林さん
林があった。森というほどではなく、かといって、樹木が申し訳無さそうに数本だけ立っているわけでもない。草原に盛り付けられたブロッコリーのように、それなりに樹木が密集している。
走り抜けようと思えば、三分とかからない面積の雑木林。春には針葉樹が花粉を飛ばしまくり、秋にはそれなりに紅葉するような、大して珍しくもない林である。
そのすぐそばに、一組の夫婦が居を構えた。
林のそばで暮らすうちに、林という名で呼ばれることとなった。
実に、そのまんまである。
林さん夫妻は幸せに暮らした。二人の子宝にも恵まれ、長生きをして死んでいった。
その頃には、雑木林が、林さんの家を呑み込み、面積を広げていた。全力疾走しても、五分は必要なほどになった。
林さんの家に生まれた子供は、二人とも男の子であった。長男と次男は、それぞれが家族を築き、どちらも揃って「林」を名乗った。
長男が、もともとの家屋に暮らし、次男が林の中の別の場所に新居を建てた。
しばらくすると、林さんのご近所さんから苦情が聞こえて来た。
「別々の場所に住んでいるのに、両方とも林だなんて、わかりにくい!」
そこで、二人は背比べをした。
ほんの少しだけ、長男の方が背が高かった。
「大きいほうが大林。小さい方が小林」
こうして大林と小林に分かれた。
やがて時が経ち、また林が広がった。それはもう、林というよりも、森と言った方が適切なようにも思えるほどであった。
長男の大林には、子供が一人しかいなかったので、大林の名をそのまま継いだ。問題は、小林である。小林には、三人の子が生まれたのだ。そこで、呼び方で混乱をきたさないために、小林の中で、身長順で大中小に分けた。一番大きな兄は、大小林。二番目は中小林。一番小さな末の妹が小小林となった。
小小林が子供を生んで、また身長順で大小小林と小小小林に分かれた。
大小小林は、大大小小林と中大小小林と小大小小林に分かれた。
困ったのは、次の中大小小林の次の世代である。何と、中大小小林夫妻からは、子供が五人産まれたのだ。
このことについて、当時の長老である中大小林と、「林」を名乗る者の中で最も財産を蓄えている大大中中小大林が話し合うこととなった。
二人の会談では、大中小のかわりに甲乙丙丁を使うやり方や、数字を振り分けるやり方が考案された。
しかし、長年続いてきた伝統を崩すことに対し、長老である中大小林が難色を示し続け、そうこうしている間に、その中大小林が死んだ。五人の子供を産んだ中大小小林さんは、中大小林のあとを継いで小林側の代表として議論に参加することになったが、今度は大林陣営が「青二才が」などと小ばかにして、まともな話し合いにならなかった。
議論ができないので手の打ちようがナッシング。やがて、保留されたまま、五人の子供のうち三人が死んだ。
二人に、めでたく大と小が振り分けられた。大を冠することとなった背の高い大中大小小林は、あからさまに歓喜した。小と呼ばれることとなった背の低い小中大小小林は、ひとりしょんぼりしていたという。
ここにきて、大と小の溝が深まっていることが浮き彫りとなった。名の最初に大がつく者は、小がつく者を侮る。名による不当な差別。問題である。
しかしながら、それよりも、もっと深刻だったのは、名の後ろ二文字の違い、すなわち、小林と大林の違いである。大林と小林は、いつの間にやら対立するようになっていたのである。
うっかり、名前の最後を間違えて、たとえば、
「よう、小大中中小大大大小小林」
などと呼んでしまおうものなら、
「は? ふざけんな、ナントカ小林と一緒にすんなよ。俺たちゃ大林なんだよ。俺は小大中中小大大大小大林だ! 二度と小林とか言うんじゃねぇよ、気をつけろ!」
と激怒される有様だ。
森を二分する、大林と小林。もとはただの林だったのに、名を分けたことが切っ掛けとなって、この惨状。非常に悲しいことである。
ところで、先述の通り、大林を表向き仕切っていたのは、ただ財力があるだけの小人物である。大林陣営には、そのどうでもいい輩とは別に、真に大いなるプライドを持った男が存在した。
――それは、大大大大大大大林。
大大大大大大大林は、とにかく身体がでかかった。一度も、中林と呼ばれたこともなければ、小林に堕したこともない、というのが彼の自慢だった。
大のなかでも、最も大。「林」の名を自分が継いできたのだという自負があり、周囲も、小林側でさえも、それは認めていた。
大大大大大大大林は、森林に君臨した。「林」と名がつく者すべてに尊敬され、すれ違う者には、ことごとく頭を下げられた。半ば神格化されていたと言っても良い。
大大大大大大大林は、大大大大大大大林という名の威光によって、「林」の名を持つ女性の憧れを一身に集めることとなった。数え切れぬほどの多くの妻を持ち、たくさんの子を産ませた。
ここで、固定化されてしまったルールが邪魔になってくる。
「大中小で分けなくてはならないぞ」
しかし、大大大大大大大林は、このいつの間にやら定着していた狭苦しいルールが気に入らなかった。
というのも、彼は、一番好きな女性の子を、大大大大大大大大林として自分の跡継ぎにしたかった。しかし、その子は背が小さかったのだ。このままでは、よくて小大大大大大大大林にしかなれない。
そこで、大大大大大大大林は考えた。
――いっそ、跡継ぎにするこの子以外を、森の外に出してしまおう。
そうして自分の子供たちを、野に放ったのだ。気に入った子を跡継ぎにしたい、でも他の子を殺してしまうには忍びない。だから、社会経験を積ませるという名目で、息子や娘たちを外へ外へと追放しまくったのである。
さて、尊敬される大大大大大大大林の行動は、「林」を名に持つ者に大きな影響を与える。というわけで、皆、大大大大大大大林の真似をして、我が子を森の外へと放ちはじめた。
これが、近くの村に大混乱を招いたのだった。
今、これをお読みになっている皆さんには、もしかしたら、実感できないかもしれないが、実を言うと、このナントカ林という呼び方は、とてもややこしいものなのだ。
この「林」を名に持つ者が暮らす森の中では普通のことであっても、外に出れば、狭い世界の常識は通用しない。あなたの名前は何ですかと問うて、
「大中小小中中小中小中大中大小小林です」
などと答えられた日には、一般ピープルは呆然とするしかない。
彼ら長くてややこしい名前を、まともに記憶できる者は皆無であり、しかも、ナントカ林たちは名前を間違えられるとヘソを曲げられることが非常に多かった。それによって、場が険悪になるケースが、数え切れないほど多くあった。
かくして、「林」の一族の流入による不協和音が、村のあちこちで響き渡るようになってしまった。
事態を重く見た村長は、軍隊を所有している大地主に泣きついた。権力者の威を利用して、彼らに圧力をかけようとしたのだ。
「名に『林』を持つ者は、全員、名を没収する! そして自由に新たな名を名乗れ!」
村長は高らかに叫んだが、「林」の名を持つ者たちは、当然、蜂起した。名を放棄させられることは我慢ならなかったからだ。自身のアイデンティティの危機に、箒を武器に立ち上がる。
森に暮らす者総出で、村長の家を取り囲んだ。小林も大林も一丸となって、村長に抗議しに行ったのである。
しかし、村長は卑怯なことにその隙をついた。
「我が政策に対し、暴力をもって応えるというのなら、厳しく対処しなければならぬ!」
焚焚焚。
何と、ナントカ林という名が発生する原因となった雑木林――とはいえ、その頃にはもう森であったが――を、焼き払ったのだ。
「なんという、おそろしいことを……ッ!」
「ひとでなし!」
何と言われようと、村長にとっては村の秩序の方が大事なのだ。
村長は、「お前たちの『林』を、没収する!」と叫ぶ。
ナントカ林たちは涙を流して叫び、突撃する。
こうして、激戦の末、ややこしいナントカ林という呼び方は滅びたのであった。
どれほどの時が経っただろう。
焼け野原から、一本の木が生えた。
やがて林が広がっていく。
こんもりとブロッコリーのようになった頃、一組の若い夫婦が引っ越してきた。
夫婦は、林のそばに居を構えたが、林さんと呼ばれることは無かった。
苦い記憶を呼び覚ますことが無いように、「林」という言葉は口に出すことが禁止とされていたし、あらゆる辞書からも、かき消されていたからだ。
そこで夫婦は、この林を、小さな森とみなし、小森と名乗った。
後に、長男が年長であるという理由から大小森と名乗り、次男が年少であるという理由から小小森と名乗るようになった。
【おしまい】