劉備~愛惜の館にて(4)
館が裏世界に変貌しました。
普通なら招かれた方が恐怖と不安を味わうものですが、今回はむしろ袁紹の方が恐怖と不安に苛まれています。袁紹にとって、嫌いでない人間にこの悪夢を晒すことは、自分が嫌われるかもしれないという恐怖と背中合わせの行為なのです。
「こ、こいつは……!!」
関羽と張飛は、変貌した世界を見てますます険しい顔をした。
普通に考えて、こんな恐ろしい世界の主がまともな人間の訳がない。
その悪夢の主は、さっきの少年と同じように目の前に佇んでいた。
「……ああ、やはり、貴方でしたか……」
すっかり知っている姿になった悪夢の主に、劉備はまだ信じられないながら声をかけた。
「袁紹殿……」
彼は確かに、劉備の知っている人間だった。
それどころか、劉備は彼の世話になったこともあった。
何度か顔を合わせて話をしたことはあったが、まさかこんな形でまた会うとは思ってもみなかった。
袁紹が、はにかむような笑みを浮かべて声を発した。
「久しいな、玄徳。
あれから変わりはないか?」
顔も、声も、どこか不安げな表情も、全てあの時のままだ。
よく参られた、この袁紹はおまえを歓迎する。
ゆるりと休まれよ。
ただ昔と違うのは、袁紹はすでに死んだ人間であるということだ。
そう、この袁紹という人物は、もうこの世にはいないはずなのだ。
劉備はできるだけ袁紹を刺激しないように、柔らかな微笑みを作ってその問いに答えた。
「見てのとおり、この身に変わりはありません。
ただ、あなたという強敵を失った曹操に攻撃をかけられ、汝南から追い出されてしまいました」
それを聞くと、袁紹はすまなさそうに頭を垂れた。
「それは悪いことをした。
だが、わしも負けようと思って負けたわけではないのだ。
それに、人である限り天命には逆らえぬ」
その言葉に、劉備の肩から少し力が抜けた。
どうやら袁紹は、自分が死んだことは理解しているらしい。
ただ、どうしてそのうえで彷徨っているのかは聞いてみる必要があるが。
「袁紹殿、失礼を承知でお聞きいたします。
あなたはすでに、人の命を終えこの世にいるべきではないはず。
なぜこのように迷っておられるのですか?」
とたんに、袁紹は待っていたように嬉しそうな顔をした。
「おお、聞いてくれるのか!」
この時を、どれほど待ち続けただろう。
暗く醜い悪夢の底で、袁紹はずっとこの時を望んでいた。
もう自分を助けてくれる者はいないのではないかと、何度も思った。
悪夢に引き込んだ者にことごとく拒まれて、その度に失望を味わった。
だが、今目の前にいる劉備はこれまでとは違う。
こうして聞く耳を持ってくれる人がいたことが、袁紹にはこの上なく嬉しかった。
(ああ、私は助かる……救われる……!
この救世主は、本当に私のような者にでも手を差し伸べてくれるのだ)
袁紹は劉備の顔をすがるように見つめ、口を開いた。
「わしとて迷いたくて迷っている訳ではない、むしろ早く安らかに眠りたいとすら思っておる。
だが、生前の業がわしにそれを許さぬのだ。
わしが冥界で安らかに過ごすためには、どうしても他人の助けが要るのだ!」
今度こそと思うと、自然と声に熱が入った。
「わしが冥界に行くためには、割れてしまった魂を直さねばならぬ。
劉備よ、このような招き方をして心苦しいが、どうか今一度わしに手を貸してくれい!」
袁紹がひとしきり頼み込むと、劉備は義弟二人と顔を見合わせた。
「どうするよ、兄者?」
明らかに疑いを持った表情で、張飛が劉備に問う。
反対側にいる関羽も、いぶかしそうな顔をしている。
(あまり余計なことは言ってくれるなよ……)
袁紹は心の中でつぶやいた。
劉備が誰よりもこの二人の意見に耳を貸すことはよく分かっている。
だが今この時だけは、他ならぬ自分の意見に耳を傾けてほしかった。
唐突にこんなことを言われても、信じてもらえないとは思う。
しかし、信じてもらえなければ自分は永遠に救われない。
いくら信じがたいことでも、これはまぎれもない事実なのだから。
しばらく、沈黙の時間が過ぎた。
やきもきしている袁紹の前で、劉備が静かに口を開く。
「分かりました、できることであれば、お手伝いいたしましょう。
そうすれば、貴方ももうこのような怪異を起こさなくて済むのでしょうから」
真に袁紹のことを思った言い方ではない。
だが、協力してくれるだけでも袁紹にとっては十分な答えだった。
劉備は、一応袁紹に手を差し伸べる道を選びました。
しかし、袁紹に対する疑いを捨てた訳ではありません。
袁紹はそんな劉備に自分を信じてもらうために必死で努力しているのですが…。