Side:レン-10-
俺は結局、サクラの陰謀にはめられるような形で、結婚式を挙げるというか、挙げさせられることになった。そしてその報告をベルビュー荘のミドリさんや久臣さんにしにいった時、彼らが言っていたことで、俺は心底驚かされることになる。
ミドリさんなどは、
「いつか絶対こうなると思ってたわ」
と、少女のように目を輝かせながら言い、
久臣さんは、
「いやあ~、人生っていうのは、小説よりも奇なりっていうけど、本当だねえ」
さらに、たまたま遊びにきていたミズキまでが、
「それを言ったら、真実はですよ、久臣さん」
と訂正したあとで、
「もしかして、偶然DVDを借りるか何かして、知ったんですか?サクラさんの本当の気持ち」
などと言いだす始末。
俺はミズキの言っている言葉の意味がわからず、首を傾げるばかりだった。
「『ロマンス通り113番地』のことですよ。あのドラマが放映中、レンさんはアフガンにいってましたけど、あれを見たらサクラさんの恋心がもう、モロバレっていうか」
「ドラマの視聴率、すごかったのよ~」
そう言って、ミドリさんが俺に麦茶を勧めた。
場所は、改装したベルビュー荘の二階、歓談室でのことだった。
一階に職員の人が数名いて、お年寄りの世話は今、彼らがしてくれている。
そこでミドリさんは休憩時間をとり、俺やミズキ、久臣さんと一緒に話をしていたというわけだ。
「脅威の三十パーセントごえ!!今は見逃してもネットとかで色々見られるし、視聴率なんてたぶん、二十パーセントも超えれば、御の字なんだと思いますけど……久臣さんはその時、サクラさんの脚本読んで先に知ってたんですよね?」
「うん、一応はね。やっぱりこの子はレンくんのことが好きなんだな~って、そう思ったよ」
「……あの、話見えてないのって、マジで俺だけですか?」
ミドリさんが勧めてくれたせんべいに手を伸ばしつつ、俺はそう聞いた。
三人はそれぞれ、いかにも意味ありげに目配せしたり、顔を見合わせたりしている。
「えっ!?じゃあべつに、『ロマンス通り113番地』は関係ないんですか!?」
「じゃあ、どうやってレンくんはサクラちゃんの気持ちを知ったの!?」
「ほほーう。こりゃ興味深いねえ。次の俺の小説のネタに、ちょっと詳しい経緯を教えてもらえないかね?」
「あ、僕も漫画のネタにしちゃおっかな~なんて……」
俺は意味がわからないあまり、頭が軽く混乱状態に陥りつつあった。
「なんで、そうなるんですか。第一、俺あいつのドラマなんて見たことないですよ。本人も今さら見るな、見たらぶっ殺す!!とか言ってるし」
俺はせんべいの袋を破ると、それにボリボリかじりついた。
サクラの奴がよくそうするみたいに、豪快に食べカスが歯の間から飛ぶ。
「そりゃまあ、確かに僕ですら見てて少し恥かしかったですもん。それが知ってる人の恋愛だからそういう気持ちになったんだとは思いますけど――ぶっちゃけ、僕が好きな人に漫画とおして告白しちゃうみたいな、そんな感じのことですよね」
「だよなあ。『お願い、いかないでぇ、レェン!!』って、アフガンに旅立つ恋人のことを駅のプラットフォームで追っていくんだよ。でも主人公は途中で無様にもすっ転んじゃって、顔はもう涙でぐしゃぐしゃで……この女の子がほんと、演技がうまくてさ。当時はまだ新人だったけど、あれでもう若い女性の人気鷲掴みみたいな?」
「本当にねえ」と、ミドリさんも頷く。「あたしたちもこれで結構、気を遣ってたつもりなのにね。レンくんがサクラちゃんの気持ちに気づいてくれるといいなと思って」
「……………」
――俺はこの時、物凄くショックを受けた。
実際、サクラが一体いつごろから俺をそう思っていたのかというのは、曖昧なままで……『ロマンス通り113番地』というシナリオは、あいつが初めて書いたテレビドラマの脚本だということくらいは知っていたけれど、まさかそんなストーリーだとはまるで知らなかった。
「まあ、今さらあれ見られたら、俺なら間違いなく恥かしさのあまり憤死しちゃうな。だから、レンくんも知らない振りしといたほうがいいと思うよ。で、何十年後かにもし、夫婦の危機っていうのを迎えたら――泣きながら見るといいよ、あのドラマ。あいつって、本当は昔、俺のことがこんなに好きだったんだ~うっうっとか、そんな感じでさ」
「そうねえ。サクラちゃんとレンくんがもし、六十歳くらいになってから見たり、あるいは金婚式とか銀婚式を迎える頃にでも見たらいいかもしれないわねえ」
「ですよねえ」と、ミドリさんに同意するミズキ。「羨ましいなあ、ほんと。僕も誰か、いい人見つけなきゃ。毎日家に籠もって原稿ばっかりガリガリやってないで」
そのあと俺は、ミズキの漫画のことや彼のプライヴェートなことに話を振ったりしていたけれど……頭の中からは、『ロマンス通り113番地』のことがずっと離れなかった。
それでサクラのマンションへ戻ってから――あいつに思いきってそのことを聞いてみようと思ったのだ。
「レン、今日巻き寿司にするから、ごはん扇いでてくれない?」
ふたりでそんなに食べられるか?と言いたくなるくらいの大量のごはんを、サクラはしゃもじでかきまわし、そこに酢を振りかけている。
「具のほうは、適当に買ってきたから、自分でノリ→ごはん→具をのっける→巻いて食べるって感じで食べて。ん~、寿司酢ってほんと、ごはんと混ざるといい匂い。あっ、あとおいなりさんの袋も買ってきたんだ!それにもごはん詰めて食べっこしよう!!」
「食べっこっておまえ、ガキじゃないんだからさ」と、俺は笑った。そしてつやを出すためにうちわでごはんを扇ぎながら、サクラの奴にこう聞いてみた。
「今日、ベルビュー荘へいってきたら――みんなに言われたよ。『ロマンス通り113番地』を見て、おまえの気持ちに気づいたのかって」
すると、ごはんから立ちのぼる熱気のせいばかりでなく、サクラの顔がみるみる赤くなっていくのがわかった。
「でさ、俺、おまえが脚本書いたドラマって全然見たことないだろ?久臣さんは、これから夫婦の危機ってやつを迎えたら、俺がそれを見るのがいいっていうんだけど――サクラはどう思う?」
「どうって……」
手のほうがすっかりお留守になったあいつに代わって、俺は寿司酢を足してごはんをかきまぜた。
「まあ、こんなもんかな。あと、具はシーチキンとか納豆とかカニカマサラダにマグロなんかか。なんとなくいいな、こういうの。うちは高級な寿司とかは食わせてもらえるんだけど、こういう家庭の味みたいのって、なかったからさ」
「ねえ、レン。本当のこと言って」
サクラの奴があんまり真剣な顔をしてるので、俺は久臣さんが言ってたとおり――もしやサクラの心の地雷原に踏み込もうとしているのかもしれないと、そう直感した。
「見たんでしょ!?ミドリさん、あたしが脚本書いたドラマは全部、DVD持ってるって言ってたもん!!それで、みんなでDVD鑑賞してあたしのこと、笑ってたんでしょ!?」
「違うよ、そうじゃなくて……」
俺は寿司酢を混ぜたごはんをすくって食べると、それをサクラの口元にも持っていった。
でも、彼女はプイと顔を背けたままでいる。
「知らないっ!!もうレンなんて大っキライッ!!」
――俺はこのあと、サクラに「本当に見ていない」ことを納得させるのに、物凄く無駄な労力を費やしたような気がする。
そんなわけで、俺は見るとサクラの切ない恋心がわかるという『ロマンス通り113番地』はいまだに見ていないのだ。
その内容については今も、物凄く気になってはいるのだが……。