袁紹~追憶の実家にて(1)
父と己の罪を拒絶し、袁譚は逃げまどいます。
そんな袁譚を襲う最後の悪夢が、祖母の部屋にありました。今回は袁紹がまだ幼かった頃、袁紹の魂が割れるきっかけになった悪夢が語られます。
再び暗い廊下を走りながら、袁譚の足はある場所に向かっていた。
館が変貌する前、怪物がいなかった祖母の部屋だ。
あの部屋は、どうも特別な感じがする。
もしかしたら、あの部屋にここから抜け出すための何かがあるのかもしれない。
いや、何もなくても、怪物がいない部屋でしばらく休めればそれだけでもいい。
今はとにかく、体勢を立て直さなければ。
袁譚は、父が後ろにいない事を確認して、するりと祖母の部屋に滑り込んだ。
そこには、確かに袁紹にとって重大な何かがあった。
うまくいけば、確かにここから出ることもできたかもしれない。
ただし、袁譚の手に負えるものかどうかは別として。
部屋に入ったとたん、袁譚はまたもや幻に襲われた
きれいに整った部屋に、凛とした高貴な女性がたたずんでいた。
その女性は、袁譚が知っているよりずっと若い姿をしていた。
間違いない、これは祖母、袁紹の3人目の母親だ。
「さあ紹、今日からおまえは私の子になるのですよ」
突然父上と引き離された袁紹の前で、知らない女の人が言った。
「安心なさい、おまえが私の子になってくれる以上、あの女のような乱暴はしません。
だからおまえも、私のことを母として敬うのですよ」
女の人は、微笑みながら袁紹のほおを撫でた。
しかし、袁紹は体を固くしたまま、震えていることしかできなかった。
ここに来る前、袁紹は2人目の母に、袁術の母に虐げられていた。
父はそんな袁紹の身を案じて、父の兄袁成の養子に出してくれたのだ。
しかし、これまで袁紹は名家の威光をあがめる人々からひどい扱いを受けてきた。
袁紹の心には、その恐怖が刻み込まれていた。
目の前の新しいお母さんが、自分をいじめない保障がどこにあるというのか。
「ひっ……!!」
袁紹の目に、涙が浮かんだ。
それは確かに新しいお母さんに失礼だったかもしれない。
しかし、袁紹にとってその反応はごく自然な、傷跡をかばうのと同じような行動だったのだ。
「まあ、どうしたの?
お母さんよ」
女の人は困ったように、袁紹の頭に手を置いた。
しかし、袁紹はがたがたと震えたままだ。
女の人の表情が険しくなってきた。
袁紹は、ただただ恐怖に支配されていた。
これまでの経験からして、こういう身分の人がこういう顔になったあと、自分の身に起こるのは……。
袁紹には、想像するだけで耐えられなかった。
そして、あろうことか母親になってくれるその人の前で叫んでしまったのだ。
「うああああ助けてぇーっ!! お母さーん!!!」
袁紹の目から、堰をきったように涙があふれた。
立ってもいられずに尻餅をついて、両手ではうように後ずさる。
「ご、ごめんなさい……ごめんなさい!!
いい子にするからぶたないで、お母さんを殺さないで!!
いや、助けて……もう嫌ぁーお母さんに合わせてぇーっ!!!」
袁紹は完全にパニックに陥っていた。
目の前の人が誰でも鬼に見えるほど、袁紹の心は磨り減ってしまっていたのだ。
そんな袁紹の反応に、新しい母親はぎりっと唇を噛んだ。
この子は、私を母親だと認めてくれない。
この子が私の子になってくれなければ、私はどうなるの?
彼女は、袁紹が自分の子になってくれることが本当に嬉しかった。
だってそうすれば、自分は袁家当主の妻としてきちんと役割を果たせるのだから。
彼女は、袁成との間に子がなかった。
袁家の跡継ぎを生むという崇高な役割に選ばれておきながら、未だそれを果たせていない。
袁紹が養子に来るという話は、そんな彼女にとって天の助けだった。
(だから私が、袁紹を袁家の跡取りとして立派に育てなければ!)
彼女は、半ば脅迫のようにそう思っていた。
だって、自分は今まで子がいないことで肩身が狭い、申し訳ない思いをしてきた。
あんなぼんくら息子でも、腹に宿した袁術の母がうらやましくて気が狂いそうだった。
袁紹を立派に育て上げれば、自分はやっとそれから解放される……。
だけど、袁紹は自分を受け入れてくれない。
このままでは私は一生楽になれないかもしれない。
この子さえ言うことを聞いてくれれば……彼女の頭に、血が上っていった。
この三人目の母とのシーンは、袁紹の運命を決めるほどの重大な悪夢であるため、書き綴るうちについ長くなってしまいました。
次回もこの悪夢の後半、それが終わるといよいよ袁譚のボス戦です。脱出を決意した袁譚はその意思を貫き通すことができるのか、愚かで高慢な息子の結末を見届けてやってください。