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袁紹的悪夢行  作者: 青蓮
第6話~辛毗佐治について
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辛毗~悔恨の館にて(9)

 袁紹と辛毗は、お互いの気持ちを分かりあうことができました。

 二人で手を取り、許攸を倒そうと決意します。


 しかし、そううまくいくでしょうか。

 許攸は保身のための悪知恵がとんでもなくよく働くので、どんな妨害を仕掛けてくるか分かりません。

 やることが決まると、表の袁紹と辛毗は裏の袁紹の体を怪物のいない部屋に移した。

 そして自分たちも、ひとまずその部屋で腰を下ろした。


「まずはここで、裏の復活を待つ。

 この館は閉ざしておるから、許攸がここから出ることはない。

 裏が復活し怪物を制御できるようになってから、三人で奴を追い詰める」


 その作戦には、辛毗も同感だった。


 袁紹二人が同時に気を失えば、この世界は消滅し許攸は逃げてしまう。

 それを考えると、表の袁紹しか動けないこの状況で攻撃をかけるのは考え物だ。


「それに……辛毗よ、おぬしも疲れておるだろう。

 少し休んだ方がよい」


 袁紹は辛毗の方を気遣うように、柔らかい視線をよこした。


 そうとも、辛毗はこれまで緊張しっぱなしだった。

 悪夢にのみ込まれてから袁紹と出会うまで、か弱い文官の身では一時も気が抜けなかったのだ。

 それに、袁紹の真実を受け入れるのは思った以上に重労働だった。


  このまま戦い続けても、力を発揮できるとは思えない。

  それは辛毗自身にも分かりきっていることだ。


「今、茶でも淹れてこよう。

 大丈夫だ、生きた人間の体にも害はないようにしておく」


 どうやらこの悪夢の世界は、袁紹の意識によって多少形を変えられるらしい。

 袁紹が近くにあった戸棚を開くと、上等な陶器の湯呑が置いてあった。

 すぐ側にある急須からは、すでに湯気が立ち上っている。


「ふふふ、わし一人でもこれくらいのことはできる。

 そもそも、生きていた頃はずっとこちらのわし一人でやってきたのだから」


 どこか自嘲を含んだつぶやきに、辛毗ははっと気づいた。


  そうだ、生前の袁紹は割れた魂の半分だけで過ごしていたんだ。

  秘密を漏らさぬために片割れを心の奥底に押しこんで……。


 だとしたら、生前の袁紹のどこか力の入らない雰囲気も納得できる。

 人の半分の魂でやってきたのだ、判断力も意志の強さもずいぶん削がれていたはずだ。

 あの頃の決断の鈍さやうわの空のような視線は、そのせいだったのかもしれない。


「殿は本当に、ご苦労をなさいました」


 辛毗がしみじみと言うと、袁紹は恥ずかしそうに頬を赤らめた。


「それ以上言うな、この生き方を決めたのはわしなのだ。

 魂の半分で生きてきたが、それでもわしは幸せであったと思っている」


 辛毗の前に、いい香りのする茶が差し出される。

 袁紹は生前から茶を淹れるのがうまかったが、それは死んでも変わらないらしい。


  その茶に口をつけると、辛毗の中でありし日の記憶がよみがえった。

  河北で袁紹と共に茶を飲んだ、穏やかな日々……。

  思わず涙がこみあげてきて、辛毗は慌てて口を離した。


 そして、一つ言いたかったことを思い出し、話しかけようとしたとたん……袁紹の異常に気付いた。


「……う、ぐっ……!」


 突然、袁紹の顔が険しくなった。

 額に脂汗を浮かせ、眉間にしわを寄せて頭を抱える。


「あ、があぁ……な、ぜだ……!?」


 座っていた体が崩れ落ち、湯呑を倒して茶がこぼれる。

 絞り出すようなうめき声をあげ、袁紹は苦痛にのたうち始めた。


「殿!?」


 慌てて駆け寄る辛毗の耳に、おぞましい叫び声が届いた。


  きぃいいやぁあああ!!!


 重たい空気を震わせて、館中に絶叫が響く。

 この世のものとは思えぬ、異界から漏れ出てくるような耳触りな響き。

 しかしそれは、人の女のようでもあった。


 それに呼応するように、袁紹が身をのけぞって悶える。


「ひぃ……ぐっ!お、お許しくださ……い!!

 あう……うう、は、母上ぇえ……!」


 袁紹は目に涙を浮かべて、頭を押えて唸っていた。

 あまりの痛みに、体ががくがくと震えている。


  不意に、壁の穢れが動いた気がした。


「え!?」


 辛毗がはっと顔を上げると、急速に部屋が荒廃していくのが分かった。


  壁の漆喰がはがれ、中に埋め込まれた柱があらわになる。

  血の穢れが浮き上がり、血管のように蠢きだす。

  天井が闇にのまれ、どこまでも暗い空間に梁が吸い込まれるような造りに変わる。


 まるで袁紹の苦悶を体現するように、周囲はさながら地獄の様相に変化した。

 いや、それは響き渡る叫び声の主の苦しみかもしれない。


  その叫び声は、耳にするだけで頭が割れそうになるほど痛々しかった。


 叫びが治まると、同時に袁紹の苦しみも治まったようだ。

 肩で息をしながら、どうにか手をついて体を起こす。


 起き上がって少し落ち着くと、袁紹は引きつった顔で辛毗を見つめた。


「辛毗よ、どうやら悠長に休んでいる時間はなさそうだ。

 許攸が……わしの大切なものを傷つけたらしい」


 袁紹はやっとのことでそれだけ言うと、遠くを見つめるように視線を移した。


「この悪夢の中心となる……母上の幻を傷つけたのか……。

 このまま苦しめられれば、裏が復活するまでわしが正気を保てるか分からぬ」


 袁紹の視線は、扉の向こうを見据えていた。


「すまぬが、早急に許攸のもとへ向かわねばならぬ!

 居場所は分かっておるから、すぐにでもここをたちたいが……。

 おぬしには、苦労をかける」


 しゅんとうつ向く袁紹に、辛毗は力強く答えた。


「構いませぬ、今は殿の魂を守ることが最優先でございます。

 生前あなた様を支えてあげられなかった分、本日はお返しいたします!」


 その答えに、袁紹の顔が本当に嬉しそうにほころんだ。


  一人で悩んでいても、何もできない。

  二人なら、きっとこの苦境も越えられる。


 辛毗と袁紹はそれぞれに得物をとり、悪意のはびこる館の中を再び歩き出した。

 それぞれの館にいる母親の幻影は、他の怪物と違って袁紹とより密接につながっています。

 それに気付いたのかたまたまなのか、許攸は今度は母親の幻影に手を出してきました。


 次回、袁家に対する許攸の真意が語られます。

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