袁譚~悔恨の館にて(4)
苦手な方には先に警告しておきますが、今回からはかなり残酷描写が入ります。具体的に思い浮かべてしまいやすい方はお気を付けください。
裏の袁紹はそう言ったが、袁譚には振り向くことなどできなかった。
父の顔を見るだけでも恐ろしくて、そのうえ自分が何をやらかしたかなど……。
そんな袁譚のあごを、後ろから回された手がつかんだ。
首をねじ回すような強引さで、袁譚の顔を横に向けていく。
「のう譚、久しぶりだなあ?」
視界に入った袁紹の顔に、袁譚は体中を震わせて絶叫を放った。
「ひっぎぃやああああ!!!」
父の顔は、ところどころ肉がえぐれて、骨が露出していた。
ほおを食いちぎられて、奥歯まで見える歯を怒りに噛み締めている。
間違いなく、あの怪物どもにやられたのだ。
表の袁紹は、尻餅をついた哀れな息子の襟首をつかみ上げて言った。
「い、痛かったぞ……譚……。
あれは痛かった!」
袁紹の目から、真紅の涙が流れた。
怪物どもに、いいように弄り殺された。
無慈悲に去っていく、息子の後姿を見ながら。
「……分かるか、譚よ?
自分の子に捨てられる親の気持ちが!
自分の子に蔑まれる、妾の腹から生まれた親の心が!!」
袁譚は、何も言えなかった。
体中が馬鹿になったみたいに震えて、言葉が出なかった。
(こ、こんな……はずじゃ……!)
これは大失敗だ。
今までうまくいくと思っていてその通りにならなかった事は多いが、それでここまで怖い目に遭ったのは初めてだ。
何より、袁譚は今まで、その感情をうまく隠して生きてきたはずだ。
それを最後の最後で、死んでから暴かれてしまうなんて。
表の袁紹の手が、袁譚のほおを滑る。
「譚よ、おまえがわしをどう思っていたかはよく分かった。
痛いほど分かった。
だから、今度はわしからおまえに痛みを返す番だな」
袁譚の背後で、ひたひたと忍び寄る足音がする。
裏の袁紹が、歩み寄ってきたのだ。
(い、嫌だ、どうしてこんな……!!)
袁譚は頭の中で叫んだ。
父が自分をどうする気かは、容易に想像がつく。
きっと、さっきの父上みたいに、怪物どもにぐちゃぐちゃにいたぶられるんだ。
もしくは、父上自身が自分に手を下す……?
(ど、どうしてこんな目に遭わなくちゃいけないんだ!
おれは名門袁家の当主だぞ? ちゃんとそれに見合う生き方をしてきたはずなんだ。
そのおれを、こんな目に……こんな妾腹の野郎のせいで!!)
「ふざけんなぁ!!」
父の手を振り払ったのは、一瞬のことだった。
目の前で、表の袁紹が体勢を崩して倒れる。
案の定、体が再生しきっていないせいで本来の力が出ないようだ。
行きがけの駄賃にその手を踏みつけながら、袁譚は脱兎のごとく部屋を飛び出す。
捕まってたまるものか、それだけが袁譚の心を占めていた。
(だって、父上におれを傷つける権利なんかあるものか!
おれは半分平民の父上より高貴な血が濃いんだ……おれは生まれながらに父上より偉いんだよ!)
初めてそう思ったのは、いつの事だっただろうか。
もう、思い出せないくらい前だし、思い出せないくらいのなりゆきだったような気もする。
夜、実家の庭で、年下のあの子に向かって……。
袁譚の脳裏に、おぼろげな記憶が蘇った。
だが、今の袁譚にはどうでもいいことだ。
今はとにかく、あの化け物から逃げることだ。
袁譚が出て行った部屋で、表の袁紹は床に倒れたままぽろぽろと涙をこぼしていた。
自分はあんなひどい息子に期待をかけていたのか。
あまりの悔しさに涙が止まらない。
「だから言っただろう、あやつはしょせん自分の事しか考えておらぬと」
裏の袁紹が、顔をのぞきこんで告げる。
「おまえはそれを知っていながら、それでも希望を捨てられなかった。
だが、それも今日で終わりだ。
あやつはわしが処分するから、おまえはここで休んでいればよい!」
その残酷な言葉に、表の袁紹は黙ってうなずいた。
これは、自分の本音だ。
いくら表で取り繕っても、隠しきれない自分の意志だ。
今はそれがはっきりと分かっている。
袁紹の内に積み重なった恨みは、親子の情よりも深かった。
「譚よ……」
走り去った裏の自分に聞こえないように、表の袁紹は息子の名を呼んでいた。
袁譚は己の罪を責める父親を拒絶し、一人逃げ出す道を選んでしまいました。しかし袁譚が抗えば抗うほど、袁紹の怒りは増していきます。袁譚が抜けられない底なし沼にはまってしまっていることは、読者の皆様の目にはもう明らかでしょう。
そのうえ袁譚は未だに、自分が父親に対して何をしているのかが分かっていません。そのため、今回袁紹は袁譚にそれを教えるために、悪夢を振るうことになるのでした。