孫策~霧の廃村にて(2)
訳の分からない霧の世界でも、孫策は冷静に手がかりを求めます。
そもそも、孫策はこれまでの三人と異なり、巻き込まれたのではなく自ら霧に飛び込んだのです。最初から、気合が違います。
そんな孫策が最初に見つけた手がかりは、一体何だったのでしょうか。
廃屋の裏には、怪物がたむろしていた。
先ほどの人型と狂犬もどきがかまどを囲んで唸っている。
(あのかまどの中に、何かあるのか?)
孫策が近づいても、怪物たちは気づかないようだった。
「後ろがお留守だぞ!」
孫策はためらわずに背後から斬りつけ、最初の二匹ほどは速攻で倒す。
慌てて振り向いた他の怪物も、孫策の体に傷をつけることなどできやしない。
てんでばらばらに襲い掛かって、返り討ちにされるだけだ。
「ほら、もうおしまいだ」
久しぶりにかいた爽やかな汗を拭って、孫策はかまどに目を向けた。
それは、何の変哲もない古びたかまどだ。
本当にどこにでもある、民が食料を煮炊きするのに使うかまどだ。
不審な点といえば、ふたが閉まっていて中から何かの気配を感じるくらいか。
「どれ、中には何があるのだ?」
孫策は恐れることなく、かまどのふたを開いた。
中をのぞきこむと、一対の目が孫策を見つめた。
妙に敵意のない、怪物とは違う視線だ。
孫策が静かに見守っていると、それは恐る恐るかまどの中から這い出してきた。
小さくて、きれいな手が差し出される。
「ほう!」
孫策は、少し驚いた声を上げた。
出てきたのは、まだ10歳くらいの少年だった。
だが、孫策が驚いたのはそこではなかった。
この少年は、地味ながらも質のいい着物をまとっていた。
髪はきちんと結いそろえられ、顔も手もほとんど汚れていない。
明らかに……。
しかし、とりあえず孫策はその少年を保護することにした。
怯えた目をして見つめる少年に、孫策は優しく声をかける。
「もう大丈夫だぞ、この辺りの怪物はあらかた始末した。
ところで、おまえは何をしているんだ?」
孫策が尋ねると、少年は肩を縮めて答えた。
「何って……変な生き物から逃げてたの。
霧が出て、突然あんなのが襲ってきて……ねえお侍さん、助けて!」
少年の声は、かすかに震えていた。
目元は泣きはらしたように少し赤く染まり、肌は氷のように冷たい。
肌が冷たいのは、死人だからなのだろうが。
少年はどうにか息を整えながら、孫策を上目づかいに見上げた。
普通の人間なら、本能的に庇護欲をかきたてられるしぐさだ。
孫策もそれに倣い、少年の手をそっと握った。
「大丈夫だ、おれが守ってやる。
もっとも、安全な場所はおれにも分からんがな」
それを聞くと、少年は嬉しそうに孫策にしがみついた。
「あ、ありがとう……!
僕も、一生懸命出口を探すから……よろしく、お願いします」
それは、とても農民の子とは思えないきれいな言葉だった。
孫策は少年に背を向けると、思わず不敵な笑みを浮かべた。
(おもしろい、どう出てくるかな……?)
この子がこの村の幽霊でないことは、すでに分かっている。
こんなさびれた廃村に、こんな上品な子がいるものか。
上品な言葉、上品な服、あの廃屋の文字もこいつが書いたのだろうか。
全ては、この荒みきった村の雰囲気からかけ離れている。
つまり、こいつはどこか別の場所からやって来た者だ。
それに孫策の経験上、普通の死者は死んだ場所からあまり離れることができない。
死んですぐ冥界への道を辿るか、地縛霊としてその場にとどまるかだ。
こいつは、そのどちらでもない。
(さて、まずは出方を見るとするか!)
久しぶりの駆け引きに心を躍らせながら、孫策は少年を連れて歩き出した。
しばらくの間、孫策は少年を守って歩き続けた。
時折怪物が現れては、襲い掛かってくる。
そのたびに、孫策は見事な武術で怪物たちを返り討ちにした。
(ふん、どうやらすぐ殺す気ではないようだな)
怪物たちは、二、三匹で小手調べのように襲い掛かってくる。
力を測ろうとするにもレベルが低すぎるし、そもそもあまり敵意が感じられない。
むしろ、孫策が少年から離れないようにしている感すらある。
一度少年を置いて近くを探索しようとしたら、少年がこつ然と現れた怪物に囲まれてしまった。
やはり、怪物よりも少年の方が本命のようだ。
少年はただ怖がって逃げているように見えて、孫策をどこかに連れ込もうとしている。
霧で方向感覚が狂ってしまうため分かりづらいが、確実に一方向に逃げて、孫策について来るよう仕向けている。
それでも、孫策はあえて少年の好きなようにさせた。
「あまり離れるんじゃないぞ!」
わざと少年の意図に沿うような言葉すらかけて、孫策は霧の中を進む。
霧の中に家の影が見えなくなり、木々の影ばかりになる。
襲ってくる怪物が少なくなる。
空気の冷たさが和らぎ、悪寒が引いていく。
まるで、悪夢の震源地から離れていくように。
村からだいぶ離れた森の中までくると、少年はふいに立ち止まった。
その先に視線をやって、孫策は思わず目を見開いた。
「おお、この光は……!」
霧の向こうから、温かい光が差し込んでいる。
この霧に巻かれる前に感じていた、太陽の光だ。
孫策は、苦笑した。
(お呼びでない、と……そういうことか!)
よく見れば、霧が不自然に流れている。
まるでそこに見えない壁があるように、霧が阻まれてその先に流れていかない場所がある。
おそらく、少年の言っていた『出口』なのだろう。
霧の主は、孫策に出て行けと言っているのだ。
スリルに満ちた駆け引きを想像していた孫策は、拍子抜けしてしまった。
「ほら、お侍さん、向こうが明るいよ!」
少年は明るくはしゃいで、孫策を見えない壁の向こうへと誘う。
そのくせ、自分は決して先に行こうとはしない。
そんなに自分と別れたいのかと、孫策はため息をついた。
「……こんな子供に、乱暴はしたくなかったんだがな……」
孫策は静かにつぶやくと、にこにこと笑いながら少年に歩み寄った。
「よしよし、いい子だからな……ちょっと俺の質問に、答えてもらおうか!!」
いきなり不敵な笑みを露わにした孫策に、少年の顔色が変わった。
しかし、少年が身を翻すより、孫策の手が少年を捕らえる方が早かった。
次の瞬間には、少年は孫策にがっちりと掴まれ、細い首に剣を突き付けられていた。
言うまでもなく、この少年は袁紹です。
孫策を穏便に追い出そうとしましたが、あっという間に見破られて失敗してしまいました。
袁紹は様々な場所に異界を生み出すことができますが、少年になった時の姿は変えられません。当然、場所と格好が合わない状況が生じてしまう訳です。
今回の教訓:人を騙そうとする時はTPOに合わせた格好をしましょう。