の声に無言で頷く彼女の頬は真っ赤に染まり、耳まで赤く染まり始めていた。
「普通……こう言う”場面”ってキスじゃないの?」
俺の言葉に顔中を真っ赤にしてしまった彼女は、俺に聞こえるか聞こえないかの小さな声で、
「だって……恥ずかしいもん」
そう呟き、俺の手を引いて歩き出そうとした。そんないつもとは違う彼女の態度に、俺は夢中で抱き寄せていた。
「やっぱり――こうしてみたい」
俺の胸で目を丸くして驚いている彼女に、俺は優しく微笑んでいた。何が起こったのか分かっていない様子だったが、恥ずかしそうに顔を俺の顔を見上げ、
「……いじわる」
少し口を尖らしていたが、そのまま俺達はゆっくりと近づいていった。
聞こえてくる吐息、感じる鼓動、二つは一つとなり、また二つとなる……。
「――行こうか」
「……うん」
恥ずかしそうに俯く彼女の手を引いて、俺達は屋上を後にした。
この景色を見る事は、もうないだろう。
この場所に来る事は、もうないだろう。
ここで手に入れたもの。不思議な巡り合せで手に入れたもの。
俺達は今日、ここを卒業した。そして、俺達は新しい居場所を手に入れた……。 |