劉琦~排他の庭にて(2)
継母の幻影に襲われて絶体絶命の劉琦を、さっきとよく似た武人が助けに来ます。
しかし、彼もまた怪物を従え、血にまみれた恐ろしい姿をしています。
劉琦は茂みの中で息をひそめて、二人の戦いを見つめるのでした。
犬どもが牙をむき、女の怪物を囲んでいく。
うろたえる女の怪物に、血濡れの武人はじりじりと歩み寄っていった。
「劉……おまえは、罪深い女だ」
女の怪物を劉と呼び、武人は剣を向ける。
劉琦の中に、違和感が走った。
(あれ?あの化け物は、蔡氏なんじゃ……)
劉琦が見る限り、あの化け物は自分の継母の蔡氏に似ている。
しかし今確かに、あの武人はあの化け物を劉と呼んだのだ。
「おまえは己の欲のままに、数多の命を奪い去った。
ただ我が子に後を継がせたいだけならば、それは必要なかっただろうに!
そのうえまだ煕を痛めつけようというのか!!」
武人は怒りの表情を浮かべ、女の怪物を問い詰める。
だが、その罪状は劉琦には心当たりのないことだった。
蔡氏は確かに、劉琦を殺そうとしている。
しかし、まだ誰も殺していないはずだ。
それとも、劉琦が知らないだけなのか。
女の怪物も、迷惑そうに首をかしげて答えた。
「知らないわねえ、そんなコト……。
ワタクシはただ、ワタクシの子を守りたいだけ」
それを聞いたとたん、武人が肩を震わせて叫んだ。
「ふざけるな貴様ああぁ!!!」
その声に応えるように、犬の怪物たちが一斉に飛び掛かる。
四方から、女の怪物めがけて鋭い爪と牙が襲い掛かる。
「このォ!」
女の怪物も負けじといばらの鞭を振りかざし、前方から襲い掛かる犬を打ち落とす。
しかし、後方や側面からも何匹もの犬が食らいつく。
それでも歯を食いしばって、女は耐えた。
「ワタクシの家族に、口を出すンじゃナイわよお!!」
威勢のいい啖呵とともに、女の体に巻き付いていた薔薇の棘が伸びる。
短かった棘がウニの針のように長くなり、食らいついていた犬の体を貫く。
「キャイン!」
棘が元に戻ると、犬たちは情けない悲鳴を上げてぼたぼたと地面に落ちた。
劉琦は茂みの中で、その血みどろの戦いを震えながら見ていた。
わたくしの家族に口を出さないで……
これは、間違いなく蔡氏の口癖だ。
もちろんその家族の中に、劉琦は含まれない。
これは、彼女が劉琦を排除するための口実なのだ。
そして今彼女と戦っている武人も、それを知っているようだった。
「ふん、家族……か。白々しい!!
貴様のいう家族には、貴様の血のつながる一族しか含まれぬのであろうが!
夫の子を好き放題に痛めつけて、何が家族だ!」
それは、劉琦がいつも心の中で思っていることだった。
どうも分からない。
この武人は自分や蔡氏とどういう関係なのだろうか。
自分を守ろうとし、蔡氏とは仲が悪くて、時折自分に覚えのないことを口走り、それでいて自分の気持ちを驚くほど理解していて……。
無関係な人違いのようでもあり、ずっと側にいた親友のようでもあった。
ここまで自分の言いたいことを言ってくれる人に会ったのは、初めてだった。
劉琦はいっそのこと、どうせ化け物どうしならあの武人が勝ってくれるように祈った。
しかし、女の怪物も負けてはいない。
彼女が空を見上げて金切り声をあげると、空から重たい羽音が響き始めた。
他でもない、さっき襲われた空を飛ぶ怪物だ。
空を覆う闇の中から、奇妙なシルエットが次々に浮かび上がった。
ぶんぶんと羽を鳴らし、かちゃかちゃと刃をすり合わせながら女を守るように舞い降りてくる。
「やってオシマイなさい!!」
女が命令すると、それは滑り降りるように武人に斬りかかった。
幾多の刃が、武人に向かって降り注ぐ。
しかし、武人は落ち着いて剣を構え、姿勢を低くして女の怪物に突進する。
キイン、と乾いた金属音が響く。
武人に襲い掛かる羽持ちの怪物が、次々と弾かれていく。
まっすぐ落ちてくる刃に、斜めに剣を当てて軌道をずらしているのだ。
「ふん、このようなもの……一度見れば防ぐのは容易い!」
一度見たということは、やっぱりさっきの武人と同じ人なんだろうか。
劉琦は今一度、首をかしげた。
確かに、見た目は似ている。
しかし、さっきの人はこんなに感情的ではなかったし、邪悪な感じもなかった。
まるでさっきの武人の、中身だけが入れ替わった感じだ。
劉琦が迷っている間にも、武人は女の眼前に躍り出て剣を振り下ろす。
「やあっ!!」
「きええぇい!!」
女の怪物も耳を裂くような声をあげて、切られてだいぶ短くなった鞭を振りかぶる。
次の瞬間、武人の剣が女の肩から胸元を浅く切り裂き、女の鞭の棘が伸びて武人の胸を貫く。
勝負あった……かと思われた。
だが、武人は倒れなかった。
人間なら明らかに致命傷を負っているにも関わらず、憎悪に満ちた笑みを浮かべて再び剣を構える。
「その程度で、今のわしは倒せぬ……。
なぜなら、わしはもう、死んでおるのだからな!」
劉琦の背筋に、悪寒が走った。
(やっぱり、この人は生きた人間じゃない!!)
気が付けば、劉琦は茂みの中で後ずさっていた。
やっとのことで茂みから出ると、ふらふらと立ち上がって二人に背を向けて走る。
あれはどちらもおぞましい化け物だ。
どちらが勝っても、見つかったら悪いことしか起こらない気がする。
なら、二人がお互いに気をとられているうちに逃げるしかない!
周りにいた怪物たちも、お互いに争って劉琦の方には見向きもしなかった。
劉琦は恐怖の中庭を後にし、どうにか再び城内に逃げ込んだ。
武人は蔡氏の幻影に話しかけますが、どうも話がかみ合いません。
相手を、誰か別の女性と間違えているようです。
自分の子を跡継ぎにするために多くの命を奪った女…それが誰かは、袁譚編の前半ですでに語られています。
劉琦はその違和感に気づきつつも、それに向き合う勇気がなく逃げ出してしまうのでした。