第五章 その3(前)
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JR大阪駅で鍋島は二人と別れ、阪急線で十三へ行った。昨日の芹沢に
引き続いて聞き込みを行うためである。
芹沢は萩原を自分のマンションへ送っていったあと、署に戻った。ロッカー
から押収したアタッシュ・ケースを入れたままの車を庁舎西側の駐車場に
停め、しっかりと施錠して堂島川沿いの玄関に回った。
玄関ホールに入るとすぐ、芹沢は目的の人物を見つけた。刑事部屋に戻って
不在ならば、彼の携帯電話を鳴らして連絡を取ろうと思って帰ってきたのだが、
幸運にも彼は外出してはいなかった。おそらく、美人の誉れ高い夫人の作った
愛妻弁当を食べに刑事部屋に戻ってきて、これから再び捜査に出かけるの
だろう。にこにこと笑い、警察学校を出たばかりの若い婦人警官と立ち話を
して彼女を笑わせている様子は、いつもの剽軽な彼を良く現していた。
数歩進んだところで、芹沢は彼に声を掛けた。
「松本主任」
松本と婦警の両方が振り返った。婦警はいっそう笑顔を輝かせ、芹沢も
彼女に微笑んで見せた。
それから少し表情を堅くして、「ちょっと」と頷いた。
松本は婦警と別れ、芹沢に近づいてくると薄笑いを浮かべて言った。
「……何や。もう彼女にもおまえのツバがついとんのか」
「違いますよ」と芹沢は迷惑そうに笑った。「主任に話を聞きたいと思って」
松本は片眉を上げた。「東条組の件か」
「ええ」
芹沢は頷き、松本を駐車場へと促した。
「何や、何かあるんか?」
「……まあ、ちょっと」
芹沢は松本を車に誘った。中之島に渡り、水晶橋の南詰
付近で道路脇に停車させると、サイドブレーキを上げて松本に振り返った。
「その後の本部の動き、どうなってるか分かりますか」
松本は煙草を咥えて灰皿を引き出し、「変化なしってところやな」と言うと
煙を吐いた。
「工場の方は? 拳銃の製造を請け負うっていう」
「同じや。ガサをかける機会を伺ってるんやろ」
「伺ってるんじゃなくて、逃したんじゃないですか」
「逃した?」松本は眉根を寄せた。
「本部の動きが止まったのは、組側の動きが止まったからですよ」
「……おまえら、何か掴んだんやな」
芹沢は口の端だけで笑った。「その工場の親父って、どんなやつだか主任は
知ってるんですか」
「矢野のことか」
「名前は知りません。坊主たちのアパートにガサ掛けたやつです」
「キレたストーカー風の男やて言うてたけど、違たんか」
「ええ」
男がストーカーなどではなくロッカーの鍵を捜していたことは、さっき判明した。
「子供らの母親が行方不明なのも、それに関係ありか」
「そうです」
「上島が死んだのは? 事故死やないと見てるんやな?」
「もちろん」
松本はゆっくりと頷いた。灰皿に煙草を打ちつけ、また口に運んで目を細めた。
「──矢野言う男は、アマ(兵庫県尼崎市)でちっちゃい町工場
やってる男や。自動車のメーカーの孫受けの孫受けみたいなとこで、
長引いた不景気のせいで借金だらけでどないもこないもならんように
なってしもてる」
「そこに東条組が目をつけたってわけですね」
「ああ。矢野は組の系列のヤミ金から借金させられてるからな。追いつめ
られたら何でもやりよる。水商売の女を薬漬けにして借金掴ませて、あとは
ソープに沈めんのと同じやり口や。あいつらのやることは何ひとつ変わらへん」
松本はじっと芹沢を見つめた。「矢野が上島を殺ったんか?」
「さあ」と芹沢は首を傾げた。「ただ、拳銃の関連で上島が消されたのは
間違いないみたいです」
「どういうことや」
「さっき、坊主が母親から預かったっていうコインロッカーの鍵を渡して
くれたんです」
「矢野が捜してたんはそれやな」
「間違いないでしょうね」
「今の今まで黙ってたんか、あの坊主は」
「ええ」
「……ガキのくせに、どこまでも油断ならんな。それで?」
芹沢は後部座席に振り返り、シートの下に隠しておいた例のアタッシュ・
ケースを引っぱり出した。松本は怪訝そうにその様子を眺めていた。
「これなんですけど、実は──」
「おい、ちょっと待った」
松本はケースを開けようとした芹沢の手を制した。芹沢は顔を上げた。
「見せん方がええのと違うか」
「どうしてです?」
「中を見せられた以上、立場上こっちも動かんわけにはいかんように
なるからや」松本はじっと芹沢を見据えた。「そうなると、いずれこの事件
全部が本部に渡ってしまうぞ。このブツだけやのうて、女の行方捜しも、
子供の処置も、一切合切おまえらの手を離れるんや。おまえらはそれで
ええんか? ええはずがないやろ?」
芹沢は小さく頷いた。
「当然や。ここで本部に持って行かれたら、子供を預かってまで追いかけて
きた今までの苦労が水の泡やからな」
「そうですね」
「なら、俺は見ん方がええやろ」松本はにっと笑った。「ええか、このことは
しばらく俺の胸にしもとく。誤解してくれるなよ、責任逃れしたいのと違うで。
今も言うたように、ここで俺がおまえらの手札を全部見たら、おまえらは
たちまちゲームオーバーになってしまうからや。せっかくええ札を持ってる
のに、それではあんまりやろ?」
「ええ、あんまりですね」芹沢も小さく笑った。
松本は煙草を消し、細く開けていた窓を下げて外気を入れた。同時に
周囲の騒音も入って来た。
外の景色を眺めながら、松本は言った。
「──俺、この前自分らに言うたよな。『ケツに火が点く前に言うてこい』って」
「そうでしたね」
「まだやで」
「は?」
松本は振り返った。「まだ火が点くどころやないって言うてるんや。それ
どころか、連中はおまえらのケツの場所さえも分かってない。そんなときに
俺の出る幕はないってことや。もうちょっと自由にやってたらええ」
「主任──」
「ま、おまえらと一緒に仕事してみたいのはやまやまなんやけど」
松本は明るく言った。
「問題児ですよ、俺たちは」
「怖いもん見たさというのがあるやろ。あれや」
そう言うと松本はドアを開けた。「まあ、上手いことやってや」
「すいません。気を遣ってもらって」
車を降り、公会堂の正面に向かって歩き出した松本は、五メートルほど
行ったところで突然振り返り、相変わらず悠々とした歩調で戻ってきた。
そして開いたままの窓に腕を掛け、中に顔を突っ込むと彼は訊いてきた。
「自動式か」
突然の質問に芹沢はいささか驚いたが、すぐにその意味を呑み込むと
小さく首を振って答えた。
「回転式です。ルガーのGP100だって、鍋島は言ってました」
「へえ。連中、そこそこ定番好みやな」
松本は首を引っ込め、行きかけた道を進んでいった。
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