公孫瓚~憎悪の館にて(1)
公孫瓚と聞いて騎馬隊「白馬陣」を思い浮かべた方にはすみませんが、この話に馬は登場しません。
公孫瓚のスペックを生かし切れない設定に心よりお詫び申し上げます。
(また閉じ込められたか……)
公孫瓚は苦々しく思いながら、屋敷の中に歩を進めた。
屋敷は外から見たよりも荒んでいなくて、むしろ人が生活していた気配さえ見受けられる。
庭木はきちんと手入れされていたし、扉はさび付いているにも関わらずすんなり開いた。
(もう、どうにでもなれ!)
そう思って中に入ったとたん、口ばかりの顔に出くわした。
初めは、それが何なのか分からなかった。
次の瞬間、その赤黒い穴から吐き出された臭い息で、それが怪物だと分かった。
「このっ!!」
公孫瓚は怪物に蹴りを入れつつ、剣を抜いて後ずさった。
怪物はちょうど人ほどの背丈で、血が抜けたような妙に白い肌をしていた。
舌もない口で、何かもごもごとつぶやいている。
「……ノクセニ……」
怪物がつぶやく声が、一瞬言葉に聞こえた。
公孫瓚は斬りつけるのをひとまずやめ、怪物の声に耳をすました。
「……ショウノ、クセニ……。
キタナラ……イ……ゲセン……クセニ……」
怪物は確かにしゃべっていた。
しかもその声には、あからさまな悪意がにじみ出ていた。
(ショウのくせに? 汚らしい? ゲセン?)
怪物が振りかぶる虫の足のような指をかわしながら、公孫瓚は怪物の言葉を頭の中で訳した。
(将のくせに汚らしい?
下賤だと……わしのことを言っているのか!)
言葉の意味を理解したとたん、公孫瓚は頭に血が上った。
この怪物は不遜にも、誇り高い武人を汚らわしく下賤だと言っているのだ。
公孫瓚は猛然と怪物に斬りかかった。
怪物は決して弱くはない、だが公孫瓚は人の中で抜きん出た武人である。
「はやぁ!」
鋭い爪をかがんで避け、怪物の体躯に剣を突き刺す。
怪物が苦痛に身をよじり、嫌がるように身を引いた。
その時、怪物の顔が……いや口元が歪んだように見えた。
何か生理的に毛嫌いするものを退治しようとする時のような表情。
早く始末したいのに思わぬ反撃をくらって、触りたくもない嫌悪に必死で避けようとする動きだ。
「ギョ、ギャ、グエ……!」
嫌がるように頭を振りながら、泡を食ったように汚い唾を撒き散らす。
公孫瓚は鎧でそれを防ぎながら、怪物の無駄にふくよかな体を切り裂いた。
怪物は相変わらず、倒しても倒しても現れた。
しかも外にはいなかった、汚い液を吐くイモムシのようなものまでいた。
絶え間ない緊張にさすがの公孫瓚も疲労を覚えて、怪物のいない部屋で扉を閉めて腰を下ろした。
「ふう……一体いつまで続くんだ?」
つい、弱音が口をついて出た。
状況は悪くなるばかりだ。
早くこの怪異の元を見つけて倒さなければ、こちらが疲れ果ててしまう。
(何か怪異の手がかりのようなものはないものか……)
公孫瓚は部屋の中を見回した。
外にいるとどうしても怪物を気にして探索がおろそかになってしまうが、こうして密室にしてあればその余裕が生まれる。
そこは、高貴な夫人の部屋のようだった。
外はあんなに荒れ果てているのに、ここだけが生活感を残している。
宝石をちりばめた化粧箱、よく磨かれた鏡、きれいに整えられた寝台。
いかにも、上流階級の贅沢な女が暮らしていた感じだ。
(袁紹に関係のある女か?)
公孫瓚は直感的にそう思った。
袁紹は名門の嫡子、奴の女ならこんな贅沢をしていてもふしぎではない。
鏡台の上に、一冊の書物が置かれていた。
「これは……?」
公孫瓚はそれを手に取って、読み始めた。
この部屋の辺りから、袁紹の悪夢要素がふんだんに出てきます。
ただし、袁紹のことを(生まれや家族的な意味で)よく知らない公孫瓚がそれを正しく受け取れるかは別の話ですが。