Side:クマちゃん-1-
バンビーナに紹介したい人がいると言われた時、クマちゃんは少し複雑な気持ちになった。
昔、お世話になった下宿に住んでいた男性で、今は画廊で自分の描いた絵を売って生計を立てている人物だという。
(ようするに、芸術家肌の少しエキセントリックな感じの小僧なんだろうな)
そうクマちゃんは思った。
一応、バンビーナの前では鈍いクマ公を装ってはいるけれど、彼女に時々誰か男性の影らしきものがちらついているというのは、クマちゃんにもよくわかっていることだった。
「アフガニスタンに二年くらい行っててね、帰ってきてからは画業に専念しているの」
そうだろうとも、女っていうのは、そういうイラクとかアフガニスタンとか、危険地帯から無事帰ってきた男に、自然心が惹かれてしまうものなのに違いない。
ところがその水嶋蓮とかいう男が、帰国後すぐに結婚したと聞いて――バンビーナは相当落ち込んでいた。
バンビーナがそのために自分は落ち込んでいるわけじゃないというように、理由をひた隠しにしたから、クマ公もその件については特に深く聞くことはしなかったとはいえ……まさか、結婚する前に当のその男に会ってほしいなどと言われるとは思ってもみなかった。
「この間画廊で会ったら、なんか連れて来いっていうから」
(画廊で会ったらだって?)と、クマちゃんの心には、猜疑心の雲がもくもくと広がっていった。
バンビーナとそのレンとかいう男は、普段どのくらいの頻度で会っているものなのだろう?
もしかして、俺に隠れてこっそり不倫を……いや、もしそうだとしたら、バンビーナが会ってほしいなどと言いだすはずがない。むしろやましいところなどまるでないから、一度会ってほしいということなのだろう、とは思う。
でも何故かやはり、クマちゃんは気が進まなかった。
もし会ったら決定的な何かが起きてしまうのではないかという予感がした。
そう、たとえば――会って手を握った瞬間に、(こいつは俺のバンビーナと少なくとも一度は寝たことがある)と閃いてしまうといったようなことだ。
そんなわけで、クマちゃんはなんとか理由を思いついてその芸術男と会うのを辞退したいと思っていたけれど……バンビーナがどうしてもというのを断れず、その日曜日、やはり画廊のガロという場所まで彼女の運転で出かけていった。
クマちゃんはインターネット企業のCEOとして――これまで、数えきれないほど多くの人間と握手する機会に恵まれてきた。
そして握手というものは相手の第一印象をはっきり決めるものとして、とても大切な儀式だと考えるようになっていた。
今、自分はなんの偏見にも囚われず、バンビーナの元彼氏かもしれない男と相対しようとしている……最初の握手、これがうまくいくかどうかで、今日一日の自分の運勢が決まりそうだと、そんなふうにクマちゃんは思った。
つまり、例のレンとかいう男が見るからにいけ好かない男だった場合――その後バンビーナがいくら気分を盛り上げるようなことを言ったりしたりしてくれたとしても、「いや、今日は真っ直ぐ帰るよ」と言う以外のことは何も出来ないだろうということだ。
せっかくこれから結婚して幸せになろうというのに……何か余計な事態が持ちあがらなければいいがという、今クマちゃんが願うのはそのことだけだった。