公孫瓚~憎悪の館にて(3)
今回の話は主にボス戦ですが、そのさなかに公孫瓚は失われた記憶を思い出していきます。袁紹の悪夢と公孫瓚の真実、それがこの戦いのメインテーマです。もっとも、袁紹の悪夢はこれが全てではありませんが、それは他の人物編でおいおい明らかになっていく予定です。
公孫瓚が扉を押すと、扉は重い音を立てて開いた。
中は暗いが、高い窓から赤茶けた光が差し込んでいる。
その光が、部屋中に散らばる血痕をますます際立たせる。
暗闇の奥で、何かが動いた。
「誰かいるのか!?」
公孫瓚が声をかけると、そいつはのそりと振り向いた。
着物はきているが、口ばかりが大きくて、玉に見えるほど肥満した巨体だった。
おあああぁー
そいつが吼えた。
ちょっと聞くと獣のようだが、かろうじて人間の女の痕跡を残している。
おしろいを塗り固めたような白い肌に、血のような紅い口紅が映える。……本当に血かもしれないが。
コ・ロ・ス コ・ロ・ス コ・ロ・ス
女の化け物は硬そうな鉄鞭を手にしていた。
恨めしそうな声と共に、公孫瓚に向かってそれを振り上げた。
「わあっ!?」
公孫瓚は慌てて横に飛びのいた。
思ったとおり、入ってきた扉は閉まっている。
鉄鞭が、ガアンと床の石に当たって火花がとんだ。
動きは遅いが、当たればすさまじい威力だ。
女は少しの間動きを止めたが、また重たそうに鉄鞭を持ち上げた。
「コロスコロスあの女をコロス……」
女は公孫瓚の方を見向きもせずにぶつぶつとつぶやいた。
そのセリフに、公孫瓚は聞き覚えがあった。
先程、豪華な女の部屋で聞いた声だ。
(そうか、あの部屋はこいつの住処だったか!)
だとすれば、あの部屋にここの鍵があったのもうなずける。
そしておそらく机の上にあった書物……その残酷な内容も、こいつに関係しているのだろう。
言動からして、この女も呂后と同じように別の女を憎んでいるのかもしれない。
少しその場でまごついて、女は思い出したように公孫瓚の方を向いた。
しかし、公孫瓚は振り向いた女の目の前まで来ていた。
公孫瓚が先制攻撃をしかけたのだ。
「くらえっ!!」
上等な絹の帯に、刃がめりこむ。
太い腹から腐ったような体液を撒き散らして、怪物はのけぞった。
「ぎゃあああ!!!」
獣のような悲鳴を上げて、女はでたらめに鉄鞭を振り回した。
近くにあった金細工の燭台が宝石を散らして吹っ飛ぶ。
「ああ、もったいない!」
思わず公孫瓚が叫ぶと、女はぎろりとにらんで低い声を発した。
マタ、買えバイイじゃナイ
クダラなイ……
それを聞いたとたん、公孫瓚はピンときた。
(こいつは、元は人間だったな!)
それにこの贅沢さ……公孫瓚には覚えがあった。
こんな贅沢を平気でできる奴は、知っている中ではあいつが一番疑わしい。
名門袁家の嫡子にして、河北の富を全て手中に収めつつあったあの気にくわない男だ。
「そうか、こいつは袁紹の妻か!!」
公孫瓚は怪物の正体をそう判断して、一人心の中で納得した。
人型の大口の怪物が言った言葉も、それを裏付ける証拠だ。
(将のくせに、か……。
そういえば袁紹の家は三公の家柄、奴はその嫡子だ。
ここの怪物たちは、生みの親によく似たようだな!)
公孫瓚は剣を構え直し、猛然と女の怪物に立ち向かった。
妖魔の正体が分かった以上、ためらう事など何もない。
特に相手が袁紹の妻ならば……望む所だ、奴を苦痛のどん底に叩き落してやれる。
そこまで考えたとたん、公孫瓚は妙な記憶の再生に襲われた。
燃え上がる城。
穴から湧き出した袁紹の兵に追い詰められ、
自分は、愛した妻子に自ら刃を向けて……。
「!?ちょっと待て!!」
公孫瓚は思わず驚愕に目を見開いた。
自分も最近、妻と子をそうして失った……?
しかし、それならばなぜ自分はこうして生きているのか?
どうにも納得がいかない。
(わしは、妻子を……だから袁紹からも妻を奪おうと?)
自分の考えに疑問を抱いて、公孫瓚の刃が鈍った。
そのスキを突いて、女が鉄鞭を振り上げた。
ぶんっと風を切る音に、公孫瓚は本能的に身を引いた。
しかし、左の肩から腕にかけて、容赦なく振り下ろされた鉄鞭が襲い掛かった。
「ぐあっ!?」
公孫瓚ははっと我に返り、痛みにきしむ体を無理矢理動かして飛びのいた。
今は考えにひたっている場合ではない、この怪物を倒さなければ。
公孫瓚は一度後ずさって距離をとると、右腕一本で剣を構え直した。
左腕は衝撃でしばらく使えそうに無い。
ならば、走って勢いをつけて片腕の突きで勝負を決めるのだ。
「ハヤア!!」
女が鉄鞭を再び持ち上げるまでに、公孫瓚は剣を上段に構えて走りこんだ。
白銀の刃が、女の胸元に吸い込まれた。
ぎゃあああ
女が悲鳴を上げた。
手足をばたつかせて暴れる女から、公孫瓚は素早く剣を抜いて離れた。
女の胸から、どす黒い血が吹き出す。
痛みに悶えながら、巨体を支えきれずに後ろに倒れこんだ。
しかし、胸を貫かれているにも関わらず暴れる生命力は人間のものではない。
今のうちにとどめを刺すべきだ……。
公孫瓚はそう判断して、再び女の側にかけ寄った。
「くたばれっ!!」
公孫瓚は転げまわる女の体に、がむしゃらに剣を突き立てた。
激しく暴れて動き回るため、一撃で首を狙うのは難しい。
それに、一撃で楽にしてやる理由もない。
(この女は袁紹の妻……ならば、我が妻子の仇だ!)
公孫瓚は鬼のような顔で、女の怪物を斬りまくった。
暗い部屋を震わせて、女の断末魔が響いた。
さて、ボス戦には無事勝利した公孫瓚ですが、果たして脱出することはできるでしょうか。
次はいよいよ袁紹本人とご対面です。乱世に争い続けた二人の男は、この異様な世界で何を語るのか…そして袁紹の欲する「救い」は得られるのか。公孫瓚編もだいぶ終わりに近づいてきました。