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袁紹的悪夢行  作者: 青蓮
第3章~劉備玄徳について
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劉備~愛惜の館にて(2)

 この館でもこれまでの館と同じように、時を超えた手紙などによって袁紹の悪夢が語られます。


 劉備たちを導くように響くすすり泣きと涙の跡は、袁紹の幼少時の悲しみがにじみ出たものです。この悪夢の中で、袁紹は誰にどのような感情をもって泣いているのか、館の名前もヒントになっています。

 足跡は、ある部屋の手前で止まっていた。

 最初に関羽が少し扉を開けてのぞいたが、怪物の姿はなかった。


「大丈夫です兄者、ここは安全です」


 入ってみると、そこは廓にふさわしくないほど上品な部屋だった。


  飾り気の無い木彫りの机。

  その周りには書物と子供の玩具が置かれている。

  まるでそこだけ、良家の子供部屋を切り取って貼り付けたような感じだ。


 机は、それ自体は磨かれているにも関わらず、墨で盛大に汚されていた。

 もう少し近付くと、劉備にはそれが意味のある言葉だと分かった。


<お母さんに会いたい!

 本当に、ぼくを産んでくれたお母さんに会いたい!

 あのおばさんをお母さんと呼ぶのはもう嫌だ!>


「これは……?」


 あの少年が、書きなぐったのだろうか?

 それを考える間にも、今度は部屋の外からすすり泣く声がした。


「会えない……まだ、会えない……。

 でも、信じています。こうしてがんばっていれば、きっといつか会えるって……。

 だから私は、その日を信じて、針のむしろの日々を渡っていけます」


 さっきより、いくぶん大人びた声だった。

 さっきの少年が、もう少し聞き分けのよい年になったような……。


「成長している!?」


 驚いた劉備たちが部屋から出ると、そこにはまた新たな足跡があった。

 その足跡は、さっきより明らかに大きくなっていた。


「やべえな、兄者……。

 これって、早く捕まえた方がいいんじゃねえか?」

「うむ、事態が進行しているなら急いだ方が良い」


 関羽と張飛にせかされて、劉備は再び足跡を辿り始めた。

 しかし、その足取りにはわずかながら迷いが生まれていた。


  成長した少年の声に、劉備は既視感を覚えたのだ。


(私は、以前あれと会っている!?)


 幼い面影だけでは分からなかったが、声は琴線に触れるものがあった。

 劉備は確かに、あれに近い声で話しかけられた記憶があった。


 ふと、劉備の脳裏に城内の風景が浮かんだ。


  外は真っ白な雪に埋もれている。

  火を焚いていても底冷えのするような寒さの中で、

  その人はどこか影のある柔和な笑みを劉備に向けて……。


 あれは誰だったのだろう?

 確かに自分は、この子に似た声を知っているのに。 


 さっきより大人びた声は、確かにその時のものに近い。

 しかし、劉備はそれが誰であるかを思い出せなかった。

 忘れた、というより、その人物自体にあまり感銘を受けなかったのだろう。


(やれやれ、曹操殿くらいの人物ならば、すぐ思い出せそうなものだが……)


 劉備は心の中でため息をつきながら、足跡の続く次の部屋に入った。


 その部屋のつくりは、さっきの部屋とよく似ていた。

 いや、つくり自体は全く同じで、ただ置かれているものが異なっていた。


  玩具はなく、書物が多くなっている。

  机は高くなり、きれいな絹張りのいすが加わっている。

  同じ部屋で、しかし主が成長したような、そんな感じだった。


 机の上に広げられた紙に、またも母を想う文章が書き残されている。


<母上、お元気でお過ごしでしょうか?

 私は、新しい母上のもとで元気に過ごし、この名家に恥じぬよう学問に励んでおります。

 いつか私の身が自由になるその時がきたら、必ず会いに行きます>


 いかにも良家の子息らしい、きれいな文字だった。

 さっきの殴り書きと比べて、心にも余裕ができたようだ。


  劉備は、このきれいな文字にも見覚えがあった。

  そんなに昔ではない、近年のことだ。


 戸惑う劉備の耳に、またしても部屋の外から声が聞こえる。


「なぜだ……なぜ会うことすら許されぬ……?

 私は、あなたに会うことだけを楽しみに生きているというのに!

 いくら頑張っても、この気持ちが報われることはないというのか!!」


 今度は、もうほとんど大人の声だ。

 その声を聞いたとたん、劉備の脳裏に同じ声の記憶が浮上した。


  よく参られた、この  はおまえを歓迎する。

  ゆるりと休まれよ。


 同時に鮮やかに見えてきた面影に、劉備はぎょっとして身をこばわらせた。


(そんな、まさかあの方が!?)


 劉備は一瞬思い当ったその人物を、即座に否定した。


(有り得ない、そんな訳がない……。

 あの人は名門の嫡子、そのようなそぶりは一切なかったし、あの話はデマだったはず)


 その人物が実は妾の子、娼婦の子であるという噂は聞いたことがあった。

 だが、本人とその周りはそれを否定していたし、噂の出所を考えるととても信用できる話ではない。

 それにその人物はいかにも良家のお坊ちゃんで、見るからにこんな苦しみとは縁のなさそうな人間だった。


  これは何かの間違い、いや虚構の罠だ。

  こんなものに心をからめとられてはいけない。


 劉備はしっかりと気を持ち直して、再び部屋を出て足跡をたどった。

 足跡はやはり、大人の足の大きさになっている。

 関羽と張飛はそれを見て、ますます険しい顔になった。


「やっぱり成長してるぜ、兄者」

「うむ、魔物の住処に近づいているのだろう」


 劉備は声で答えることなく、わずかにうなずくだけにとどめた。

 足跡を見れば二人の言うことは正しい、しかし劉備にはどうも解せなかった。

 階段を上り、足跡の主の居場所に近づくにつれて、むしろ空気が澄んでいくような気がした。


  まるで、彼にとって聖なる何かがそこにあるような。

 劉備たちは袁紹の生前、あまり袁紹のことを気にかけていませんでした。

 そのせいで、劉備たち(特に直接会うことがほとんどなかった関羽と張飛)は袁紹が発するメッセージをほとんど読み取れません。劉備ですら、これが袁紹であるということに確信が持てないほどです。

 劉備たちは彼らなりにこの事態を解明しようと一生懸命考えているのですが…。

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