プロローグ
プロローグはちょっと短いです
神薙 流は合気柔術の達人である。
彼は物心ついた時には既に流派の祖である曽祖父を指一本で投げ飛ばし、小学生に上がる頃には世界中のあらゆる武道の天才と決闘し勝利を収めてきた。
彼の人生はまさに合気の為にあった。今年で齢八五を迎えるその御体は未だ衰えを知らず。
年齢を感じさせるのはその頭に宿した白き毛髪と薄っすらと表情に宿る小皺ぐらいのものである。
勿論頭もはっきりしており身体能力に関していえばこの年にして未だ活力に漲っている。
しかし――合気によりあらゆるものを受け、捌き、流し倒していった流はここにきて一つ悩みを抱えていた。
「虚しい――」
早朝から日課である一万人組手を終わらせたばかりとは思えない、落ち着いた様子で流は呟いた。
今とてかれこれ一〇〇〇万通りの型を繰り返し続けているが、やはり心の何処かにはぽっかりと風穴が開いてしまっている。
合気柔術を始めてから既に八〇年を超える。彼からしてみれば未だ極みには達していないし、今後この道を極めることなど出来ないであろうという思いもある。
限界というものを自分で決めてしまってはその瞬間に道は途絶えてしまうからだ。
しかし、とはいえ――彼はやはり強くなりすぎた。
数多くの達人を相手にしてきた。人間だけにあきたらず熊や雪男(勿論これは国家機密だが)を相手にもした。
地球の危機を救ったことだって数知れず、あるときは要人の救出のためにテロリストの本部に単身乗り込み大立ち回りを演じ、戦車や戦闘ヘリをも己の合気で破壊したことがある。
地球存続の危機とさえ言われた隕石とて彼の合気によって軌道を変え、富士山の噴火を止め、誤って飛んできた核ミサイルさえも宇宙へと放り投げた。
だからこそ――そう、だからこそ、だからこそ虚しい。
道を極めたとは思っていない。
しかしこれ以上極めようにも今の流にとって、もはや地球は狭すぎるのである。
(おっといかんいかん私としたことが、鍛錬中に雑念を抱いてしまうなど)
神薙 流は頭を振り、意識を己の根底に戻した。
合気にとって大事なのは心、何事にも動じない精神。
だからこそ流は改めて一から型をやり直す――これが合気に生き合気に人生を捧げた流の選んだ道。
そして――改めて己を高めるために意識を集中させた時、彼はそれに気がついた。
違和感……一〇〇万坪を超える日本家屋、その中庭、中心部。
それが流が鍛錬を続けている場。その場に何か奇妙な気が漏洩している。
これは一体なんなのか? いや、考えるまでもない。
これまで有機物から無機物に至るまであらゆる物を掴み、流してきた彼だからこそ、それが本来この地球にはない気、いや気とも少し違う未知の力。
それを知ることが出来た。そして流は年甲斐もなく心が踊った。
流の合気は完璧だ。どんなものでも瞬時に力の流れを把握し、それに己の力を乗せ無限の力を引き出す。
意識を集中させる。力の波動を感じ取る。どんな力にも必ずそれをなす核が存在する。
神薙流合気柔術はその核を見極めることが先ず基本にあり同時に最も重要でもある。
そしてそれを八〇年以上続けてきた流にとって、この力の核を見極めるなど赤子の手をひねるより簡単な事であった。
「神薙流合気柔術最高師範――神薙 流、いざ、参る!」
刹那――裂帛の気合と共に流はソレを掴み受け流し、そして、時空の扉を開いた。
後はただ川に満ちる清水の如く、その流れに身を任せ、時空の波に揺られ、そして……
気がついた時、ナガレは異世界にたどり着いていた。
本日もう1話投稿します