劉備~深淵の地下牢にて(2)
劉備たちは天下万民を救うという理想に燃えて生きています。
彼らが拠るべき地を持たない流浪の身のまま、もう中年にさしかかろうとしている現実を考えると、冷たい目で見れば彼らはとんでもない理想主義者なのです。
理想主義の人間は、自分の意に沿わない、又は理解できないシナリオを認めることができません。
袁紹がいくらがんばっても、劉備がそれを理解できなければ…。
怪物が倒れてからも、袁紹は少しの間執拗に怪物を切り刻んでいた。
それでもどうにか己を押さえつけて手を止めると、袁紹は実に気分の悪そうな顔で劉備たちの方を向いた。
「見苦しいところを見せたな。
ところで玄徳、おぬしは……本当にわしを救う気があるのか?」
自分を救ってくれようとする恩人に、袁紹は懐疑の眼差しを向けずにいられなかった。
自分は、ここにいるのは自分の悪夢の産物であるとちゃんと説明した。
それに、あの怪物は明らかに自分を殺しにかかってきていた。
それでも、劉備たちは勝手に攻撃の手を止めてしまった。
いくら救ってもらえるといっても、その前に怪物に引き裂かれたい訳がない。
「玄徳よ、わしがここで倒れればおぬしらを導くことはかなわぬぞ。
わしが倒れても片割れがいる限りこの悪夢は消えぬ、わしの導きなしでこの悪夢を彷徨い続けたいか!!」
そこまで言って危機感をあおってやると、ようやく劉備は頭を下げた。
「申し訳ありません、つい言葉を解するならと思ってしまいまして……」
必死で謝罪する劉備の姿に、袁紹はかろうじてそれ以上の叱責を抑えた。
お互い、これ以上顔を合わせる時間を伸ばしたくない。
袁紹自身、さっきの怪物に心の古傷を引っ掻き回されたせいで余裕をなくしつつあった。
そもそも、劉備だけならともかく、
その義兄弟と顔を合わせるのはそれだけで苦痛なのだ。
特に、あのからみつきそうな長い髭は何よりストレスだ。
あの男は、その長い髭が袁紹のどんな記憶を釣り上げるか自覚しているのだろうか?
「ともかく、今この悪夢に世界にはおぬしら以外の生者はおらぬ。
おぬしらは、おぬしらとわしのことだけを心配して先に進めばよい!」
自ら振った話を強引に打ち切って、袁紹は再び前に出て劉備たちから目をそむけた。
今はただ、一刻も早く片割れのもとにたどり着いてこの苦痛から解放されたかった。
しかし、歩き出そうとしたとたん、不機嫌な野太い声が袁紹を止めた。
「いい加減にしろよ、てめえ……」
幸いにして、最も苦手な方の義兄弟ではない。
しかし、性格だけで判断すれば最も嫌いかもしれない方だ。
「兄者はてめえを助けてやろうって言ってんだぞ?
なのに、てめえは都合の悪いことは隠してばっかじゃねえか!
おれたち以外に生きた人間がいねえとか、てめえが倒れても悪夢が消えねえとか、そんなの聞いてねえんだよ!!」
張飛の言葉に、袁紹はぎりっと唇を噛んだ。
確かに、それを劉備たちに教えていなかったのは間違いない。
しかし、果たしてそれは教える必要があるのだろうか?
今まで自分がしゃべっただけの情報に従えば、自分も劉備たちも簡単に助かるのに?
根ほり葉ほり聞こうとする人間は、嫌いだ。
だが、それでも袁紹は素直に応じた。
「そうか、ならば答えよう。
おぬしたちは何が知りたい?わしの何を聞きたい?
おぬしたちがそれで満足するなら、わしは正直に答えよう。」
生前の袁紹ならば、まずあり得ない言葉だ。
しかし、今はこう答える以外に救いを得る道はない。
さっき、自分の全てを嘘偽りなく晒すと、約束したのだから……。
全ては、この険しい道の先にある安らぎのため……必死で自分に言い聞かせた。
「さあ、何が聞きたい?
言ってみよ!」
半ばやけになって、劉備たちに問う。
劉備は少し気まずそうに眼を伏せていたが、すぐに凛とした表情で口を開いた。
「あなたがどうしてこのような悪夢を生み出すに至ったのか、私には分かりません。
この悪夢の原因を、教えていただけないでしょうか?
そしてこの場所……見たところ遊郭のようですが、この場所がどのようにあなたの悪夢に関係しているかも……」
いきなりそこにくるかと、袁紹は頭痛を覚えた。
義兄弟たちのように、もっと細かいところから入ってくれたら時間が稼げたのだが、こんな風に聞かれたら答えぬ訳にはいかない。
現に関羽と張飛はすでに袁紹に猛禽のような視線を向けている。
二人の握る武器の切っ先は、心なしか袁紹の方を向いているように思えた。
逃げ場は、ない。
袁紹は一度大きく深呼吸して、腹をくくった。
そして、自分は先頭に立って歩きながら、背後にいる劉備に向かって話しかける。
「玄徳よ、おぬしは、わしが娼婦の子であると聞いたことがあるか?」
胸に、錐で刺されたような鋭い痛みが走る。
「おぬしも徐州にいたのなら、噂くらい聞いているであろう。
わしの悪夢は、その生まれに由来しておる……」
背後で、劉備が息をのむ気配がする。
もう後には引けない。
袁紹は身を焦がすような羞恥と屈辱にがむしゃらに抗いながら、己の悪夢を語り始めた。
袁紹は生きるために築き上げてきた名家の誇りを自ら踏みにじって、悪夢を告白するはめになってしまいました。
しかし、劉備が袁紹を信じられないのもある意味当然のことです。
悪夢の世界のルール、袁紹の過去、劉備にとっては理解不能な不安材料がてんこ盛りなのです。
果たして、袁紹はこの溝を埋めて救いを手にできるのでしょうか。