袁譚~霧の中にて(2)
袁譚の恐怖の旅が始まります。
袁譚は前章の公孫瓚ほど強い武将ではないため、怪物との戦いでは少し手こずってしまいます。
しかしそれ以上に、袁譚は怪物たちの中に特別な感情を見出してしまいます。袁紹の実の息子であり、近しい人物であるがゆえの恐怖です。これからそれをじっくりと読み解いていきましょう。
渦巻く白い霧の中で、袁譚はしばらくまごついていた。
霧が晴れるまでは動かない方が良いと思ったのだが、しばらく待っても霧は晴れない。
(いっそ元来た道を戻ろうか……。
あっでも、もうどっちから来たか分からねえ!)
霧は太陽の光すら覆い隠し、一面を薄い灰色に沈めてしまった。
方向感覚が狂い、あまりの白さに気分が悪くなってくる。
そのうち、袁譚の耳をかすかな物音がかすめた。
(人がいるのか!?)
袁譚は飛び上がるほど喜んで、音の聞こえた方を向いた。
大方、自分と同じように青州城で戦死した死者だろう。
しかし、迷うにしても一人よりは誰かいたほうがいいに決まっている。
「おーい、おーい!」
大声で呼びかけながら、袁譚は音のした方に走った。
霧の中で、かすかに動く影が見える。
しかし、それは人間の影ではなかった。
地に伏せ、這い蹲るような……獣の影だ。
(なんだ、人じゃないのか)
落胆とともに、袁譚は足を止めて肩を落とした。
(獣かあ……でも、鼻が利く動物の方がこんな状況だと便利かも。
臭いを辿って町とかに連れて行ってくれないかな)
袁譚がそう思う間にも、獣は近付いてくる。
シルエットは、犬のようだ。
しかし、手を差し出そうとした袁譚の表情は一瞬で凍りついた。
「ちょ、ちょっと待て、冗談だろ……!?」
袁譚は現れたモノのあまりのおぞましさに、震えながら後ずさった。
それは、普通の犬ではない。
腐ったように肉が露出して、目から有刺鉄線が生えて体中に巻きついて、
恐怖と狂気だけを人に与えるような、そんな怪物だった。
犬の怪物は、袁譚を見ると恨めしそうに唸り声をあげた。
袁譚は思わず剣に手をかけ、抜き放った。
しかし、その手はがくがくと震え、まともに振れそうにない。
感じるのだ。
相手は初対面の、しかも犬の怪物なのに、
まるで積年の恨みを晴らそうとするかのような深い怨念を。
怪物は袁譚に見せ付けるように、凶悪な牙の並んだ口をかあっと開いた。
その顔が、歓喜に笑ったように見えた。
「う、うわあ!!」
袁譚は恐怖に耐え切れず、怪物に背を向けて一目散に逃げ出した。
後ろから、獰猛な咆哮が追いかけてくる。
ごうっと風を切る音と共に、袁譚の肩に鋭い痛みが走った。
「つうっ……!」
袁譚は思わず肩を押さえて足を止めた。
押さえた手に、冷たい血がまとわりつく。
怪物は、袁譚の前に軽やかに着地した。
口には、袁譚の着物の破片をくわえている。
袁譚は驚愕した。
袁譚の左肩の鎧は、討ち取られる時に外れてしまっている。
(こいつ、おれの弱点を狙って……!?)
こんな敵をまともに相手にはしていられない。
しかし、背を向けて逃げたとて同じ目に遭うだけだ。
袁譚は焦燥に顔を歪め、チッと舌打ちして剣を握り直した。
(もういい、どうせおれは死んでるんだ!
逃げながら殺されるよりはマシだ!!)
死んでから殺されるという表現もおかしいが……袁譚は自分で思っておいて苦笑した。
白銀の刃を怪物に向けて、袁譚は意識して呼吸を整えた。
怪物は、とびかかるタイミングを計るように地面を蹴っている。
袁譚は注意深く、剣を正面に構えて怪物に歩み寄った。
怪物が低い唸り声を立て、身を低くする。
「グゥアオ!!」
突如、怪物が再び袁譚の左肩を狙って飛び掛った。
袁譚は、思わず身を引いてしまいながら、それでも素早く剣を左に傾けた。
ガツン……と、重い衝撃が剣に伝わる。
怪物の頭が、剣の刃に激突して割れる。
「よし!」
やはり、所詮は獣だ。
袁譚はほっとして、剣を納めようとしたが……できなかった。
犬の怪物は、割れた頭をもたげてまだ唸り声を上げていたのだ。
(な、何だこいつ!?)
袁譚は改めて身震いした。
頭が割れても生きていられる獣なんて、聞いたことがない。
「う、うわあああ早く死ねよお!!」
袁譚は恐怖に駆られて、怪物を滅多切りにしていた。
ようやく怪物が動かなくなった時、袁譚は汗びっしょりになっていた。
(何なんだろう、こいつは……?)
袁譚はやっと、それが何であるかを考える余裕ができた。
しかし、考えたとて答が出るような代物ではない。
分かっているのは、自分は生きている間はこんなものを見たことがないということだ。
だが、そいつの袁譚を見る目は、以前から袁譚のことを知っていたようだった。
(……もしかして、生きている人には見えないのかもしれない。
生きている間に、気付かずに怒らせるようなことをしたのかも)
袁譚の頭で思いつくのは、そのくらいだ。
だが、本当は何を怒らせていたのか、袁譚は全く分かっていなかったのだ。
袁譚は正史では情け深い性格であると記されていますが、演義では残忍で冷酷な性格になっています。この物語では、どちらかといえば演義よりの性格を採用させていただきました。愚かで、感情的で、自己中心的な袁譚…彼がこれからどのような真実に直面していくのか、惨劇的な意味でご期待ください。