劉備~愛惜の館にて(6)
劉備に力を貸してもらいながら、袁紹は今度は楼閣の下に下がっていきます。
楼閣の頂上にある聖域とは逆に、己の最も醜い部分を晒す地下の暗闇に向かって…。
「しかし、今この怪物は袁紹殿にも害を……!」
必死で取り繕おうとしているのが、なお憎らしい。
あの時と同じように、うまく欺いて出られるとでも思っているのか。
こういう態度をとられると、こんなものに救われていいのかと思えてくる。
だが、袁紹はそこで頭を冷やした。
こんな奴でも、民を救い、世を直したいという志は確かだ。
ならば、自分が救うべき対象であると分からせればいい。
劉備は偽りを憎み、何にでも筋道を通したがる。
ならば自分がするべきことは一つ、劉備に対して隠し事をしないことだ。
生前は立場上いろいろと隠してきたこともあったが、地上の地位や名誉を全て失った今、それを隠し続ける理由はない。
袁紹は憂いをこめた口調で、劉備に語りかけた。
「おぬしの察しのとおり、この怪物はわしの感情から生まれたものだ。
事実は事実、気を遣わずともよい」
己の罪を認める発言に、関羽と張飛もこちらを向いて聞き耳を立てた。
袁紹は構わずに続ける。
「ただ、魂が割れているせいで、わしにもこやつらを制御できぬのだ。
おかげで、危険な目に遭わせてしまったが……。
ともかくわしの魂を直さねば、この悪夢を終わらせることはできぬ」
と、そこまで言って、袁紹は一旦劉備の返答を待った。
しかし、言い返してきたのは張飛だった。
「やいやい、ずいぶんと責任逃れな言い方じゃねえか!
てめえは自分の感情に自分で責任も取れねえのか!?」
その言葉には、侮蔑と呆れがありありとにじみ出ていた。
自分のことは全部自分で始末しろとばかりの物言いだ。
袁紹は、こういう短絡的な頭の持ち主が大嫌いだった。
自分の感情を自分で全部制御できれば誰も苦労などしないのだ。
今のこの怒り一つを制御するのですら、こんなに苦しいのに。
袁紹が何も言えずにいると、関羽が後ろから張飛をたしなめた。
「言葉が過ぎるぞ、張飛!
感情というのは本来、思うに任せぬものなのだ。
人のことを言うくらいなら、おまえはおまえの酒癖を自分でどうにかできるのか?」
「うへっ……分かったよ兄貴」
痛いところを突いた一言に、張飛は一瞬でしおらしくなった。
そこでやっと、劉備が口を開く。
「袁紹殿の苦心、お察し申し上げます。
名家の当主などはしがらみも多いもの、それゆえの心労も多かったのでしょう」
劉備は優しげに眼を細め、袁紹に頭を下げる。
「そのためにこのような事態になってしまったのであれば、それは袁紹殿の意に沿わぬことです。
あなたの本心がこれを望まぬのであれば、私に手助けを拒む理由はありません。
微力ながら、力をお貸しいたしましょう」
偽りのない慈悲が、そこにはあった。
袁紹ははにかむように微笑みを浮かべ、劉備が差し出してきた手を握り返した。
「うむ、恩に着るぞ」
返した袁紹の言葉もまた、生前とは違い、嘘偽りのないものだった。
そうこうしているうちに、劉備たちは楼閣の一階に戻ってきていた。
これで地上は全部の階を回ったはずなのだが、袁紹は足を止めなかった。
正面の入り口とは反対方向にある、奥まった部屋に入っていく。
「袁紹殿、そこは……?」
袁紹あとについて部屋に入った劉備は、中を見るなり絶句した。
その部屋には、家具も装飾もなかった。
殺風景な床の上に、無数の黒い影が転がっている。
人の赤ん坊くらいの大きさのそれは、死んだように不気味な静寂の部屋を彩っていた。
「え、袁紹殿……それは一体……?」
劉備が震える声で聞くと、袁紹は悲しそうにつぶやいた。
「父上が名門の当主でなかったら、わしもこうなっていたかもしれぬ」
「!?それはどういう…?」
劉備の言葉が終わるのを待たずに、袁紹は床板の隙間に手をかけた。
ほこりの積もった床板がごとりと動き、その下にさらなる闇が口を開ける。
そこには、階段があった。
どこまで続くとも分からない、下へ向かう階段。
漆黒に塗りつぶされた穴の底から、この世のものならぬ瘴気が吹き上げてくるようだ。
腕には自信のある劉備たちも、これには息をのんだ。
袁紹は側にあった蝋燭に火を灯すと、自ら率先して穴の中に踏み込んだ。
「この先に、悪夢に染まったわしの片割れが待っておる。
下は確かに恐ろしい場所だ、だがおぬしらなら来られるだろう」
そこで一息ついて、袁紹は劉備に請うような視線を向けた。
「どうか、わしを信じて一緒に来てほしい。
この悪夢はわし自身ではどうにもならぬ!
おぬしらだけが頼りなのだ!!」
しばし、静寂の時が流れた。
劉備は少しの間義兄弟たちと視線を交わしていたが、やがて袁紹の方に向き直ってうなずいた。
「分かりました、参りましょう。
あなたの真実を見届けることで、あなたが救われ、民がこの脅威から救われるならば」
やはり、完全には信用されていない気がするが、それでも十分な答えだ。
つまり袁紹は、民を脅威から救うために、救わねばならないと判断された訳だ。
だが、それでも救ってもらえれば結果は同じことだ。
袁紹は精一杯の感謝の笑みを浮かべ、劉備に告げた。
「すまぬ、死人の身でここまでしてもらえるとは、おぬしに想われる民は幸せであろう。
わしももはや地上に守るものはない。
ここからは隠し事なく、わしの真実の全てを見せよう!」
これから冥府のごとく暗い穴に下りていくのに、袁紹の目には光が灯っていた。
劉備の仁徳が、袁紹にも希望の光を与えてくれたのだ。
(そうだ、わしはもう名家を守らなくてもよい。
この男に全てを晒して、今ここにいるわしを救ってもらうのだ!)
袁紹は強い決意を胸に、自ら先頭になって階下の暗闇に身を沈めた。
全てを晒し、真実を語れば救ってもらえる…その確信が何よりも彼を支えていた。
たとえ真実を晒しても、
それを相手が真実と認めるかどうかはまた別の話だが…。
そんな考えは、今の袁紹の頭にはなかった。
袁紹は生前、いろいろなことを隠し、周りと自分を欺いて生きてきました。
自分を守るためだったとはいえ、欺かれていた方は当然袁紹に不信を抱いています。劉備にとっても、袁紹は本音で接していなかったため、素直に信じることはできない状態になっています。
袁紹は劉備に全てを明かし、信じてもらおうと考えますが、うまくいくかどうかは読み進めてのお楽しみです。