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袁紹的悪夢行  作者: 青蓮
第5章~劉琦について
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劉琦~荊州城にて(6)

 劉琦編最終話ですが、一話で終わらせるためにいつもより長くなってしまいました。


 劉琦と袁紹は互いに欲する人の面影を相手に重ねて、心を満たそうとします。

 そして、袁紹と劉備のわだかまりは解けるのでしょうか。

 親子の愛情あふれる、最終話です。

 しばらく、裏の袁紹は下を向いて震えていた。


 劉琦を現世に帰さなければいけない、それは分かっている。

 しかし、自分をあんな目に遭わせた劉備にこんな形で屈するのはあまりに屈辱だった。


  自分たちは、弱い。

  だから、劉備のような偽善者にもすがらなければ生きていけない。

  今生きている劉琦を助けるために、自分は報われないまま折れなければならない。


 だったらいっそ、このまま劉琦を自己満足のためにいただいてしまおうか……そんな考えが、裏の袁紹の頭をかすめた。


  劉表は、もう劉琦のことなど必要としていないのだ。

  それに、劉琦がいなくなれば、劉備も少しは後悔するだろうか。


 裏の袁紹は、暗い目で劉琦を見つめ、手を伸ばした。

 劉琦は一瞬身を固くしたが、観念したように目を閉じた。


 しかし、裏の袁紹の血塗られた手が劉琦に触れようとしたその瞬間、一声がその空気を破った。


「本初よ、その辺にしておけ。

 劉琦が死ぬのは、本意ではないだろう」


 裏の袁紹を本初と呼んでその手を止めたのは……表の袁紹だ。


  血塗られていない、父親として三人の息子たちと向き合ってきた表の袁紹だ。


 表の袁紹が裏の袁紹の手を掴み、引き戻す。

 劉琦はそれを、信じられないような顔で見ていた。


「すまぬ、わしの片割れが迷惑をかけてしまったな。

 こちらのわしは、わしの悪夢と憎悪が凝り固まったような存在なのだ。

 だが元はといえばわし自身の中で生じた悪意、ゆえにわしから詫びよう」


 表の袁紹は、すまなさそうに劉琦に頭を下げた。

 裏の袁紹は気まずそうにそっぽを向き、つぶやいた。


「そうだな、他ならぬわし自身が言うのだから、見逃してやらねばなるまい。

 それに……おまえを最初に助けたのは、この表のわしなのだから」


 それを聞いて、劉琦ははっと思い出した。


  空を舞う怪物に初めて遭遇し、危機に陥った時、最初に助けてくれた武人がいた。

  蔡氏の化け物と戦ってくれた、この血濡れの武人とは似て非なる武人が。


 最初に劉琦を逃がし、怪物に刺された武人はこちらの袁紹だったのだ。

 表の袁紹は、慈愛の表情で劉琦を見ていた。


「哀れな子よ、現世に戻れば、きっとまた針のむしろの日々が待っているのであろう。

 ならば今ひと時、わしが父親の代わりにおまえの願いを叶えてやろう」


 それを聞いたとたん、劉琦の目から涙があふれた。


(ああ、この人は、優しい……!!)


 気が付けば、劉琦は表の袁紹にすがりついて泣いていた。

 その涙は、袁煕に捧げられるはずだった愛情を横取りしてしまう恥ずかしさでもあった。



 劉琦は、身を楽にして袁紹の膝に頭を預けた。

 目の前に、優しい父親の顔をした袁紹の顔が下がってくる。


「おやすみ、琦よ」

「はい、お父上」


 ひんやりと冷たい唇が、劉琦の額に触れる。


  劉琦の願い、それは劉表がしてくれなくなった愛情表現だ。

  優しく撫でて、眠るまで側にいて子守唄を歌ってほしい。

  そして、たっぷり愛情のこもったお休みの口づけをしてほしい。


 高く、低く、袁紹の歌う子守唄が劉琦を眠りに誘う。

 聞いたこともない北方の歌を聞かされるのかと思ったが、その旋律と歌声は荊州の子守唄に近い、聞き慣れたものだった。


  当然だ、袁紹はもともと河北の出身ではない。

  荊州から近い河南の、汝南で生まれ育ったのだから。


 冷たい指が、いとおしげに劉琦のほおを撫でる。

 偽りの父に一時の夢を見ながら、劉琦は眠りに落ちて行った。



 薔薇の香る中庭で、劉表はうなされていた。

 膝枕をしている蔡氏が心配して声をかけても、劉表はなかなか目覚めない。


 しばらくして突然跳ね起きると、劉表は血相を変えて辺りを見回した。


「琦は……琦はどこだ!?」


 いいじゃないのと気をそらそうとする蔡氏の腕を振り払って、劉表は弾かれたように走り出した。

 蔡氏のお気に入りの庭を後にし、薔薇の園を抜けて城内へ向かう。


  そうだ、劉琦は喉が弱い。

  こんなに薔薇を植えてきつい香りで満たしてしまったら、劉琦は入れないんだ。


 今更そんなことに気づいた自分に、反吐が出そうだった。

 だから、袁紹の亡霊があんなことを言ってきたのだ。


 劉表はついさっき、夢の中で袁紹に警告されたのだ。


  おまえは、後妻の言いなりになって長男の居場所を奪っている。

  私という悪例を知りながら、長男をおろそかにしている。

  そんなに要らないなら、いっそ私が劉琦をもらってしまおうか……!


 それは夢というにはあまりにリアルで、恐ろしかった。

 今まで目をそらされていただけで、劉琦がいらない訳ではない。

 劉表は城中を駆け回り、劉琦を知らないかと家臣に尋ねて回った。


「ああ、確かに数刻前からお姿が見えませんね。

 昼食も召し上がらなかったですし……」


 その報告を聞いた劉表が警備兵を問い詰めると、こんな答えが返ってきた。


「蔡夫人との時間に水を差すなと、おっしゃったのは劉表様ではありませんか。

 劉琦様は、適当に見ておけばよろしいと」


 劉表の背中から、どっと冷や汗が噴き出た。


  袁紹のいう通りだ。

  自分はいつの間にか、劉琦のことを空気のように扱っていた。


「りゅ、劉琦―っ!!」


 劉表は、すっかり取り乱して、劉琦を探し回った。

 そして、城の外れにある草むらの中で、倒れている劉琦を見つけた。


  劉琦の着物はところどころ破れ、肌には傷ができて血が滲んでいる。


「お、おお……劉琦……!?」


 震える手で抱き上げる劉表の腕の中で、劉琦は目を覚ました。

 父と目が合うと、父劉表はここ数年間見たことがないような顔で、劉琦を抱きしめてくれた。


「生きておったか、良かった!

 今まで寂しい思いをさせてしまったのう、今夜はちゃんと昔のようにかわいがってやるからな!」


 劉琦は、ぼんやりとした頭で思った。


  これはきっと、袁紹殿が何かしてくれたんだろう。

  現世に戻った時、自分に居場所があるように情けをかけてくれたのだ。


 これまで全く見向きもしなかった父のこういう態度は、滑稽ですらあった。

 劉琦は少し意地悪を起こして、すました顔でこう言った。


「いいえ、今夜はもういいです。

 子守唄もお休みの口づけも、今日はもう袁本初殿にしてもらいましたから」


 それを聞いたとたん、劉表の顔が耳まで真っ赤に染まった。

 次の瞬間、劉琦は劉表にきつく抱きしめられていた。


 温かい本当の父の唇が、額に触れる。


「おまえは、わしの子だ!

 誰にも渡さぬ!!」


 その言葉は、劉琦の心に一気に色を取り戻した。


  父上が、私を自分の子として見てくれた!


 普通の子にとっては、当たり前のこと。

 しかし、劉琦にとっては信じられない奇蹟だった。


 きっとこれからは、劉表は劉琦に父親らしく構ってやることだろう。

 だからといって蔡氏と劉琮をおろそかにはせず、皆自分の家族としてかわいがってくれるのだろう。

 それは、己が目を塞いだがゆえに無関係な息子を不幸にしてしまった、袁紹なりの罪滅ぼしだったのかもしれない。



 それから数日後、今度は劉備が大慌てで尋ねてきた。

 そして、今までになく劉琦の身を気遣い、いつでも助けてやると約束してくれた。


 袁紹のことを話すと、劉備は青くなって頭を地面に打ち付けた。


「ああ、本当に申し訳ない!

 袁紹殿が娼婦の子であったのは事実だったのだ!

 私は、あれほど辛い思いをしていた袁紹殿に、何ということを……!!」


 どうやら、劉備殿は本当に袁紹殿と相当まずいことになっていたらしい。

 もしかしたら、私は劉備殿のことも救っていたのかもしれない。


  だって、袁紹殿が私と出会わなかったら……

  私が劉備殿に頼る選択をしていなかったら……

  劉備殿は、確実に袁紹殿に呪い殺されていただろう。


「私は愚かだ、袁紹殿の真実を後から知っておきながら、目の前の劉琦殿の危機に同じ過ちを繰り返そうとするとは。

 しかし、私はもう繰り返さぬ!

 必ず、劉琦殿を蔡氏とその一味からお守りしましょう!」


「その言葉を伝えてあげたら、袁紹殿も報われると思います」


 劉琦はほがらかに、微笑んだ。


  袁紹は、己の過ちに気づいて劉琦を救ってくれた。

  だから今度は、袁紹が救われる番が来てほしいと思う。


(今度は貴方に、誰かの助けが訪れますように)


 悪夢は連鎖して人を次々飲み込んでいく。

 だが、どこかで誰かが手を差し伸べれば、それは幸せの連鎖に変えられると思う。

 いつか袁紹に救いの手が差し伸べられて悪夢の鎖がほどける日を、劉琦は心から願っていた。

 劉琦は自分が救われた喜びに、袁紹も救われるよう願います。

 さて、ここからは袁紹の救いに向かって物語が進んでいきます。


 悪夢行も、残すところあと二人分となりました。

 次章では、元袁紹軍の文官を招いて話が進みます。

 この章で語られた袁家の跡目争いと滅亡の戦に、残された文官は何を見たのでしょうか。

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