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袁紹的悪夢行  作者: 青蓮
第6話~辛毗佐治について
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辛毗~霧の許昌にて(4)

 霧の世界に、また元袁紹軍の人物が出てきました。

 この許攸は官渡の戦いで割と名を知られていますが、一応紹介を置いていきます。


許攸キョユウ子遠シエン 生年?年 没年204年

 元袁紹軍の文官で、曹操や袁紹と旧知の仲である。特に袁紹とは親しく、若い頃は「奔走の友」と呼ばれた。官渡の戦いで袁紹を裏切って曹操を勝利させるも、その功績におごって傲慢になり曹操の怒りを買って処刑された。

 しばらく走った後、辛毗と許攸は二人で息を整えていた。

 二人とも文官であり体力には自信がない。

 無我夢中で怪物から逃げた後は、こうして少し休まなければ体がもたなかった。


  許攸はすでに死んでいるが、死んでもそれは変わらないらしい。


 少し気持ちが落ち着くと、辛毗は許攸の姿をまじまじと見つめた。


  細工の凝った冠に、やや着崩した絹の着物。

  どことなく小狡い表情に、筋張った細い手。

  何もかも、生前のままだ。


「私の顔に何かついているのかね?」


 唐突に、許攸が不機嫌そうに視線を向けてきた。

 辛毗は一瞬言葉に詰まった。


 うろたえる辛毗に、許攸は吐き捨てるように言った。


「ああ、分かっているとも。君の言いたいことなど。

 私はすでにこの世のものではない、そうだろ?」


 ずばりと的を得たその言葉に、辛毗はうなずくしかなかった。


「ええ、全くその通りです。

 そのあなたが、なぜこうして私の前に現れたのでしょうか?」


 それを聞くと、許攸はニヤリと笑って答えた。


「現れた?違うな。

 見えるようになっただけだろう。

 私は、死んでから何度も君と顔を合わせている。今までは、君が気づかなかっただけなのだよ」


 許攸はそう言って、辛毗のほおに手を触れた。


「今まで見えなかった私が突然見えるようになった……そして生きた人間が周りからいなくなった。

 君は、その変化にきちんと向き合っているのかい?」


 許攸はもったいぶった口調で、辛毗に問う。

 許攸の冷たい手が、ぞわりと辛毗の肌をなぞった。


「くっくっく……君はどうやら、それらを正面から見つめたくないらしい。

 辛毗、君は、今自分が生きていると思うのかね?」


「!?」


 思いもかけない言葉に、辛毗はびくりと身を引いた。


  生きていると思うのか、だって?

  それでは、まるで……自分が死んでしまったみたいじゃないか!


 動揺する辛毗の心を見透かしたように、許攸はささやく。


「ははは、認めたくないのは分かる!

 しかし、現実はどうであろうな。

 現に君は今、生者から引き離され、死者の私と話しているのだがね」


 辛毗は、驚きのあまり息がつまりそうだった。

 だが確かに、自分が死んだと仮定すればこの現象にはすんなりと理由がつく。


 しかし、にわかに信じられる話ではない。

 辛毗は、自分の胸にそっと手を当ててみた。


  とくん、とくん、とくん……


 間違いなく、自分の心臓は動いている。

 それに、自分の体は許攸と違って温かい。

 自分は、確かに生きている。


 口をぎゅっと結んで首を振る辛毗に、許攸はなおもささやいた。


「ほう、温かくて心臓が動いているから、生きている、か。

 しかしそれは君の主観でしかあるまい。

 君が死んだことに気づかないせいで、記憶のままにそう感じているのではないかね?」


 そこまで言われては、辛毗には、答えられなかった。


  人の記憶や思考など、あいまいなものだ。

  周りの状況や自分の思い込みによって、いくらでも書き換えられてしまう。


 もし、自分が死んだことに気づいていないだけだったら……?

 それをまじめに考えると、ショックで頭がくらくらした。


 しかし、辛毗はそれでも息を整え、許攸をきっと睨み付けた。


(この男は信用できぬ。

 官渡で袁紹様を裏切り、その功績をかさに着て曹操様をもなじったこの男のこと。

 こいつの言う事の全てが、事実であると思わぬ方がよい!)


 辛毗の手は、胸に当てられたまま震えていた。

 だが、その目はしっかりと許攸に不信の眼差しを向けていた。


 それを見ると、許攸はチッと舌打ちして言った。


「まあ受け入れたくないのなら今はそのままでよい。

 どのみち、生きていても死んでいても、ここからは脱出せねばならぬ。

 君も感じるだろう、我々を逃さぬというこの霧の悪意を」


 許攸は、にわかに辛毗から目をそらして霧の中を見回した。


「全く、死んだ者を安らかに眠らせもしないとは、ずいぶんと悪趣味な奴だ。

 きっと、何かの勘違いで我々を逆恨みしているのであろうな」


 それを聞いて、辛毗はずしりと心が重くなった。


  この様子では、許攸はただ巻き込まれただけかもしれない。

  自分の側にいたせいで、審配の復讐に巻き込まれたのかもしれない。


 そう考えると、非常にすまない気持ちになった。

 そして、少しでも弁明のつもりで、許攸に自分の考えを述べた。


「すまぬ、私の側にいたせいで、あなたにまでこのような怪異を……。

 おそらく、これは審配のしわざであろう。

 私を恨んで、報復に来たに違いない」


 それを聞くと、許攸は少し驚いた顔をした。


「審配……?

 そうか、君はそう思ったのだな」


 許攸はちょっと考えて、辛毗に同情するような口調で言った。


「なるほど、審配ならこれくらいはやりかねんな。

 それに、私が巻き込まれたことも説明がつく。

 私と君は、同じ……裏切り者だからな!」


 率直な言葉が、辛毗の胸をぐさりと貫く。

 そうだ、許攸も自分も、審配にとっては憎き裏切り者なのだ。


  許攸は官渡で曹操に情報を売り渡し、袁紹の中原進出の夢をたたき折った。

  自分は曹操に降伏し、審配の命を奪って瀕死の袁家をさらに叩きのめした。


 二人とも、審配に恨まれる要素は十分にあるというわけだ。


「そうだな、ここは力を合わせて脱出を図るべきだろう。

 同じ裏切り者同士、己が幸せのために戦おうではないか。

 あんな役立たずの怨念に、祟られてたまるものか!」


 許攸は心底迷惑そうに言い放つ。

 心に苦いものが広がるのを覚えながら、それでも辛毗は許攸の手を取った。


「そうですな、早いとここの怪異を抜けて、お互いあるべき場所に帰りましょう」


 許攸は暗に自分を責め立て、嫌な部分を突いてくる。

 しかし、許攸の言う事はもっともだ。


  自分は裏切り者だし、そのせいで審配に殺されようとは思っていない。


 辛毗は鞭を握ったまま、許攸と並んで歩き出した。

 途中、霧の中で許攸の顔がわずかに醜く笑ったが、辛毗がそれに気づくことはなかった。

 許攸は辛毗に対し、心を揺さぶるような言葉をかけます。

 しかし許攸が信用できないことを知っている辛毗は、それを鵜呑みにはしません。


 ところで、サイレントヒル3に、主人公が怪物のことを話したのに対し、敵対勢力の男が「君にはそう見えるのか」というシーンがあります。

 今回もそれに近い状況ですが……許攸のいう、役立たずの怨念とは本当は誰のことなのでしょうか。

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