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「アトモスフィア」 佐藤健志 短編集 作者:佐藤 健志
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41 稲妻

母親は、心に落ちた稲妻を決して子どもに見せはしません。
お昼ちょっと前、母ちゃんやおばちゃんたちがラヂオの前に集まってきた。みんなで正座をしてラヂオから流れる声を聞いた。おばちゃんたちは正座したまま、小さくなって肩をふるわせていた。泣いてたみたい。母ちゃんは頭を垂れたまま、口を真一文字に結んで、ちょっとむずかしい顔をしていた。父ちゃんが兵隊さんになったときと同じ顔だった。
ぼくにはむずかしいことばはわからなかったけど、サキおばちゃんが「負けたんやな」って小さい声で言ったので、日本が戦争に負けたんだってわかった。

なんや、負けたんかー。勝つゆうてたやん。
そやし母ちゃんがんばっとったのに、なんやねん。

ぼくは率直にそう思った。


おばちゃんらが帰った後、母ちゃんが「お昼にするか」といつも通りに芋粥を出してくれた。なんかすごい薄かった。
後から思ったんだけど、あれは母ちゃんの涙で薄くなってたんだな。

「なあ母ちゃん。日本負けたん?」「負けたな」「戦争終わったん?」「終わったな」



「ほなお父ちゃん帰ってくんねんな? 帰ってくるねんな?」


母ちゃんの口はまた一文字に結ばれた。
それが少し震えていたので、ぼくはきょとんとした。
「水、汲んできてくれへんか。そしたら今日はもう遊んでてええし」
「ほんま!?」
「ほんまや」
ぼくは水桶を両手で持って家を飛び出そうとした。
「あんたはほんまに慌てん坊さんやな。そない急がんでええ。ゆっくりし。こけてケガされても困るわ」
引き戸の手前で母ちゃんに頭をくしゃって撫でられた。
ぼくはまだ母ちゃんのおなかくらいの背丈しかないけど、いつか大きくなって母ちゃんより父ちゃんより大きくなる。そうして母ちゃんを助けるんだって決めてた。
父ちゃんも兵隊さんに行く前に、ぼくに「母ちゃんを守ってやるんやで。お前は男なんやからな」って言ってたし。
「ケガなんかせやへんって。ほな行ってくるし!」

僕は水場にまで駆けて行った。

なんや日本負けたんかー。
みんな勝つでーとかゆうてたのに嘘やったんかいな。
でも戦争終わったんやし、お父ちゃん帰ってくるし、また前みたいに家が楽しなるわ!

本気で僕はその時そう思ってた。
小学校に上がったばかりの田舎の子に、世の中のことはまだまだぼんやりしていたのだ。。

あの日、いつもより蝉がたくさん鳴いてたのを覚えてる。
あれは鳴いてたんじゃなくて、泣いてたんだな。
蝉の抜け殻を3つもみつけて、すごく得意になった。足のところをちょっとつつくとふにっと曲がった。
こんなカタチしてるのが、なんであんな風になって、体に合わぬ大きな声で鳴けるようになるんだろうと不思議だった。


さっさと水を汲んで帰ろうとした。しかし桶は重く、半ば引きずるよう歩いていたので、水の量がどんどん少なくなっていく。
これじゃあまた母ちゃんが汲みなおしに行かなきゃいけない。そんなことはさせちゃあいけないって、ぼくはゆっくりこぼさないように、細い腕で必死に桶を引き上げた。
指は毎日の農作業と水汲みでささくれ立ってるし、なんか腫れてるし、水桶なんて一度下ろしてしまったら二度と持ち上げたくなくなるし、絶対家までがんばるって決めてた。

だってぼくは男だから。
まだ小さくて、おっちゃんからは坊主としか呼ばれたことないけど、でも父ちゃんに母ちゃんのことをまかされたんだから。


汗が目に入って小さく何度もまばたきをする。


家についたら母ちゃんはきっと笑ってまた頭をくしゃってしてくれるから。きゅってくくった頭をして、ときどきむずかしい顔もするけど、母ちゃんはすごい美人なんだ。
母ちゃんのこと、父ちゃんが小学校の頃から好きだったっておっちゃんが言ってたし。それをきいた父ちゃんはおっちゃんの頭をはたいてたな。すごいおもしろかった。


もうすぐ、もうすぐ。
お父ちゃんは帰ってくるんだ。
また母ちゃんと三人で毎日わらって暮らすんだ。



家まであと少し。


今日はいままでで一番うまく水を汲んで帰れそうだ。


きっと母ちゃんはうんと褒めてくれる。



明日もきっと晴れるんだ。お母ちゃんの笑顔みたいに。

な、そうだろ。父ちゃん。
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