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袁紹的悪夢行  作者: 青蓮
第6話~辛毗佐治について
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辛毗~許昌の街角にて

 さて、いよいよ最終章につながる物語が幕を開けます。

 今回は袁紹の悪夢の連鎖で最も被害をこうむった、元袁家家臣を招いていきます。


辛毗シンピ佐治サジ 生年?年 没年?年

 最初は兄の辛評と共に袁紹に仕えていたが、袁家内紛の際に曹操配下にとどめられてしまう。曹操、曹丕、曹叡と三代に仕え、袁家内紛から三国志の終盤を飾る五丈原の戦いまで現役で出没している。剛毅で自分の意見をしっかり持った文官。

 皆、私を殿と呼んで仕えた。

 皆、私を殿と呼んで慕った。


 さすが名家の当主ですと褒め称えて、私についてきてくれた。


  じゃあ、私が名家の当主でなかったら、どうなっていた?

  私が妾腹の子であると明かしていたら、彼らはついてきてくれた?


 私は、疑い深いとか心が狭いとか言われて部下たちに去られた。

 部下たちは私が、忠誠を信じてくれないと嘆いた。


  では、部下たちは本当に私を私として慕ってくれていた?

  私が信じられないのは部下?それとも、私?


 今、少しだけ自分を信じられるようになったから、勇気を出して聞いてみようと思う。




 曹操が治める都、許昌で、辛毗は空虚な日々を過ごしていた。


  私は、なぜここにいるのだろう?

  私は、なぜちょっと前まで殺し合っていた奴らと普通に話しているのだろう?


 許昌にいるのは、辛毗が曹操に降伏し、配下となったから。

 敵が味方になったのは、自分から敵の方についたからだ。


(ああ、私は裏切り者だ……)


 辛毗は、ずっとそう思っていた。


 袁紹の死後、袁家は袁譚派と袁尚派に真っ二つに分かれて争った。

 袁紹がはっきりと後継者を決めていなかったため、双方が正統を主張して譲らなかった。

 その結果、袁紹の旧臣たちは血みどろの争いを起こした。


  辛毗の兄、辛評も、その犠牲者の一人だ。


 兄辛評は、袁譚についていた。

 袁譚の袁尚に対する対抗意識をあさましいほど煽り、兄弟の争いを激化させた。


(だから私は、兄のところにいたくなかった)


 兄はその不毛な争いに心まで飲み込まれ、辛毗にもそのための働きを求めた。


  曹操に支援してもらうため、使者にたて……それが、兄の最後の命令だった。


 今劣勢の袁譚を救うため、先主袁紹の敵であった曹操と組もうと。

 もはやその戦のことしか考えられなくなった兄に、それでも辛毗は従った。

 そして使者の任を果たし、二度と兄のところには戻らなかった。


(私は、もう兄上を見ていられなかった)


 そんな辛毗の望み通り、それから辛毗が兄と顔を合わせることはなくなった。

 袁譚が浅はかにも支援してくれた曹操を裏切り、曹操に攻め寄せられて滅んでいったその戦で、兄辛評は命を落とした。


 兄は憎悪に染まって鬼と成り果てながらも、最期まで袁家に仕えぬいた。


  それに比べて、自分は?


 帰る場所を失った辛毗は、そのままなし崩し的に曹操の臣下となった。

 いや、袁譚が生き延びていても、帰ったかどうかは怪しい。

 曹操に熱烈に誘われたからというのもあるが、そんなものは言い訳でしかない。


 それでも、辛毗は己の裏切りを兄のせいにする。

 兄が、袁尚を討つことにやっきになって変わってしまったからだと。


(裏切り者は、兄上?

 それとも、私?)


 辛毗はあれからずっと、自問している。


  兄は先主袁紹の敵の手を借りようとした。

  だから、私はそれが嫌で、兄から離れたかった。


  そして、その結果自分は立派に曹操の家臣になってしまった。


 どうしてこうなったのだろう?


 考えても答えが出ないことは、とうに分かっている。

 ただ確かなのは、くよくよ考えているとろくなことにならないことだ。


「いたっ!?」


 今日もまた、ぼんやり歩いていたせいでつまずいて転んでしまった。

 最近、こんなことが多い。


 辛毗は着物の埃を払って一息つくと、大きなため息をついてつぶやいた。


「仕方なかったんだ……」


 この言葉は、妖術のようだ。

 解決できていなくても、全てを正当化してしまう。


 そうやって無理やり気持ちに折り合いをつけて、辛毗はまた歩き出した。



「仕方なかったんだ」


 高覧は言う。

 袁紹が疑い深くて自分たちを害そうとしたから、自分は曹操に降ったのだと。


「仕方なかったんだ」


 張郃も言う。

 袁紹の心が狭くて自分たちの弁明を聞いてくれなかったから、自分は曹操に降ったのだと。


 官渡の戦いで曹操に降ったこの二人も、ことあるごとにこのセリフを口にしていた。

 いや、元袁紹軍のほぼ全員が、このセリフなしではいられなかった。


  だって、袁紹様は自分たちの忠節を信じてくれなかった。

  袁紹様は、自分たちがいくら働いても手放して褒めてくださらなかった。

  そのくせ猜疑心だけは強くて、寛容なようで心の底では誰も信じていなかった。


「だから、あんな主のもとではやっていけなかったんだ!」


 皆、口々にそう言った。


 しかし、だからといって、袁紹のことを忘れることなどできなかった。

 袁紹は確かに、広い目で見れば名君だった。

 国を豊かにし、民に恵みを与え、部下たちにもいつもは優しかった。


  何かのきっかけで猜疑心に囚われなければ、いつもは寛大な主だった。


 だから皆、葛藤し、苦悩する。

 本当の袁紹はどちらなのだろう。

 本当に悪いのは、袁紹なのか自分なのか、と。


(裏切ったのは、袁紹様?

 それとも、私?)


 皆が皆、己を信じられず自問する。

 袁紹が生前、明確な答えを示してくれなかったせいで。


(袁譚様か袁尚様、本当に継がせたかったのはどっち?)


 皆が皆、未だに心の中で問続ける。

 袁紹が生前、明確な意思を示しておかなかったせいで。

 このままでは、自分たちは何のために血みどろの争いをして、何のためにこんな大惨事が起こったのか分からない。


  何のために、こんな重苦しい日々を過ごしているのか分からない。

  この出口のない悪夢のような日々は、一体いつまで続くのだろう?


 そう考えると、じわりと涙がこみ上げてくる。


(いかん、こんな顔では曹操様の前に出られぬ……)


 辛毗はそっと顔を押え、人気のない細い路地に入った。


 一度、泣いてすっきりしよう。

 泣けば、解決はしなくても一時的に楽にはなるから。


  座り込み、袖で顔を覆った辛毗を冷たい霧が包み込む。


 路地に響くすすり泣きの声が絶えたとき、辛毗の姿はそこにはなかった。

 この章では、元袁家家臣の名がたくさん出てきます。歴史に詳しくない方には申し訳ありませんが、キーパーソンとなる人物はそのつど紹介を置いていきます。

 この話に出てくる高覧と張郃も、元袁紹軍で曹操に降伏した武将です。


 それからもう一つお詫び申し上げますが、辛毗の「毗」は特殊文字であり、いつでも正しく表示されるとは限らないかもしれません。

 入力する場合も探すのが大変だと思いますので、もしコメントや感想に書く場合は「辛ピ」で結構です。

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