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「アトモスフィア」 佐藤健志 短編集 作者:佐藤 健志
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13-2 靴下’


男は恋をしていた。
恋と言うには語弊があるかもしれぬ。
陰惨で赤く、ドロっとした感情を抱えていた。
男はそれをこの世で最も美しいものだと信じていた。
なぜなら彼の心中で赤黒い粘液に包まれていたそれは、それはそれは美しいものであったから。
少し茶色じみた髪が風に揺れる様も、眉を寄せて笑う姿も、長い手指も、引き締まった足首も。
美しい物を手に入れたい浴は人類共通のものである。
だか、多くの願いは届かない。
金銭的理由、才能の問題、対象が抽象的であり個人所有できるシロモノではない場合。
大抵はいさぎよく諦め、自分の許容範囲におさめるのであるが、「手に入らない」ことが理解できない者もいる。
人はそれを悪人と呼ぶ。
男は美しいものを手にしたいと思った。
いや、美しいものは既に自分のものだと思っていた。
世界の全ては自分のもの、彼自身しか見えていなかった。
自分のものを好きにするのは当然だろう。
彼はある夜、美しい女に会いに行った。
玄関からはもどかしい。
樋と壁、電柱を使ってうまくベランダまでたどり着いた。
窓は施錠されていなかった。たとえ鍵がかかっていようと彼にとってはなんの障害でもなかったが、施錠されていないことは彼を呼んでいることに等しい。そう考えた。
喜んで受け入れる合図だと思った。
窓をあけると、女が恐怖に歪んだ顔で赤ん坊を抱きしめていた。
ああ、なんと美しい。
いつもの困ったような笑顔だ。
男は優しく微笑んだ。
女は声も出せず、ただ自分の宝物である赤ん坊を強く抱いた。
男はカーテンをよけ、中に入った。
女は後ずさった。
作りかけの編み物が転がった。
女の足に糸がからまる。
嬉しさのあまりに声もあげられぬ女に、自分は何ができるだろう。男は考えた。
抱きしめてやることしかできないな。
男は女に寄っていった。
女は片手で赤ん坊を抱いたまま、編み棒で男を刺そうとした。精一杯の抵抗だった。
しかしからまった毛糸が彼女の最後の抵抗まで縛り上げた。
男はニッコリ笑って編み棒を彼女の手から奪い去り、喉元をめがけて振り下ろした。

糸が、絡まる。
男に。女に。
世界に。

何度も何度も、編み棒は女の体に、彼女の抱いていたものに吸い込まれては引き出されていた。

糸はただ絡まった。解かれることもなく。



アパートの一室で起こった、血にまみれた事件は解決の目処が立っていない。
女と赤ん坊は、毛糸でぐるぐる巻きにされていた。
編みかけの靴下は片方だけ、彼女の足元に転がっていた。



あのとき、ちらりと見かけた女は美しかった。
あの女を見るだけで、僕は勇気が湧く。

遠くから撮った彼女の写真は、今日も僕を見つめている。
少し困ったように笑って。
13番目の「靴下」とどうぞ合わせてお読み下さい。追って今日はもう1本、優しい夫婦のやさしいお話を追加します(こっちはこわくないよ!)。お楽しみに。
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