第五章 その4
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横浜市の中華街のすぐそばにある山下署二階の取調室で、刑事課課長補佐の
一条みちる警部は自分と同い年の新井という男を相手に、業績の良くない会社に
よく見られるくだらない会議のような取り調べを行っていた。
「いい加減に全部話しなさい」
一条は言った。肩よりやや短めの髪を後ろへ流し、透き通るような白い肌の
気品のある顔を見せている。物騒な港町の女刑事というより、山の手の賢い
社長令嬢に見えた。しかし、ここは確かに薄汚い壁に囲まれた暗い取調室だ。
山の手のお嬢さんがこんなところで、頭に大袈裟な包帯を巻いて、酒の匂いを
漂わせた目つきの悪いチンピラと向かい合っているはずがない。
要するに、彼女は警官なのだった。
「別に、話すことなんて何もない」
新井は俯いたまま言った。白い包帯とは対照的な浅黒い肌と無精髭が、
実際以上に不潔に感じられた。
「あなたが湊組の鉄砲玉だってこと、こっちはちゃんとお見通しなのよ」
一条は腕を組んだ。「言いなさい。あそこで誰を待ち伏せしてたの?」
「何言ってんだよ、あんた」と新井はせせら笑った。「俺はただあのホテルの
前で、人と待ち合わせしてただけさ。待ち合わせだよ、待ち合わせ。
待ち伏せじゃねえよ」
「あなた、そこの鏡で自分の姿をよく見てご覧なさい。ホテルの前で
待ち合わせする格好じゃないわ」
一条は言うと汚れたウィンド・ブレーカーに膝の破れたジーンズ、
素足に派手な模様のビーチサンダルを履いた新井をまじまじと眺めた。
「どんな格好しようと俺の勝手だろ」
「ええ。でも、持ってた物が気に入らないわね」
一条は立ち上がって鉄格子のはまった窓の下まで行き、腕を組んで
振り返った。「あの拳銃で誰を狙ってたのよ。まさか、待ち合わせの相手?
だとしたらそれを待ち伏せって言うのよ」
「拳銃はただ持ってただけさ」新井は一条から目を逸らせた。「あんたの言う
とおり、俺は湊組に世話になってるし、拳銃の一つも持つさ。あんたもそれで
俺をパクったんだろ?」
「そうじゃないわ。透視能力があるわけじゃないんだから。あなたがあたしを
見て逃げたからおかしいと思ったのよ。あなたったら、赤信号を飛び出して
車とぶつかっちゃって──そこまで必死になるなんて、何かあると思うのが
普通でしょ? 案の定、あなたの上着から拳銃が出てきた。おまけに、
あのホテルのメイン・ロビーの見取り図も一緒に」
一条は新井の横に立った。「これはどう考えても、誰かを狙ったってことよ」
「ち、違う」
「あなたたち極道同志の殺し合いなんて、こっちにしてみたら勝手にやって
くれって感じなんだけど、あんな往来でやられたら迷惑なのよ。どうしても
銃が撃ちたいのなら、どこかの戦場にでも行ったら?」
「……ふん、生意気な姉ちゃんだな」
「優しくして欲しいんだったら、別のところへ行くのね」
「いいから、さっさと訊くこと訊いて終わりにしてくれよ。拳銃の入手経路か?
それとも──」
「こっちの訊きたいことはただ一つ。あなたが誰を狙ってたかってことよ」
「だから、別に誰も狙ってなんか──」
「八王子市明神町」
「えっ?」
「奥さんの実家だったわよね」一条は席に戻った。「確か今、そこに
いるんでしょう? 奥さんと娘の麻衣ちゃん」
「どうしてそれを……」
「何を寝とぼけてるのよ、こっちは警察よ。それくらい調べ上げるのに
たいした手間は掛からないわ」
一条は両手で頬杖を突き、嬉しそうに微笑んだ。「奥さん、どの程度まで
ご存じなのかしら。テキ屋の亭主が本当は何やってるのか」
「……おまえ、人を脅す気か?」
「あら、人聞きの悪い。強請り恐喝りはそっちの常套手段でしょ」
新井は上目遣いで一条を睨みつけた。逆に一条はその独特の人を
見下したような視線を新井に向け、勝ち誇ったような笑みを浮かべて言った。
「さっさと白状しなさい。あなたがどんな理由で組に恩義を感じているのか
知らないけど、どうせ正式な組員じゃないんだし、今さら助けちゃくれないわ。
だいいち、ここであなたが義理立てしたって、もう無駄なのよ」
「……分かったよ」
新井は俯いて舌打ちした。そして開き直ったかのように胸を張って一条を
真正面から見据えると、咳払いを一つした。
「湊組が関西系の組織だってこと、あんたも当然知ってるだろ? 組長の
兄弟分はほとんどが関西の親分さんだ。その中の一人から、組長が
頼まれたのさ」
「誰をやれって?」
「何でも、その組から拳銃を横取りして、それをダシに組から金を巻き上げ
ようとしてるやつがいるらしい。そいつが今、横浜に来てるらしいんだ。
それでそいつが、大阪から出てきたその組の人間と取り引きするために
今日の五時にあのホテルに現れるから、取引が済み次第そいつを
殺ってくれって」
「なるほどね」と一条は頷いた。「別の組の人間にやらせれば、足がつくことも
ないものね。おまけに馴れない土地じゃ、自分たちで動くよりもそっちの方が
確実に消せるわ」
「そういうことなんだろうな」
「五時って言ったわね」一条は時計を見た。「まだ充分間に合うわ」
「俺はさっき下見をしてたんだ。そこへあんたが現れて──」
「あたしが警察の人間だって、よく分かったわね」
「極道の組に出入りしようって人間が、警察の顔を知らねえでどうするんだ」
新井はふんと笑った。「特にあんたは有名さ。東大出のエリートのくせして、
現場にしがみついてる変わりもんだってな。実際、ここの連中も迷惑してるん
じゃねえのか?」
「さあ、どうかしらね」と一条は肩をすくめた。「それにしても、下見に行くだけ
なのにどうして丸腰で行かなかったの?」
「拳銃なんか持つの初めてだったからな。部屋に置いとくのも落ち着かなくて、
つい」
「それで良く鉄砲玉がつとまること」
一条は呆れて新井を見つめ、小さく笑った。「で? その横取り野郎の
名前は何て言うの?」
「野郎じゃねえ。女だ」
「女?」と一条片は眉を上げた。「女が暴力団相手に強請り?」
「そういうあんたも女だろ」
「いいから。女の名前は?」
「ええっと、何て言ったっけな──」
新井は言うと顔をしかめて頭を掻いた。「アパートに写真置いてきたけど、
一目で水商売って分かる女さ。確か──キョウコとかいう女だった」
「キョウコ?」
一条は復唱すると、ゆっくりと身を乗り出した。「……名字は? ちょっと、
何とか思い出しなさい」
「うーんと……」新井は首を捻って俯いた。
「……田所っていうんじゃなかった?」
「そう、それ!」と新井は声を上げた。「……何だよ。やっぱ最初から知ってる
んじゃんかよ」
「……冗談じゃないわ」
一条はぽつりと言った。
「え? 何だって?」
「……またあっちの事件に手を貸しちゃったってこと?」
「だから、何言ってるんだよあんた」
「こっちの話よ」
一条は溜め息混じりで言うと首を振った。しかしすぐに諦め顔になり、
新井をじっと見つめて情けなさそうに小さく笑った。
「……お互い、割に合わないわよね。よその仕事で我が身をすり減らして
るんだから」
「放っとけよ」
新井はふてくされて顔を逸らせた。
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