袁譚~悔恨の館にて(3)
袁譚は前章の公孫瓚よりだいぶ力が弱く、かといって頭もあまりよくありません。しかし、袁譚は袁紹と血のつながりがあるため、袁紹も何も知らせずボス敵と戦わせるようなことはしませんでした。そんなことをすれば、袁譚が負けることは目に見えているからです。
袁紹たち死人は、肉体的ダメージを受けても死にはしませんが、体がある程度再生するまで行動不能になってしまいます。そういう意味では、悪夢の主を撃破するという選択肢も脱出を目的とするなら有効といえるでしょう。
袁譚の手をついている床は、さっきまでのきれいな床ではありえなかった。
木が腐り、ほこりが積もり、さらに血のようなシミが一面にはびこっている。
「ちょ……待ってよ、そんな……!」
しかし、何より袁譚を震え上がらせるのは、周りの変化ではなかった。
袁譚は、目の前に立つ者の姿を驚愕の表情で見つめていた。
それは、袁譚がよく知っている男だった。
「嘘でしょ、こんな……!」
それは袁譚が人生の大部分を共に過ごして来た近しい人。
この世に袁譚を生み出してくれた、かけがえのない存在の片割れ。
袁譚の目の前に佇むそれは、父である袁紹その人であった。
袁紹は、凍てつくような冷たい目で袁譚を見下ろしている。
その体は血にまみれて、どす黒い気配に満ちている。
袁紹は動けない袁譚に向かって、怒りのにじんだ笑みを浮かべて言った。
「久しぶりだな、譚よ。
いや、初めまして……と言っておこうか。
おまえは表のわししか知らぬであろうからな」
そう、これは裏の袁紹だ。
袁譚の知らない、袁紹のもう一つの心だ。
さっきあっさりと見殺しにした子供……表の袁紹とは、似て非なる存在だ。
「父上……なのですか?」
袁譚はやっとのことで、父に向かう言葉を紡いだ。
目の前にいるものは確かに父の姿をしている。
しかし、表情や雰囲気は自分の知る父とはかけ離れている。
「ああ、そうだ。
名家の建前が邪魔で表には出られなかったが、ずっとおまえを見ておったぞ」
袁譚には、父が何を言っているのか分からなかった。
ただ、これが自分の知る父ではないことは感じられた。
袁譚は、勇気を振り絞って目の前の父に声をかけた。
「あなたは、本当に父上なのですか?
本当に父上なら、なぜおれをこんな目に遭わせるのですか?」
袁譚の率直な疑問に、袁紹はニヤリと口角を上げた。
「のう、譚よ。
わしがなぜ未だに彷徨っておるか分かるか?
わしはな、訳あって死んだ後に冥界への道が見えなかったのだ」
袁譚の質問に対する答ではない。
だが、それでも袁譚は聞き耳を立てた。
(冥界への道……おれが死んだ直後に見たあの光の道のことか?)
なまじ実体験があるだけに、無視はできない言葉だ。
袁譚もそれを見失ってここに来たのだ。
もしかしたら、父はそれに関する何かを知っているのかもしれない。
「譚よ、わしは生きている時、辛いことがあって魂が割れてしまったのだ。
おかげで、冥界への道が見えず彷徨うはめになった」
袁紹は遠い目をして、悲しそうに告げた。
「辛くて、苦しくて、そうでもしなければ生きていけなかったのだ。
だが、この魂を直さねば冥界には行けぬ。
誰かが、このわしのありのままを認めて、救ってくれなければな」
袁譚は、黙ってそれを聞いていた。
(そうか、それで父上はここから逃れたくておれを呼んだのか……!)
だったら話は早い。
自分が父上を救ってあげれば、全て解決するのではないか。
袁譚は頼もしい笑みを浮かべて、父に向かって言った。
「ならば、この譚が父上をお救いしましょう!
だって父上は譚をこの世に生み出してくれたのです、父を助けぬ子がどこにおりましょうや!」
その言葉を聞いたとたん、袁紹は声を上げて笑い出した。
「くっくっく…ははははは!!」
「な、何がおかしいのですか!?」
袁譚が慌てて言い返すと、袁紹はさもおかしそうに答えた。
「おまえがわしを救う、だと?
何を血迷っておる!
おまえはわしを蔑み、ひどい目にあわせた張本人だろうが!!」
「へ??」
あっけに取られている袁譚に、袁紹は低い声で告げた。
「妾の子は、家を継ぐのもだめなら父母と暮らすことも許さぬ。
自分が助かるためなら、平気で見捨てる程度の存在。
妾の腹から生まれたこのわしを、ついさっき見殺しにしたのは誰だ!!」
それを聞いたとたん、袁譚の顔からさーっと血の気が引いていった。
父の言うことは確かだ。
ついさっき、自分はあれと同じ姿の子供を見殺しにした。
(や、やばい……!)
袁譚は、思わず後ずさっていた。
しかし、そんな袁譚を阻むかのように、背後から何者かが袁譚をはがいじめにしたのだ。
目の前で、血塗られた姿の父が歩み寄る。
「のう譚、わしは魂が割れてしまってなあ……。
おまえの知っている表のわしと、この血塗られたわしと今は二人いるのだ。
表のわしは……そう、おまえの後ろにいる」
そのとたん、袁譚を羽交い絞めにしていた手がぐっと袁譚の首をつかんだ。
がくがくと震える袁譚の背後で、低く、怨念に満ちた声がする。
せっかく、育てたのに。
せっかく、死んでからもチャンスを与えてやったのに。
「ひっ……!!」
袁譚の喉から、くぐもった悲鳴が漏れる。
今自分の後ろにいるのは、自分を育ててくれた方の父上……?
「大丈夫だ、わしらはもう死んでいるから、怪物に引き裂かれても死にはせん。
ただ、表のわしはまだおまえにやられた分の体の再生が追いついていなくてなあ……。
ま、顔を合わせて見るといい」
袁譚は、袁紹との会話の中では正しい選択肢を選んだはずでした。にも関わらず、すでにバッドエンドのフラグが濃厚になっています。
これは、袁譚がここにくる過程で行動の選択を間違え続けたためです。少年の姿をとって現れた表の袁紹との会話、怪物に追われて彼を見捨ててしまったこと…具体的に挙げればきりがありません。それ以前に、袁譚は遠い過去にとんでもない過ちを犯しています。それがどのような過ちかは、読み進めていただければ分かるでしょう。