Side:レン-1-
親友の紺野がタリバンに拘束されたと聞いた時、不思議と俺は驚かなかった。
いや、正しくはあまりに驚いてショックを受けるあまり――そのことがとても現実に起きた出来事であるとは思えず、脳内で一瞬思考が停止した、といったほうが正しいかもしれない。
とにかく俺は、そのことをベルビュー荘で夕飯を食べている時にTVのニュースで知ったのだ。
真っ黒く日焼けして、眼鏡をかけた面長の親友の顔をTVで見るなり、俺はミドリさんと少しの間ただ呆然としていたと思う。
久臣さんは印刷所の夜勤、ミズキは自室で漫画描きに熱中、サクラとほたるはどっちかの部屋で例の脚本について話し合っている真っ最中……といった頃の話だ。
俺はベルビュー荘の居間にある電話から、紺野が所属しているNGO団体に電話してみることにしたが、生憎話中で、何度かけ直しても全然繋がらない。
「無理ないかもしれないわね。だって、これだけマスコミが騒いでるんですもの……コンちゃんがうちにいた頃、実家の電話番号を書いたメモがあったと思うけど、そちらに電話してみる?」
そう言ってミドリさんは、電話の横の棚から過去にベルビュー荘に住んでいた住人たちの連絡名簿を取りだしている。でも俺は、名簿を捲ろうとする彼女の手をとって、それをやめさせた。
「いや、今から直接ワールドボランティアセンターの事務局まで行ってみるよ。俺も一度だけとはいえ、ネパールへ行ったことがあるし……代表の沖永さんとか、事務スタッフの人とも、一応知りあいだから」
心配そうな顔のミドリさんに、「何かわかったらすぐ知らせる」と約束し、彼女から携帯電話を借りた。
それと、言うまでもないこととは思ったものの、一応紺野のことは俺とミドリさんと久臣さんの三人だけの秘密ということにしておいたほうがいいと思い、念のため、俺はミドリさんにそう言っておいた。
今のベルビュー荘の住人の中で、紺野道弘のことを直接知っているのは、俺とミドリさんと久臣さんの三人だけである。
彼は十七歳の頃、いわゆる暴走族のヘッドというのをやっており、校内でもかなり浮いたタイプの生徒だった。それというのも、俺が通っていたのは有名私立の進学校で――そもそも「ヤンキー」などと呼ばれる人間は及びでない環境だったからだ。
紺野の両親というのはかなりおかしな人たちで、どんなに手を尽くしても一人息子を更生させることが出来ないとわかるなり、一千万もするバイクを買い与え、「もうこれでおまえが死のうがどうしようが自分たちには一切関係ない」と言い放ったという。
「おまえの親、狂ってるんじゃないか?」
彼とはまた別の意味でクラスに馴染んでなかった俺は、昼休みなどに自然、紺野と話すことが多くなり、そんなふうにして俺たちは仲良くなった。
「狂ってるも何も、おまえならどう思う?もし自分の血の繋がった実の親から――本当の意味で愛情をもらえなかったら、好きなバイクでも買ってもらう以外、あいつらに一体何をしてもらえってんだよ?」
「それにしても、あのハーレーが一千万か。俺だったら、バイクじゃなくキャッシュでもらって、それで事業でもはじめるけどな」
「こんなクソいまいましい学校やめてか?」
「ああ、そうだな。頭に百回くらいクソのつくこんな学校、即やめてやるよ。もし俺の手元に一千万あったとしたらな」
「ふう~ん。俺はまだわかんね。親父みたいに事業家になんてなりたくないしさ。とにかく今俺が一番燃えてんのはバイクだ。レースで負けたくない奴がいるんだよ」
紺野は高速で、他の暴走族のグループとスピードを競ってレースをしていたらしい。
といっても、俺が奴とつきあいがあったのは校内だけだったので、あいつが外でどのくらい暴れまわっていたかというのは――怪我の数くらいでしか推し測ることはできなかった。
とにかく、当時の俺に紺野のことでわかっていたのは、次のことだけだったかもしれない。
あいつは早く死にたがっていて、実際近いうちにそうなるかもしれないにせよ、それは本人以外の誰も決して止めることはできないだろうということだ。
そしてあいつはとうとうバイクの事故で死にかかり、九死に一生を得たところで、不思議な縁から<ベルビュー荘>へ転がりこむことになったと俺は聞いている。
紺野が高校を中退した頃、俺は芸大へ入るためにかなり必死で勉強していた。
俺が入学を希望していたのは、一浪・二浪は当たり前といわれる大学だったが、何故か俺はその大学へ現役合格することにやたら拘っていた。
今にして思えば、何故そんなに拘っていたのか――思春期の七不思議としか思えないにしても、次のことだけははっきり言えたかもしれない。
俺の母親は中・高一貫の私立校を俺が受験する時、神社でお百度参りをしたという。
もちろん、俺は彼女にそんなことをしてくれと頼んだ覚えはまるでなく、もっと言うなら「生んでくれ」と頼んだ覚えもなかった。
そしておふくろは俺が芸大を受験すると知るなり、今度は彼女の信仰する“スピリチュアルな存在”とやらに毎日祈りを捧げるようになった……ここまで聞いて、おわかりいただけるだろうか?
紺野の両親が愛情のかわりにコカインを買う金をくれる狂った親だったように――俺のおふくろもまた別の意味でおかしな母親だった。
つまり、俺はおふくろがヨガマットの上でクリスタル製の弁天様に祈ったから芸大に現役合格したのではなく、必死に努力をし、勉学に励んだことで己の目標を達成したということだ。
まあ、このことについてはまたあとで触れるにしても、俺は自転車でワールドボランティアセンターの事務局へ向かう途中、紺野の奴とその昔話した色々なことを思いだしていた。
バイクの事故で大怪我をし、「人間そう簡単に死ねるものではない」と悟った紺野は、死ねない以上は生きるしかないと思い定めるものの、かといって今度は何をどうしていいかがわからなかったという。
そんな時、ベルビュー荘でミドリさんの温かい人柄に触れ、彼女が一人たったの二万ぽっちの下宿料で何故割に合わない仕事をずっと続けていられるのか――不思議になってそのことをミドリさんに聞いてみたらしい。
家賃・光熱費・食費、その他もろもろ差し引いたら、手元にお金なんてほとんど残らないんじゃないですか、と。
すると、ミドリさんはこう答えたという。自分の息子が死んで保険金が一千万手に入ったけれど、お金なんていくら手元にあってももう意味はない……それよりも、安い下宿料で何がしかの理由で生活に困っている人を助けるほうが、息子も喜ぶだろうし、そのことが今の自分にとっては何より一番の生き甲斐なのだ、と。
紺野はミドリさんのその言葉を聞いて以来、死ぬ気で変わることを決めたという。
まずはホームレスの人を支援する活動に携わり、やがてワールドボランティアセンターの代表者である、沖永さんと知りあいになり――カンボジアやシエラレオネ、パレスチナといった国や地域でボランティアスタッフとして働くようになった。
ちなみに、俺がある女性に骨抜きにされてすっかり腑抜けになっていた頃、俺にベルビュー荘の2号室を譲ってくれ、さらにネパールでの井戸堀りへ連れだしたというのが、他ならぬこの紺野道弘だった。
「おまえさ、こんな生活ばっか送ってたら、いつか絶対死ぬんじゃね?」
パレスチナにいた時、泊まらせてもらった部屋に銃弾が撃ちこまれたという話を聞いて――俺はそう言ったことがある。あいつが今度はアフガニスタンへ行くと聞いた時も、「今度こそ死ぬなよ」と電話ごしに伝えた。
もちろん、「今度こそ死ぬなよ」なんて、変な日本語だ。
でも俺はそんなふうにしか、あいつに言ってやることが出来なかった。
まさか、イスラム武装組織に身柄を拘束されて死ぬだなんていう最後は、紺野の脳裏にもまるでなかったことだろう……そもそもあいつがボランティアスタッフとして働いている場所は、かなり辺鄙なところだと聞いている。
タリバンが支配権を握っている危険区域とも離れているし、それなのに何故そんなことになったのか、俺はまだTVのニュースにさえ流れていない情報を、沖永さんから直接聞きたいと思っていたけれど――事務所に何人ものスタッフが詰めかけ、電話の対応に追われている姿を見てしまっては、もう言葉もなかった。
外ではマスコミが建物に張りつくように固まっているし、俺がその場にいて「何か手伝える」ということがあるわけでもなく……いてもただ邪魔なだけだと悟った俺が、ベルビュー荘へ戻ろうと思った時のことだった。
「ミズシマくん。今、向こうでイスラム教の聖職者が何人か、タリバンと交渉してくれてるらしいんだ。たぶん、道弘の奴は大丈夫だよ。どうも車に乗っていてホールドアップされた時に、ジャーナリストと間違われたらしい……でも、孤児院の運営スタッフだと証明されれば、向こうも無事釈放してくれると思う」
外務省と連絡を取り合っていたらしい、沖永さんが一旦受話器を置いた時にそう言った。
だが、一度置いた電話がまたすぐに鳴り、彼はすぐにそれを受けた……話の内容から察するに、今度はどこかの新聞記者が相手だったらしい。
この時、ほんの少しではあるが、俺がほっとしてベルビュー荘へ戻り、ミドリさんに沖永さんの言葉を話したのが、大体夜の十一時二十分頃のことだったろうか。
「そうよね。日本から来た孤児院のボランティアスタッフだっていうことさえわかれば――きっと大丈夫よね」
ミドリさんはそう言いながらも、嫌な予感がする、といったような顔の表情をしていた。
そしてある意味、その彼女の勘は当たったといっていい。
何故ならその後すぐに紺野は身柄を解放されたというわけではなく、日本政府や外務省が随分ややこしい駆け引き(結局は金だったらしいが)をしたあとで、ようやくのことでアフガニスタンから帰国していたからだ。
実際、彼はTVのニュース画像などで見るよりも遥かにやつれており、随分ひどい目に遭わされたといったような印象だった。
それでも病院のベッドの上で、いつもどおり減らず口を叩くことだけは忘れなかったが。
「やれやれ。なんてことだよ。一時的に騒がれて、すぐに消えるニュース報道のために、ケツの穴までじろじろ見られたような気分にさせられるとはな」
「そう言うなよ。間接的にしかおまえを知らない連中はともかくとして――紺野のことを本当に知ってる奴らは全員、本当におまえを心配してたんだからさ」
そのあとあいつは、俺が随分器用にリンゴの皮を剥くので、「女みたいでキモいぞ」と言ってから、事の顛末を俺に話してくれた。
車を走行中に、AK47ライフルを持った連中に取り囲まれたこと、車から下りて膝をつけと言われ素直にそうしたが、後頭部を銃床で殴られた上、手足を拘束されてどこかへ運ばれたこと……。
「目隠しをされてて自分がどこへ向かってるのか、皆目見当もつかなかったけど、一応意識はあったよ。まあ、これと似たパターンを辿って最後に死んだ人間がいるってことも知ってたし、そんなことも覚悟の上ではあったけどさ。やっぱ言語の壁ってのはキツイな。俺はあの連中が何を喋っているのかさっぱりわからず、拘束されて二週間くらいが過ぎた時――外へ出ろとジェスチャーされて、「死ぬかもしれない」って覚悟した。そしてその瞬間のことを奴らはビデオテープに収めるだろうが、当然俺はその様子を見ることは出来ないんだと思った……その天幕へ連れてこられた時と同様、また目隠しをされて車に乗せられたんだが、俺はそれを単なる場所移動とは思わなかった。「自分はもう死ぬんだ」ってそう思ったら、目隠しごしに涙がでてきて止まらなくなったんだ。そしてあろうことか――下のズボンも涙で濡らしちまった。俺が車からなかなか下りようとしないのを見て、あいつらは笑ってたよ……この時ばかりは言葉がわからなくても、あいつらが何をしゃべってるのかはわかった。そしてたぶん、「勘違いするなよ、坊や」とか、何かそんなことを言ったんだと思う。以来、このザマさ」
紺野は俺が皮を剥いて四分割したリンゴを皿の上に置くと、オーバーテーブルの上からコップを手にとった。
手指が震え、やがてガラス製のコップを握っていられなくなり――あわやのところで、紺野はそれをテーブルに戻している。
「俺はさ、外務省のお偉いさんにも、拘束されてから何があったか聞かれたけど、このことは絶対言わなかったぜ。いや、医者のいうPTSDとやらで、コップもまともに握れなくなったっていうことじゃない。小便漏らしちまったって話のほう。タリバンの連中も、金のために日本の小僧の小さな名誉を守って、このことは誰にも言わずにおいてくれるだろうが――俺はこの話、おまえにだからするんだぜ、レン」
「ああ」と俺は頷いた。それ以上に言葉はいらなかった。
何故といってこれは、改造したバイクで高速を百キロ以上のスピードで走れる紺野が、死の絶望を前にして小便を漏らしたとか、そういう話ではなかったからだ。
「トラウマって奴はさ、前とまったく同じ状況を目の前にして、その状況に打ち克つことでしか克服されないっていうだろ?だから俺はそういう意味で――またもう一度アフガンへ戻りたいと思ってる。だけど、精神的には強い意志でそう思っていても、体のほうがついて来れなくなってるらしいんだ。沖永さんもさ、マスコミがまだもう暫く騒ぐだろうから、そういうのが収まるまでは日本で大人しく療養してろっていう。ちなみに医者も同意見。それと、次に行く場所はアフガンじゃなくて、別のところにしろってさ。それから状況を見てアフガンへは二~三年後に戻ったほうがいいんじゃないかって」
そう言って、紺野の奴はがっつり歯型をつけながら、リンゴをしゃりしゃり齧っていた。
その時の紺野の様子から、彼がどのくらい悔しい思いをしているかがわかって――俺は文字どおり、言葉もなかった。
いや、言葉もなかったというよりは、胸を打たれたといったほうがいいかもしれない。
「おまえは本当に、純粋で不器用な奴だよな、昔から」というのでは、俺の中では言葉として足りなかった。
だからただ黙って、もう一個青リンゴを剥き、それを持ってきたおろし金で下ろしてやった。
「ジジイみたいに手が震えるみたいだから、こっちのほうが食べやすくていいだろ」
俺がそう皮肉を言うと、あいつは個室の外に洩れるくらいの大声で笑っていた。
「それでこそ、まさに心の友ってやつだよ、本当におまえは。ジャイアン言うところの、偽りにまみれた友情ってやつだな」
「そうだな。俺はおまえがカラオケでミスチルしか歌わなくても――随分忍耐強く聞いてやってるからな。いまだに俺はおまえの歌う歌詞の良さがさっぱりわかんないけどさ」
「レンってさ、脳内の言語体系がちょっとおかしいんじゃね?大体、カラオケで英語のナツメロしか歌えない男ってどうよ?70年代のディスコヒットソングとかさー、女にモテたいから歌ってるとしか思えないもんな。『ボクって実はこんなに英語ができちゃうんです☆』的な?」
「しょうがないだろ。うちは育った環境がそれだったんだから……特に兄貴がさ、ビートルズが大好きっていう典型でさ。俺、いまだにビートルズの歌がトラウマなんだぜ?どんな名曲もガキの時から百万回も聞かされてりゃ飽きるって」
「ああ、♪イエスタデー、ふんふんふんふんふんふんファーラウェ~ってやつな」
「all my troubles seemed so far away……だろ?っていうかおまえ、その英語力でよく命知らずにも海外へ行こうっていう気になるよな。ペルシア語が出来るかどうかっていう以前の問題としてさ」
「うわっ!嫌味だね、この男は~。正確な発音で言い返してきやがりましたよ?つーかさ、そんなことよりもっと人間の世界では大事なことがあんの。たとえば、ボディランゲージとかさ」
紺野はそう言って茶化したが、床頭台の上にはNHKの英語テキストやその下に隠すようにしてペルシア語のかなり古ぼけた語学の本があるのを、俺はもちろん見逃していたわけではない。
実際、紺野の奴は呪わしい日本の英語教育のためか、彼が海外へ飛びだしていった頃というのは、今以上に英語が話せず通訳に頼りっぱなしだったという。もちろん、ボランティアとして海外へ派遣されるためには、ある一定の研修を受ける必要があるのだが、紺野の場合は言語を越えて周囲の人たちに好かれるという状況がいつもあったようだ。
本人はそれを「コンノ☆マジック」とか「ミチヒロ☆マジック」と呼んでいるが、そんなことはまあどうでもいいとして――俺は奴を見舞った二ヶ月後、紺野のかわりにアフガニスタンへ行くことになった。
別に、俺は誰かにそれを強制されたというわけではない。自分としても何か強い義憤に燃えて砂漠の危険な国へ乗りこんでいこうとか、そういう強い意志や気概といったものがあったわけでもなく――俺はよくあるパターン、「アラビアのロレンス」に憧れて砂漠の国へ行ったら、蠍や蛇に噛まれる以上に痛い目にあったというような、そんな自分を想像していた。
その頃、ベルビュー荘では、川上サクラが中心となって『ベルビュー荘のべらぼうに愉快な奴ら』という演劇の脚本が書き進められており、俺はそろそろ自分もここから立ち去る潮時がやって来たのかもしれないと思うようになっていた。
俺はミズキのことは、かなり気長に――彼が自分の部屋から自分の意志で出てくるのを待っていたとは思う。
でも、一年以上もの間、少なくとも彼は俺には心を開いたことがなかった。あとから聞いた話によると、俺の描いている絵が専門的な教育を受けた人間のもので、その才能の違いが恥かしくて「漫画を描いている」とは言えなかったとミズキは言っていたけれど……なんにしても、彼は誰かが何かをしたからというよりは、<時が来たから>自然と自分から繭のようなもの、あるいは卵の殻を破って外へ出てきたのだと、俺はそんなふうに思っていた。
そしてそうなってみて初めて、俺は川上サクラといういけ好かない女の存在を認めないわけにはいかなくなったというわけだ。
俺自身があの女に出会った時の最初の印象――それは自分の過去の記憶とも結びついた、<生理的嫌悪>に近いものだったといっていい。
俺は芸大なんていうものを出て、絵なんぞを描いてしまっているがゆえに……どうやら知らない間に、随分自分の直感とか第一印象といったものを絶対視してしまっていたのかもしれない。
そして俺の人生において、第一印象が最悪だった女(あるいは男)をその後見直したとか、自分の考えのほうが実は間違っていたと反省したなんていうことは、生まれてこの方一度としてなかったのだ。
こんなふうに書くからといって、俺が普段から偏見に満ちた皮肉な目で物事や人を眺めているとは思わないでほしい。
むしろこれは、俺にとっては経験からずっとそう学んできたことだったといっていい。
いくら「人は見た目が九割」という言葉があるからといって――俺は最初に出会った人間のことを、そう簡単に断罪したり、決めつけによって相手を不当に取り扱ったりしたことはない。
うまくいえないが、とにかくただ「わかる」のだ。そして次にこう思う……「いや、自分はわかったような気がするだけで、本当はわかってなどいないのではないか?」と。けれど結局、何かの拍子にその後必ず当たってしまうのだ。自分が最初に感じた第一印象やそのイメージに纏わることが、「ああ、やっぱりそうだったか」という形で。
そんなわけで、俺は特にこの川上サクラという女に関しては――自分の直感が正しいものと信じ続けていたし、そのことに拘り続けてもいたのだ。
(あんな女、そのうち自分から尻尾をだして、自業自得の破目に陥るだろう)とか、そんなふうに。
だが、このことも言葉でうまく説明出来ないのだが、どうもベルビュー荘に住んでいると思しき<目に見えない存在>は、俺のそんな高慢な心を見抜いたかのように、むしろ彼女のことを最初から恵み深く受け容れていたのだと思う。
こうしてベルビュー荘自身に自分の間違いを正された俺は、アフガ二スタンへ発つ前にサクラにあやまることにしたというわけだ。
もっとも、あいつにはアフガンではなく、ネパールへ井戸を掘りにいくということにしておいたけれど……そうでなければ、「あんた頭おかしいんじゃないの!?」とかなんとか、グダグダ一時間は同じことを繰り返しそうな気がしたからだ。
でも、この時にサクラから受けたある印象のことで――俺はかなりのところ、この女のことを見直したといっていいかもしれない。何故といって、普通なら「あんたって最低な男なんじゃないの?」と軽蔑されても仕方ない場面で、あいつは泣いていたからだ。
俺は女が、というか女性が、自分のため以外のことで泣くという場面を、ほとんど見たことがない。
俺のおふくろは息子の成績が下がると、「俺のため」ではなく自分のためにさめざめと泣いたし、俺が絵のモデルにした女性たちも、絵が完成して彼女に対する興味が薄れた時、「こんなに尽くしたのに可哀想な自分」という感じで、時々涙を見せることがあった。
自己中心的で身勝手なのを承知の上で言わせてもらうと、俺はその「感じ」が何故かとても嫌だった。
本当は自分のためなのに、「息子のため」という名目で泣くおふくろのことを連想してしまうからかどうなのか――とにかく俺は女の涙を見ても同情したいと思えない。「自分が悪いのはわかっているが、あやまっただろ」とか、そういう冷淡で突き放した感情しか持つことが出来ないのだ。
いってみれば、七津美さんとのことは、そういう俺自身の間違った生き方や考え方、感じ方などがこれ以上もないくらい極みまで高まったところで――一気に崩れ落ちてきたという、そういう出来事でもあったのかもしれない。
生まれて初めて手痛い失恋というものを経験した俺は、それまで絵のモデルになってくれた女性たちに対して、初めて本当に「すまない」という気持ちになったし、もう二度と誰かに対して同じような傷つけ方だけはすまいと、心に決めていた。
「それで、その人……ナツミさんと別れてからは、どうなの?」
サクラは足を組み、横向きになって煙草を吸っていたから、俺は彼女の頬に何か透明なものがあるのに気づいても、それがなんのためのものなのかが、最初よくわからなかった。
煙草の煙が目に沁みたとか、そういうことではないとわかっていたが、こいつは他人の失恋話を聞いて泣くようなタイプの女ではないし、むしろ自分の好奇心が満たされたことで、嬉々として喜ぶのではないかとすら思っていた。
もちろん一応、表面上はその<喜び>を隠す礼儀くらいは持っていたかもしれないにせよ。
「どうっていうのは?」
手の甲で涙をぬぐうサクラのことを見て――俺の中で、間違いなくこの女に対して持っていた印象や偏見といったものは、完全に消えてなくなったといっていい。
というより、何かのフィルターが突如としてなくなり、相手の本当の姿が見えてくるということがあるけれど、俺にとってはこの時がその瞬間だったのだと思う。
「だから、彼女と別れてからは誰か真剣におつきあいした人はいるのかってことっ!」
そう聞かれた時、俺は「七津美さんと別れてからは、暫く女はこりごりという感じだった」というようなことを話した記憶があるが――正確にはそれは嘘だ。彼女と別れてから、俺はまさしく<堕ちるところまで堕ちた>といったような感じの男に成り果てていたといっていい。
まるで悲劇のヒロインを気どる鬱陶しい女の男バージョンといったところで、「何故自分は仮面ライダーではなく、一ショッカーにすぎないのか」と、誰が聞いても相手にするのさえお断りといったことについて、いつまでもぐじぐじとナメクジのように悩み続けていた。
正確には、そんな<可哀想なオレ>を救ってくれたのが紺野の奴なのだ。
だから俺は、奇妙な話に聞こえるかもしれないけれど、アフガンには「あいつの仇をとる」ために行こうと思っていた。
あいつが母国へ戻ってからの、日本国民の反応及び、マスコミを含めた世論の動向といったものは、紺野に対して冷淡な感じのするものがあまりに多かったからだ。もちろん、「なんという素晴らしい立派な青年か」という意見もあるにはあったが、その反面彼が暴走族の元ヘッドだったことを暴く記事や、昔の友人が音声を変えて――「手のつけられない怖い奴でしたよ。逆らったらナイフで刺されるんじゃないかっていうくらい」とか、そんなことを言う場面はニュースの報道で何度も繰り返し流されていたのだ。
そして本当のあいつのことを知らない<世間一般>と呼ばれる人たちは、誤ったイメージが脳内にインプットされたためだろうか、「そんなことに国民の血税を無駄に使うな」と言うことさえしたのだ。
俺はその時のことを思うと、今でも腸が煮えくり返る思いがする。
だから、日本から見たら地球の裏側としか思えない砂漠に囲まれた貧しい国へ行って――いつか言ってやるつもりだったのだ。そんな過酷な環境で、紺野がどれだけ人から慕われ、必要とされる人間だったかということを。
でも、サクラが泣いているのを見た時……俺は初めてアフガンへ行くより、このままベルビュー荘にいて彼女たちが夢中になっている演劇の舞台を見守りたいと思ってしまった。舞台の初演は十二月二十三日だ。俺はその時までに戻ってこれれば戻ってくると、一応サクラにそう言いはしたものの、現実には難しいだろうとその時点ですでにわかっていた。
何故といって、クリスマス時期というのは、誰だって自分の国へ帰って羽を伸ばして休みたいものだ……だが、実際にはそういう休暇願いをボランティアスタッフがクリスマスや正月といった時期に合わせてだすことはあまりない。
それを来て間もない俺がやってしまうというのは、流石に気の引けることだったといえるだろう。
にも関わらず、何故俺が十二月二十三日に帰国することが出来たかというと――それは川上サクラが、俺が担当している<アフガン孤児院運営ブログ>に、丁寧というよりは慇懃な感じのする文章を何度か書き込んできたそのせいである。
一度、この演劇というのは、チャリティが目的で開催されるものなのかどうかという問い合わせが、日本の事務局のほうにあったのだそうだ。そこで、沖永さんは俺が更新を担当しているブログをチェックし、「とにかく一度帰ってこい」と別のスタッフをひとり手配してくれたのである。
もちろん、このことでサクラに何か責任があるというわけではないけれど……それでもあいつが俺に会うなり、「帰ってきて当たり前」といった態度でいるのには、多少驚いたかもしれない。
こちとら長いフライト時間に加えて(いくらその間寝ていたとはいえ)、気候の変化って奴にも耐えねばならなかったというのに――あいつは口にこそ出さないにせよ、「来るなら来るってなんでもっと早くにそう言わないのよ!」と心の中で思っているのが見え見えの態度だった。
といっても、そこはお互いに、お互いの顔を見てしまえばもうどうでもいい了解事項だったともいえる。
俺はアフガニスタンで随分この女のことを考えていた。
(恋?いや、まさか、それはありえねーだろ)といったように、日中の仕事を終えて子供たちが寝静まった頃、外の星を見上げては、サクラのことを思いだしたりしていたのだ。
もちろん、最初は「生理的嫌悪」すら感じた相手のことを、その後恋愛の対象として見るようになった……というような経験は、俺のそれまでの人生の中で一度としてなかった。
それなのに、何故なのだろう――俺は彼女が泣いていた横顔のことを初めて美しいと思ったし、その時の顔の輪郭が、いつまでも心に残って消えてなくならないのだ。
そして、(いやいや、あんな女のことは忘れよう)と俺が思った時、あいつから孤児院のブログに書き込みがあったというわけだ。
正直俺はその文面を見て、参ったなと思う反面、とても嬉しくもあった。
SAKURAという名前の書き込みを見た時、俺はてっきりあいつが、ミドリさんにでも本当の行き先や目的を聞いたのだろうとばかり思っていたが、なんとあいつはわざわざNGOの日本事務局にまで問い合わせをしたらしい。
>>SAKURA
突然の書き込みを失礼致します。
こちらの孤児院のブログに、水嶋さんの顔写真と名前が載っているのを見て、大変驚きました。
その前に日本の事務局のほうへ問い合わせて、あなた様がアフガニスタンへ行っていると窺ってはおりましたが、あまり本当のことと思われませんでしたので……ところで、『ベルビュー荘のべらぼうに愉快な奴ら』は舞台の準備が着々と進んでおります。
初演は十二月二十三日ですが、一時帰国できそうでありましょうか?
劇団員一同、水嶋さんの御帰国を非常に楽しみにしております。
また、お体には十分お気をつけになってお働きくださいますよう、心からお祈り申し上げます。
かしこ
元の本人の人となりを知っているだけに――俺はまったくあの女らしくない文面に、思わず吹きださずにはいられなかった。
同じ孤児院のスタッフが、暗い中でパソコンと向きあったまま笑い転げる俺を見て、「どうした?」と聞いてきたけれど「なんでもない」と言って、うまく誤魔化したくらいだ。
正直いって、日中は四十人いる子供の世話の他に、新しく建物を造るとか、教師の育成事業であるとか、これからの雇用の創出をどうするかといったことを話しあったり、ワークショップに参加しているうちに、あっという間に一日が過ぎる。
今四十人いる子供たちは、いずれまた増える予定なので、建物を新設しなければならないという計画のことや、子供たちを教える教師を育成するプログラム、また子供が大きくなったら働く場所をどう確保するのかといったことを、地元の人たちを交えて話し合ったり、他にも色々な面で互いに協力しあったりという、俺がしているのはそんな仕事だった。
そしてあまりにも当然のことながら――こうした事柄に常についてまわるのは、<金>の問題だといえよう。
そういう意味でブログの運営というのは、非常に重要だったといえるかもしれない。俺が使用する写真や書いた文章によって、もしかしたら寄付してもいいという人が増えるかもしれないし、あるいは減る可能性だってあるからだ。
日々の忙しさにかまけすぎるあまり、ブログの更新のほうはつい怠りがちになってしまうのだが、俺はサクラの書き込みを見て、かなりのところ元気が出たといっていい。
何故といって、紺野の奴のことは別にしても――アフガン行きについて話した他の友人の反応というのは、少し距離のあるものだったからだ。「おまえ、スゲェな」とか「ガンバレよ」とか、彼らなりに心から励ましてくれているということは、俺にもよくわかっている。
けれど、孤児院のブログにまでわざわざ書き込みをしたような奴は、サクラしかいなかった。
俺は立場上、一応簡潔で素っ気ない文章を返信しておいたが、それでいて心の中ではあいつがもしまた書き込みしてくれたらいいなと期待してもいたのだ。
よくわからないが、そんなふうにして俺はサクラのことを考える時間が増えた。
そしてもう一度あいつに会った時――自分の今感じている気持ちが恋なのか、それとも恋に近い友情のようなものなのかなんなのかがはっきりするだろうと、そう思っていたのである。