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袁紹的悪夢行  作者: 青蓮
第6話~辛毗佐治について
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辛毗~束縛の間にて(1)

 袁紹と辛毗は許攸を倒しに向かいますが、袁紹はまだ辛毗に言っていないことがたくさんあります。

 特に、袁譚を自分の手で地獄に落としてしまったことは、袁譚に仕えていた辛毗には言いづらいことです。


 しかし、避けて通ることはできません。

 自分が救われるためには、自分の全てを許してもらわないといけないのです。

 袁紹と辛毗は、二人で扉の前に立っていた。

 中からは、呻きともすすり泣きとも叫びともとれる声が流れてくる。


「ここは……先ほどは何もいなかったはず」


 辛毗がそう言うと、袁紹は驚いたように辛毗の方を向いた。


「そうか、おぬしはすでにこの部屋を……。

 それで、母上の手紙は見たのか?」


 手紙と聞いて、辛毗は思い出した。


  そうだ、さっきここに入った時、手紙を読んだではないか。

  そして、その時はどういう意味か分かりづらかったので、頂戴してきたはずだ。


 辛毗が懐から手紙を取り出すと、袁紹は苦々しい顔をした。


「持っているのなら、話は早い。

 その手紙を読めば、ここにいる化け物がどれほど凶暴か分かるであろう。

 ……この母上は、生きていた時からそうだった」


 それ以上話すのは辛そうだったので、辛毗は黙って手紙を読み返してみた。


<あの女のように、ただ暴力を振るった訳ではありませんわ。

 あれは、れっきとした躾の一環なのです>


(暴力?)


 さっきは気にせずに読み進めたある言葉が、辛毗の胸にぐさりと突き刺さった。


<私もできる事なら、あの子を傷つけたくはありません。

 でも、あの子はあの娼婦を思って泣き叫ぶ限り、名門の当主にはなり得ませんわ。

 私はあの子の幸せを思って、心を鬼にしているのです>


(傷つける?心を鬼にする?)


 よく読めば、どうにも物騒な単語が並んでいる。

 これが袁紹の育ての母の手紙なら、これは何を意味するのか……。


  袁紹が娼婦を想って泣き叫んだというのは、産みの母親を想っていたのだろう。

  育ての母親は、それが名家の当主にふさわしくないと矯正しようとした。

  そして、暴力を振るい……。


 意味が分かったとたん、辛毗の背中に冷たい汗が流れた。


  間違いない、袁紹は育ての母親に虐待を受けていた。

  つまり、この扉の中にいる母上とは……。


 扉の中から漏れてくるのは、哀れな女の悲鳴。

 しかし、うかつに近づけば暴力の鉄槌を打ち込まれる。

 袁紹がこの期に及んで入るのをためらう訳が分かった。


 辛毗は少し冷たくなった手で、手紙を再びふところにしまいこんだ。


「ま、待ってくれ、実はもう一つ……おぬしに謝らねばならぬことがある!」


 扉に手をかけようとした辛毗の手を、袁紹がなおも引き止める。

 手は冷たい汗でじっとりと湿り、ひどく力が入っていた。


  察するに、相当言いたくないことなのだろう。


「殿、それほどご無理をなさらずとも……」


 辛毗がなだめようとしても、袁紹は頑なに首を横に振った。


「いや、これだけは話しておかねばならぬ!

 わしの口から、言っておかねば……!!」


 袁紹の顔は、恐怖に引きつって青ざめていた。


「わしは、死んでからおぬしより先に袁譚をここに招いた。

 だが、奴は死んでも考えを改めることなく、救いを求めるわしを嘲笑った!

 ゆえに、わしはあやつを……おぬしが仕えた、あの息子を……!!」


 袁紹の奥歯が、震えてがちがちと鳴る。

 袁紹の次の言葉を待つ辛毗の脳裏に、さっきこの部屋で見た血文字が蘇った。


 『袁譚顕思、ここに堕つ』


 辛毗の背中に、ぞわりと悪寒が走った。


「わしはあの愚かな息子を……ここで捕らえ、地獄に引きずり込んでしまった!!」


 嫌な予感は、的中した。

 辛毗と兄辛評がずっと仕えてきた袁譚は、袁紹自身の手で始末されていたのだ。


 一瞬、辛毗は視界が歪むようなめまいを覚えた。

 しかし、袁紹の謝罪の声が、辛毗の意識を引き戻した。


「ごめんなさい……!!」


 部屋を出る時に聞いた、かすかな声と同じだった。


(そう……だな。

 袁紹様とて、したくてした訳ではないのだ)


 一瞬怒りと不信に傾きかけた心を、辛毗は静かに立て直した。

 そして、勇気を振り絞ってここで告白してくれた袁紹に感謝した。


  ここで袁紹自身の口で言ってくれなかったら……。

  戦っている最中に許攸の口から言われたら……。

  自分はまた、一時の感情に支配されて君主に刃を向けたかもしれない。


  審配を打ち据えた、あの時のように。


「大丈夫でございますよ、殿の事情はしっかりと受け取りました。

 このうえ許攸が何を言おうとも、私の心は揺らぎませぬ」


 辛毗は再び袁紹の肩を抱き、ささやいた。

 袁紹の体から余計な力が抜け、安心するのが分かる。


「さあ、二人で許攸を倒しましょう。

 そして、殿の悪夢をここで断ち切るのです!」


 辛毗の凛々しい声に、袁紹は涙ぐんでうなずいた。


  この先に、人の悪夢につけこむ悪魔がいる。

  しかし、もう恐れることはない。


 ようやく繋がった強固な主従の絆を手に、二人は扉に力をこめた。



 中は、異様な雰囲気に包まれていた。


  部屋を囲む壁は燃え上がり、壁からは槍のようなものが突きだしている。

  床の各所に有刺鉄線が張り巡らされ、足場を狭めていた。

  そして天井からは、髪の毛のような細い糸で数十の剣がぶら下がっていた。


 その牢獄のような部屋の中央に、美しい着物の女がうなだれていた。

 頭から下がる髪の毛の一束一束が手となり、辛毗たちに気づいたようにゆらりと持ち上がる。


「ワタクシの……いとしイ本初……」


 目のない顔で袁紹の方を向き、重い体を引き起こすように立ち上がる。

 目があるはずの場所には何もないのに、辛毗は確かに彼女の視線を感じた。


  袁紹を愛し、子を幸せにしようとする母の視線。

  しかし同時に、袁紹を恨み、憎む刃のような視線。


 彼女が少し前に出ると、その後ろにもう一つ影があった。

 袁紹が、ぎりっと歯を噛みしめる。


「許攸!!」


 許攸は逃げる様子もなく、不気味に落ち着き払っていた。

 こいつの頭に中には、すでにもう一度袁紹を陥れる策が描かれているのだろう。


 しかし、今度は必ずそれを破り、袁紹を救ってみせる。

 辛毗はかすかに身を引く袁紹を支えるように、寄り添った。

 今回のボス戦では、幼い袁紹の悪夢というより母親の悪夢が色濃く反映されています。


 秘密が暴かれるのを恐れて、毎日怯えていた彼女。

 ちょっとしたことから秘密がばれるのではないかと、一歩踏み出すにも限界まで神経をとがらせていた彼女。

 その目には、世界がこの部屋のような地雷原に見えていたのです。

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