たとえばからりと晴れた秋。木の葉舞う旋風に撫ぜられたときのような、不意うちの感情だった。
ボクは活字から視線をあげた。ごつり、と後頭部が壁に当たるまで。
右肩に、柔らかく温かい感触。壁に頭をつけたまま回し、マリオネットめく視線を振る。
彼女は全く気付いていない。もっぱら小説に集中している。
頬にかかる黒い、黒い長髪。それを避けることすらしない。
単調な衣擦れ。
左手はぺたりと畳につけ支えに。右手だけで器用にページをめくっていく。
まるで帳が下りているよう。彼女の周りだけ空気が冷やりとしている。
触れている肩の熱が、あんまりにも頼りなく感じてしまう。
彼女と付き合い始めてから、一週間。
まだキスすらしてない。
というか、ボクが向こう二年と四ヶ月、飛んで十五時間分の勇気を振り絞って彼女に告白して、彼女が「ふぅん……いいよ」と返事をくれてから、一週間。
それでも有頂天になった一日目。
少し落ち着いた二日目。
冷静に思い返せば、ふぅん……いいよって、本当にいいのかと不安になったのが三日目。
彼女と初めて知り合ったのは、図書委員会に入ったからで。
じゃあなんで引っ込み思案のボクが告白するほど思いつめたかといえば、それも定かじゃない。
何故か、なんていわれても、言葉が見つからない。
確かに彼女はとてもかわいい。初めに釘付けにされたのはそのせいだけど、でも……。
彼女はインドア派だった。今もこうして、肩をならべて黙り込んで小説を読みふけっている。
親友に山のように借りた本にぎっしりと書かれていたデートスポットやおしゃれな店に行く予定をぎっしり立てたのに、四日目と六日目に出掛けて、一週間目の今日は何故かこんなに質素に落ち着いた。
そう、ボクは不安だった。
とても黙って小説なんて読んでられないくらいに。
もう少し勇気があれば肩に手を、なんて。……出来るわけ無い。
図書委員として彼女と話をしたりした頃と比べて、何が変わったのかといえば、彼女の微妙な表情の変化がわかるようになったくらい。
彼女は料理が得意で、特に白身魚のムニエルが好物だってことくらい。
彼女が好む小説は、指輪物語やダレン・シャン、ハリー・ポッターやナルニアみたいなジャンルだ。
他にもたくさんある。突然猫が飛び出してくると、密かに身構える。猫アレルギーらしいとか。
もっともっと知っている。でも、うずたかく、彼女のことを知っていっても、それでも不安だった。
ボクが知っているのは、彼女の殻で。
そろそろボクは彼女の『ホントの言葉』というのを聞かないと、なんて意気込んでいた。
「ねえ、これからどこか行かない?」
少し大げさな音がするように、本を閉じた。
「今、いいところなの。もう少し」
にべも無い。視線すら上げない、彼女の返事。
「そっか」
こみ上げそうになったため息を飲み込む。それは筋違いな気がした。
肩を落として、首をもたげる。
彼女の白い左手が見えた。北海道の雪祭り、雪の芸者さんの手を思い出す。
飲み込んだため息が、早々に消化されて違うものになったみたいだ。
ボクは自分の右手を見つめた。
向こう二年と四ヶ月、飛んで十五時間分前借して、枯渇したはずの勇気を振り絞ってみる。
エンプティーのはずなのに、おかしなことに、少し力が出た。サブタンクがあったのか。
ボクは、不安だった。
この右肩にある温かさを証明する何かを、見つけたかった。
小さい深呼吸。そしてボクは彼女の左手に、手を重ねた。
彼女の左手は、ひやりと冷たい。
「―――…」
彼女は静かに視線を上げた。
でもこっちに向かないで、また活字に、ゆっくりと視線を下ろす。
ボクは、それを見つめて苦笑。
ボクが彼女と付き合って一週間、唯一ボク自身を信じられる、確かだと思うもの。
ほんの微かな変化だけれど、彼女の表情は柔らかくなった気がしたから。
単純なことに、それで心底安心してしまったから。
ボクは彼女がそうするみたいに、左手だけで小説を開く。
ページを捲ろうとして、がさりと取り落としてしまった。何気に難しい。
彼女の手は、ボクの手の下で、少しずつ温かくなってきた。
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