孫策~回想の揚州にて(1)
孫策が仙人を殺し、彷徨うはめになった理由が詳しく語られます。
三国志演義では割と知られたあらすじですが、単にホラー好きで読まれている方には説明が必要になるので端折らずに書きました。
あらすじを知っている方も、孫策の心情や行動方針をたっぷり盛り込んでいますのでよろしければお読みください。
孫策は、江東に大勢力を築き、孫家の長として君臨していた。
国は栄え、民は集まり、全ては順風満帆だった。
孫家には袁家のような一族の争いなどとんと縁がなく、家臣たちの結束も固かった。
孫策自身も一時は浪人に襲われて怪我で寝込んでいたが、時が経つにつれて順調に回復していた。
ちょうど袁紹から、曹操をはさみ討ちにしようと手紙が届き、復帰戦としてそれを実行しようとしていた。
事件は、そんな白昼に起こった。
「おい、于吉仙人がお見えになるぞ!」
袁紹の使者をもてなす宴の最中、一人の家臣がふと外を見て声を上げた。
それにつられて、他の家臣たちも次々と席を立って外へ出てゆく。
(他国の使者をもてなしているのに、無礼な!)
孫策は苛立ったが、さすがにその場で家臣たちを叱りつけたりはしなかった。
逆に、自らも席を立って外にいる何かを見ようとした。
自分の忠実な臣下を、何がそれほど惹きつけるのか……興味が湧いたのだ。
孫策は優秀な人材、役に立つものが大好きだった。
あわよくばそれを配下に組み込み、この国をさらに豊かにしようと考えていた。
しかし、外に出てその正体を見たとたん、孫策は怒りと失望を露わにした。
「何だ、あのみすぼらしい老人は!!」
大勢の民の中心にいたのは、ぼろぼろの衣をまとい、髪もひげも伸び放題の老人だった。
およそ役に立つとは思えないその老人を、民も家臣たちも恍惚の表情で崇めている。
「あの方は、町はずれに住んでいる仙人なのですよ!
昼も夜も香を焚いて経を読み、ふしぎな術で人々の病を治すとか。
徳が高く、信者も多うございます」
額に青筋を立てる孫策の隣で、家臣の一人が心酔の表情で言った。
それを聞いた瞬間、孫策の頭の中でブチッと何かが切れた。
そんな見るからに怪しい詐欺まがいの老人が、国事よりも優先されるのか!
「あの老人をひっ捕らえろ!!」
孫策はすぐさま、兵士たちに命令を下した。
兵士たちは戸惑いながらも、于吉に縄をかける。
とたんに、周りで見ていた民が騒ぎ始めた。
「ああ、何と恐れ多い!あれほど徳の高いお方にお縄をかけるとは!」
「どうかお助けください、その方には何の罪もないのです!」
なんと民に混じって家臣たちまで、于吉の命乞いを始めたのだ。
それは、孫策の怒りに拍車をかけた。
「罪がないだと?
今こうして、実体のない詐術でおまえたちを騙しているではないか!
仙術や神聖な力など、まやかしに過ぎぬ。そのようなものがはびこれば、国が滅んでしまいではないか!!」
民や家臣が何を言おうと、孫策はがんとして聞かなかった。
孫策の目には、一点の迷いもない。
世の中、実体の伴うものが全てではないか。
孫策は、これまでずっとそう考えて生きてきた。
実際に、実体の伴わないものが役に立ったためしはない。
袁術に兵を借りる見返りに貸した、玉璽がその最たるものだ。
持っていても何の利益もなかったし、何もできなかった。
引き換えに借りた数千の兵の方が、ずっと役に立って頼りがいがあった。
だから孫策は、見えないものに惑わされる民が哀れでならなかった。
惑わされている民や家臣を救うために、于吉が無力であることを証明しようとした。
だが、これはうまくいかなかった。
孫策は于吉に、三日以内に雨を降らせてみろと命令した。
そのころ、日照りが続いていて雨はまだまだ降りそうになかった。
これで雨が降らなければ、于吉の術がまやかしであると証明され、それを罪として処刑することができたはずだ。
だが、于吉は雨を降らせた。
いや、于吉が降らせたのではないかもしれない。
しかし、確かに三日目に雨は降ったのである。
民や家臣たちはそれを見て、これぞ奇跡だと狂喜した。
しかし、孫策は認めなかった。
いや、この国を守る君主として、認める訳にはいかなかった。
なぜこんな目に見えないものを、人々はここまで信じるのか?
今まで目に見える力で国を守ってきた自分よりも、信じられるのか!?
「雨は降る時は何もしなくても降るものだ、人が天候を左右できる訳がない!」
結局、孫策はそう言って于吉を処刑してしまった。
民や家臣は大いに悲しみ、孫策のことを残酷だと噂した。
しかし、これはまだ地獄の一丁目に過ぎなかった。
于吉を処刑してから、孫策は毎夜のように悪夢にうなされることになった。
眠るたびに于吉が夢に出てきて、そのたびに剣を振って暴れるようになったのである。
孫策は、まだ病み上がりだった。
この悪夢は孫策の体力を容赦なく奪い取り、孫策の体調は再び悪化していった。
それをきっかけに、孫策に新たな悩みの種が生まれた。
孫策の妻と母親が、それを于吉の祟りだと言い出したのである。
それは孫策にとって、自分が苦しめられるより屈辱だった。
よりによって、ずっと守ってきた最愛の家族の心を奪われるとは!
孫策は、精一杯虚勢を張って、妻と母の心を取り戻そうとした。
「なあに、心配ありませんよ。
まだ怪我が治りきっていないだけです、すぐ元気になります。
祟りなどありませんから、安心してください」
しかし、目の下に大きなくまを作ってやつれた顔で言っても、空しく響くばかりだ。
そして夜になると、また于吉の姿を見て暴れ出す。
目の前にはっきりと現れる于吉の姿めがけて、必死で剣を振るう。
これまで倒してきた数多の敵と同じように、物理で倒せると信じて。
祟りなどない、霊などない、だからこれも実体なのだと信じて。
己の信念に従い家族と国を守るには、それしか思いつかなかった。
そして、度重なる激昂と狂騒の末に、治りかけていた傷が再び開いた。
その傷は再び塞がることなく、孫策は生に終わりを告げた。
その先にさらなる地獄が待ち受けていようとは、夢にも思っていなかった。
孫策は仙人の于吉を殺したため、その祟りで命を落としてしまいました。
次回は袁譚編の冒頭と同じく、孫策が死んでからどのような目に遭ったかが語られます。
孫策は己の犯した罪をどのように受け止めるのか、それは袁紹の場合とどう違うのか…お時間がありましたら、もう一度袁譚編の1、2話目を読み返してみてください。