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袁紹的悪夢行  作者: 青蓮
第4章~孫策伯符について
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孫策~憎悪の館にて(2)

 袁紹と孫策は手を取り合い、袁術討伐に向かいます。

 これまで袁術の紹介をしていなかったので、ここに置いておきます。


袁術エンジュツ公路コウロ 生年?年 没年199年

 袁紹の異母弟で、荊州北部から楊州にかけて大勢力を築いていた。袁紹が妾腹であるのに嫡子の自分が当主になれなかったことを根に持ち、袁紹とは長く対立していた。乱世に乗じて皇帝を名乗って周囲全てを敵に回し、袁紹を頼って移動中に病死した。

 袁紹にとって、そこは歩き慣れた家だった。


  自分が生まれて、最初に住処とした場所。

  そして、最初にこの世の地獄を味わわされた忌まわしい場所。


 父袁逢は、袁紹の誕生を喜び、しかし名家の体裁を気にして母親から引き離した。

 代わりに袁紹の母親となったのは、息子に似て意地の悪い袁術の母だった。

 最初のうちこそ長男である袁紹にあまり無残なことはしなかったものの、嫡子である袁術の誕生によりこの家は完全に袁紹を拒絶した。


「私は、ここにいてはいけなかったのだ」


 袁紹は、慎重に歩を進めながら後ろにいる孫策につぶやいた。


「ここは、選ばれた血筋の者だけに優しい世界だった。

 いや、ここに限らず袁家という家族そのものが私の血を拒んでいた。

 あいつのように……」


 ぎしぎしと廊下の床板がきしみ、廊下の先に人影が現れる。

 妙に白けた肌をして、ぽってりと太った人型の怪物だ。


「ショウのクセに……汚らしイ……」


 昆虫のような細い指の先に鋭い鉤爪を光らせて、袁紹を引き裂きに迫ってくる。

 まるで袁紹に近づくのを嫌悪するように、ぶるぶると肉を震わせる。


「ゲセン、の、クセに……!」


 怪物が言葉を紡ぐのに従って、袁紹の表情が険しくなっていく。

 眉間にしわが寄り、どす黒い憎悪が満ちていく。


「おのれ……おのれ……!!」


 先ほどと同じ、恐怖と劣等感が混ざったみじめな表情。

 剣を持つ手が汗でぬるつき、切っ先が細かく震えた。


  己の悪夢の産物だと、頭では分かっている。

  しかしこうして自分に向かってこられると、どうしても昔を思い出す。

  抗うことのできない威圧感と恐怖に、体がみるみる固まっていく。


 動かない体を無理に動かし、どうにか剣を振り上げたところで、袁紹の横を一陣の風が吹き抜けた。


「だから何だ!」


 小気味の良い声とともに、怪物の不気味なつぶやきが止まる。

 気が付けば、孫策が走りこんで怪物の喉元に剣を突き立てていた。


「娼婦の血が何だ、こっちは人殺しが生業の武人の血筋だ!」


 戦い慣れた手つきで、孫策が怪物の首をはねた。


「人の価値は、血筋で決まるものではない。

 それは人がどれだけ多くの他人を幸せにできたかで決まるのだ。

 おれの父上がどれだけ多くの人間を殺していようと、袁紹殿の母上が廓で売られていようと、それぞれ他人の幸せのための仕事をこなしていたに過ぎない」


 孫策は怪物の亡骸に向かってそう諭すと、爽やかな笑顔で振りむいた。


「そうでしょう、袁紹殿?」


 とたんに、裏の袁紹は体中が自由になっていくのを感じた。

 軽くなった息を吐きだし、ごく自然にうなずく。


「ああ、そうだ」


 袁紹が答えると、孫策は力強く笑って言った。


「それでいいのです、生まれてきていけない人間などどこにもいません。

 生きる価値がない人間がいるとすれば、生きている間じゅう自分のことしか考えず、この先も考えないであろう人間でしょう」


 孫策は凛とした表情で、視線を館の奥に向けた。

 今の言葉は、館の奥にいる悪夢の元凶にも向けられている。


  騒ぎを聞きつけたのか、館の奥からまた唸り声が響いてきた。


 ずるずると這いずる音、さらさらと衣擦れの音、そしてひたひたと忍び寄る足音……理不尽な悪夢が大挙して押し寄せてくる。

 再び身を固くした袁紹を安心させるように、孫策は袁紹の前に立って剣を構えた。


「袁紹殿、あなたがいなくなる必要などないのです。

 今ここで、この孫策がそれを証明して差し上げましょう!」


 そう言うや否や、孫策は霧の中から現れた怪物に猛然と襲い掛かった。


  顔に板を張り付けた召使いたちの凶器を持つ手が切り落とされる。

  いやらしく涎を垂らす狂犬たちの頭が割れる。

  悪臭をまき散らす芋虫にも物おじせず、踏みつけて切り刻む。


 袁紹はまるで夢を見るような心地で、それを見ていた。


  この家で、自分に味方してくれる者がいる。

  自分が生きるのを喜んで、あんなに恐ろしかった敵を蹴散らしてくれる。


 幼少のころ、どうしても抗えなかった恐怖の権化が、孫策に次々と倒されていく。


  自分が恐れていた者たちは、こんなに脆いものだったのか。


 いつの間にか、体から余分な力が抜けていた。

 裏の袁紹は滑り落ちかけていた剣を握り直し、自らも怪物たちの側面に斬りこんだ。


「貴様らの相手は、この私だあぁ!!」


 ようやく本来の相手を見つけた敵意をむき出しにして、袁紹は思うまま刃を振るった。


  長い間恐れ続けていたものを、己の意志で葬っていく。

  その気になれば、こんなに簡単なことだったのだ。


 その辺りに怪物がいなくなると、袁紹と孫策は笑顔を合わせて二人で歩き出した。

 進むべき道は、分かっている。


  今度こそ、袁術と正面から向き合い、決着をつける。

  劉備の時のような姑息な細工は、もう必要ない。


 袁紹の心を覆う霧は、未だ晴れない。

 だが、その中をがむしゃらに進む勇気を孫策は教えてくれた。

 こんなに誰かを信じられるのは、袁紹にとって初めての経験だった。

 孫策は袁紹や袁術と異なり、初めから身分の高い家の出ではありません。

 孫策の父孫堅は湖賊退治や反乱討伐で名を挙げた武闘派の人間です。

 孫策も父親に似て武芸に優れ気性が激しかったらしく、敵将に出会って襲われても勇んで迎え撃ち、激しい一騎打ちをしたことすらあります。


 そんな孫策の身分に囚われない言動は、袁紹の心を少しずつ開いていくのでした。

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