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赤いおとしもの
作者:takao
 
※このお話は「五分小説企画」参加作品です。テーマは「動物」でした。「五分小説」「5分小説」等で他の参加作品も検索できます。

※性的なもの(人によってはグロと捉えられるもの?とにかく生々しいです)を喚起させる表現があります。予めご了承のうえ、閲覧いただきますようお願いします。(R指定にはしていませんが、PG12程度の内容になります)
 図書館のカウンター越しに見える彼女は、一枚の絵の中に居た。本棚の額縁に囲まれ、本の背表紙やカーテンを背景に描かれた一輪の白い花だった。

 大学三年の春、市立図書館のアルバイトを紹介された。頼まれ事に弱い俺は、給料は高くないものの本が嫌いでもなかったので、それを引き受けた。市立と言っても分館のため規模は小さく、仕事も窓口業務や本の整理と難しいものではない。後は奥の部屋に居る常勤職員の仕事になる。利用者も少なく、暇な時間には取り寄せた中央図書館の本まで読み漁っていた。
 働き始めて一ヶ月ほど経った、ある日のこと。俺はその「絵」の存在に気が付いた。
 カウンター越しの光景は、いつもと同じ殺風景。たまに利用者の姿もあるが風景と同化している。
 其処に現れた白い花。
 すらりと伸びた背筋と、細い手足に色白の顔。長い黒髪を一つにまとめた彼女が、額縁の中に居た。――その時から、その殺風景が「絵」に変わった。
 花は時々絵から飛び出し、カウンターへと本を運ぶ。人気の小説と料理の本。バーコードをチェックして本を戻すと、愛想笑いを浮かべて会釈し、再び絵の中に戻っていく。「心が洗われる」とは、まさにこのことを言うのだろうか。

『木下優理ユリ、生年月日一九××年……、住所……』
 多少の罪悪感を抱きつつも、図鑑でも開くように思わず利用者情報を端末で検索してしまった。
 俺より三歳年上。名前から白い百合を思い浮かべる。この近所に住んでいるらしく、来館時間から職業は……と想像を巡らせていると、「滝部君! ちょっと来て!」と奥の事務室から突然呼ばれ、慌てて覗き見していた花の生態を閉じた。
 いつしか、俺は彼女の来る夕方や土日のシフトを増やそうとしていた。綺麗な絵を眺めて仕事をする方が誰でもいいに決まっている、と自分に言い訳して。
 そんな日常は更に一ヶ月後、突然終わりを告げたのだった。

 梅雨が始まり、朝から雨が降る日。古い図書館は鉛色の空気に覆われていたが、其処に今日も白い百合は描かれた。見るだけで、心が晴れやかになる。それだけで十分だった筈なのに。
 しかし何の気の迷いか、この日に限って俺は戯れにその絵へと足を踏み入れてしまった。
 彼女の居る棚を確認し、返却された本をわざと戻しに行く。その横にさりげなく立つ。狭い書架の間でちらりと見下ろすと、彼女は本を手に取り立ち上がるところだった。
 そのまま動きを追った俺の視界の中で、立ち上がった拍子に彼女のポケットから、何かがぽろりと零れ落ちた。薄ピンク色のものが、かさつく音を立てて。
 話せるかもしれない。俺は何も考えず、寧ろ期待すらしてそれを拾い、声を掛けた。
「落としましたよ?」
 俺の声に彼女は振り返った。だが黒い瞳で俺と、俺が差し出した物を見ると、
「あ……っ」
と悲鳴のような音を喉の奥で漏らし、その眼を大きく見開き、口を丸くした。白い頬はたちまち朱に染まり、清楚な表情は羞恥で泣きそうなものに、ぐにゃりと醜く歪んだ。
 ――なんだ?
 俺が突然の変化に訳も分からずいると、彼女は本を取り落とし走り去ってしまった。小さな背中を呆然と見送った俺は、掌のものを見る。彼女のポケットに入っていた、衛生用品と思わしき「それ」は――。
「え?」
 その正体に気付いた瞬間、俺は急いでそいつをポケットに押し込んだ。

 後は何も考えられなかった。未だに心臓が激しく鳴り、妙な罪悪感に苛まれているが、それ以上に何故か強いショックを受けていた。一人暮らしのアパートに帰ると、彼女の落し物を机の上に置く。
 母親の物くらいしか記憶にないが、「それ」は生理用品で間違いないだろう……。
 彼女を守る、もの。彼女は絵の中に描かれた、汚れない百合の花だと思っていた。だがそれは俺の夢想だった。眼の前にある、「これ」が現実なのだ。

 彼女は絵でも、花でもない。ただの「動物」であった。血の匂いを漂わせる、人間の雌であったのだ。

 誰にでも生理的な身体の働きがあるように、彼女も「ヒト」として生きる「木下優理」という一人の女であったことに、今ようやく気付く。絵の中の純白は赤く染まり、命の鼓動を刻み始めた。幻想は打ち砕かれ、彼女は無機質な芸術品から、繁殖を行う生物として新しく認識される。
 ――彼女は、生きている。
 明確な真実を前に、俺の愚かな憧憬にはあっさりと幕が引かれた。
 ……それなのに。やけに心が逸っていた。想いが逝ったその跡に、既に新しい何かが息づいている。
 彼女の恥じらいに歪んだあの表情。あれが忘れられなかった。あらゆる感情の入り混じった「ヒト」である所以の、生きた「表情」。あの表情をもっと見たい、と単純に思った。無性に彼女に会いたくなった。
 もしかしたらそれは、ずっと前から存在していた感情だったのかもしれない。俺はただ、彼女をニ次元の絵に閉じ込めておきたかっただけではないだろうか。

 何故なら彼女が動物であることを認めれば、自然の摂理で「競争」が始まるからだ。
 種の保存のために雄は他の雄と戦って子を産ませる雌を求め、雌はそうすることで、より繁殖力のある雄を探す。更にヒトには複雑な感情や条件が絡み、全てを乗り越えてやっと一組のつがいになれるのだ。
 俺はそんな葛藤はしたくないと、臆病にも逃げていただけに過ぎなかったのだろうか。
 しかし俺のプライドに関係なく、新しい欲求は既に産声を上げてしまっている。この衝動を、どうすればいいのか――。

 次の日。俺は呆けたように図書館のカウンターに座っていた。
 もうカウンター越しの「絵」を見たいとは思わなかった。だけど「彼女」に会いたい。ただそう願っていた。
 自分でも不可解な気持ちを持て余していたが、十日後、再び彼女が現れたのだ。俺を見ることなく顔を強張らせていたが、やがて俯いたまま今日借りる本をカウンターに持ってきた。
 いつもと同じ甘く優しい花の香りがした。その白い肌の下には血が通っている。今までと逆の事を感じているのに、それでいいんだと、今は思える。
 彼女は僅かに視線を上げて俺を見た。躊躇いながら、だが確かに「俺」という存在と認識してこちらを見た。

 その時、俺の口が反射的に動いた。
「あの……、」

生まれて初めてこれだけ短いお話に挑戦しましたが、力不足を既に実感しながらも、今持てるものの全てを出し切って書きました。
主催者様、大変お世話になり、ありがとうございました。
そして最後まで読んでくださった皆様に心より御礼申し上げます。

ちなみにラストについては、テーマより「動物」であることに気付くところまでがこのお話で書きたいことであったので、あそこで区切りました。あの2人がこの先どうなったかは、また別の話になると思いましたので…。
(動物というテーマを聞いて、交尾→獣●ときて、このネタに行き着いたあほうをお許しください…)

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