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袁紹的悪夢行  作者: 青蓮
第4章~孫策伯符について
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孫策~憎悪の館にて(3)

 裏の袁紹と孫策は一路、袁術のもとに向かいます。

 行き方は、最初に公孫瓚が辿ったのと同じです。


 途中には、公孫瓚が意味を理解できなかった又は曲解したパーツがいくつかあります。

 この話では、袁紹自身がそれを解き明かしてくれます。

 怪物たちを斬り払いながら、裏の袁紹の足はとある部屋に向かっていた。

 幼少時には、そこに足を向けるだけで震えが走ったあの部屋に……。


  袁紹がいることを誰よりも許さなかった、あの女の部屋に。


 長い廊下の先、ひときわ豪華な扉の前で、袁紹は立ち止まった。

 一度体から力を抜き、一呼吸置いて扉に手をかける。


(大丈夫だ、今はもう、ここにはおらぬ)


 嫌だと駄々をこねる己の心に、理性で語りかける。

 あくまで感情ではなく理性に従い、扉を開け放つ。


「おおっ!」


 中を見たとたん、孫策が声を上げた。


 部屋の中は、金銀で飾り立てられた調度品に満ちていた。

 それ自体の値段で家が建ちそうな鏡台、繊細な織模様のついた絹の天蓋つきの寝台、机やいすも手の込んだ細工をまとっている。


  孫策にとっては、見たこともない高価な部屋だった。


 いや、見たことがない訳ではない。

 袁術に仕えてから、その部屋に招かれたときにこんなものを目にした。

 ただ、孫家には今も昔もあり得ないような部屋だ。


「これはまた、目がくらみそうな部屋だな……」


 思わず目を奪われかけた孫策に、裏の袁紹は眉をひそめた。


「欲に目がくらんだ女が住処としていたのだから、当然であろう。

 そしてこの部屋の燭台一本に値する慈悲も、私には分けてくれなかった」


 裏の袁紹はそっと扉を閉めると、一直線に鏡台に向った。

 素晴らしい絨毯に土足で踏み込み、鏡台の引き出しを開ける。


「うむ、これだ!」


 袁紹の手には、黄金細工に宝石をはめこんだ豪奢な鍵が握られていた。


「それで、袁術のもとに行けるのか?」


 孫策が尋ねると、裏の袁紹はにやりと笑ってうなずいた。


「うむ、術は十中八九あの化け物の元にいる。

 いかにわしが生み出した化け物とはいえ、今の術にはあれ以外にすがれるものなどなかろう。

 あれでも、母親が死んだ時は人並みに真っ青になって泣いていたのだ」


 それを聞いたとたん、孫策はこの先に待ち構えているものを理解した。

 袁紹の悪夢が生み出し、袁術がすがれるもの。


  袁紹を苛め抜き、袁術をこの世の誰より愛した……母親の幻影だ。


 孫策はごくりと唾を飲み、鏡台の上にあった本に手を伸ばした。


「すると、この書物もそいつの愛読していたものか?」


 袁紹は、答えなかった。

 しかし、否定もしなかった。


「読みたければ、読むがいい。

 もはや時間など、気にすることはないのだ」


 投げ捨てるようにそう言うと、裏の袁紹はどかりとその場に腰を下ろした。

 決戦を前に、少しでも疲労を回復しようとしているのか。

 それならと、孫策も遠慮なくその書物を手に取った。



 しばらくして書物を読み終えると、孫策は詰まっていた息をふっと吐き出した。


 それは、この漢帝国ができたばかりの頃の歴史書。


  漢の高祖劉邦と、その妻である呂后の話。

  中国を統一し漢の皇帝となった劉邦は、呂后に飽きて別の寵姫に溺れた。

  呂后はそれに嫉妬し、劉邦が死んだとたんにその寵姫を拷問にかけた。


「なるほどな、袁術の母は、おまえの母をこのように憎んでいたという訳か」


 袁逢は、妻がありながら別の女を愛し、袁紹を生ませてしまった。

 そして妻が袁術を生んでからも、袁紹を自分の子として育て続けていた。


  呂后にも、劉邦の愛を奪った寵姫にも、それぞれ劉邦の子がいたはずだ。

  寵姫は劉邦に、自分の子を太子にするよう迫っていたという。


 もちろん袁紹の母は廓から出られなかったため、そんなことはしていない。

 だが、生まれた時期のせいで、長男が家を継ぐというしきたりには袁紹の方が当てはまってしまった。

 袁術の母がそれほどの恥辱と悲憤を味わったかは、推して知るべきところだ。


  このままでは、憎き娼婦の子が自分の子を差し置いて跡継ぎになる。

  だから袁術の母は、こういう事例の大先輩である呂后の例に学ぼうとしたのだろう。


「ふふふ……私は、その寵姫の子という訳だ。

 もっとも母は廓から出られなかったので何もされずに済んだ。

 しかし……代わりに、私の子が奪われてしまった」


 裏の袁紹は、悲しそうに眼を伏せてつぶやいた。


「袁譚が……袁術の子や側近たちにたぶらかされて、私を拒絶したのだ。

 結果、私は譚をこの手で地獄に落としてしまった!!」


 袁紹の悲痛な叫びに、孫策も胸に痛みを覚えた。


  自分の子に蔑まれ、その子を地獄に落とす痛みはどれほどであろう。

  于吉のことで母親と妻に不信を抱かれた時でさえ、あんなに苦しかったのに。


 孫策は、しばらくどう言っていいか分からなかった。

 しかし、やがてその歴史書を机に戻し、静かな声で言った。


「ところで、この呂后の話には続きがあってな。

 呂后の子と寵姫の子は仲が良く、呂后の子は母親違いの弟を守ろうとしていた。

 しかし、呂后の子は結局母親に逆らえず、弟は殺されてしまった」


 袁紹は、特に何をするでもなくそれを聞いていた。


「呂后の子は、自分を信じて抗うことができなかったんだ。

 ちょうど、今の貴方のように」


 そのとたん、袁紹の眉がぴくりと動いた。


「もし、呂后の子が次世代の王として自信をもって抗っていたら、結果は違っていただろう。

 きっと二人で仲良く、手を取り合って暮らせたはずだ」


 昔話の仮定だが、それでも袁紹は目頭が熱くなるのを止められなかった。


  自分は確かに、袁家の当主になっても袁術とその母に抗えなかった。

  目をそらすように新たな土地と仲間を求め、故郷を離れただけだった。


  そんな袁紹は、袁譚の目にどう映っただろうか。


 袁譚も初めは、父を慕っていたのかもしれない。

 だが、その父は一族や側近から陰でなじられ、自信がなくて抗うこともできない。


  もし、袁紹が袁家の当主として堂々と抗ってみせていたら?


 袁譚は、凛々しい父を見てそれを誇りに思ったかもしれない。

 袁家の呪縛に負けることなく、袁紹を慕い続けたかもしれない。

 そして、袁紹も彼を疎むことなく喜んで後継者に据えていただろう。


  袁家は分裂しなくてよかった。

  袁紹は袁譚を地獄に落とさなくてよかった。


 それに気づいたとたん、裏の袁紹の目から後悔の涙があふれた。


「行こう、術のところへ」


 虚飾に輝く鍵を握りしめ、悲しみに沈む体に鞭打って立ち上がる。

 先に地獄に沈んでいった哀れな息子のためにも、立ち止まってなどいられなかった。


「私は抗う、そして変わるのだ!」


 扉を開くと、暗闇の悪夢に変貌した廊下に血の筋が続いていた。

 その先に、袁術がいる……袁紹の足に、もう迷いはなかった。

 孫策は袁紹に変化を促し、袁紹もそれを受け入れます。

 自分が変わればある程度の不幸は回避できる、孫策は袁紹にそれを教えました。


 これまでの全章を通して、初めてグッドエンドの気配が見えつつあります。

 袁紹はこのチャンスをものにできるでしょうか。

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