袁紹~金網の部屋にて
公孫瓚編もついに最終話です。
ここまでお読みいただいた皆様、長いことお付き合いありがとうございます。
これからも袁紹は他の人物を悪夢に招いていきますので、この先はもっとメジャーな人物が登場するかもしれません。
それでは、公孫瓚編のラストをどうぞ。
「くっくっく……」
場違いな笑い声に、公孫瓚はぎくりとしてしゃべるのをやめた。
袁紹の胸に突き刺した剣から、それに合わせて震えが伝わってくる。
「袁紹、貴様……!?」
公孫瓚は大慌てで剣を引き抜き、後ずさって距離をとった。
公孫瓚は驚愕に目を見開いて袁紹を見ていた。
確かに急所を突いたはずなのに、袁紹は倒れることもなく立ったまま笑っている。
時折ふらつくところを見ると、痛みは感じているようだが……。
「な、なぜ死なない!?」
公孫瓚の問に、袁紹は物憂げな顔で答えた。
「いい加減に気付け。
私もおまえも、もうとっくに死んでいるのだ」
袁紹の言葉に、公孫瓚は思わず目を見開いた。
自分は確かに、今ここに生きているのに。
生きて……?
燃え上がる易京楼。
自ら手にかけた妻子の亡骸に囲まれて、公孫瓚は兜を脱ぎ捨て……。
抜き放った剣を、自らの首に……。
袁紹の言葉に触発されたように、公孫瓚の頭の中で失われた記憶が蘇った。
公孫瓚の体が感覚を失い、ぐらりとよろめく。
そうだ、自分はすでに……あの時、自害したんだ……。
袁紹はそんな公孫瓚をあきれたような目で見つめた。
「無念の死を遂げた地縛霊は己が死んだことに気付かぬと聞いたが……本当だったとはな。
わしはおまえより数年長く生きたが、もしやと思って来てみればこの様だ。
未だにこの野望の墓場でさまよっておったとは」
公孫瓚はただ、唇を噛むしかなかった。
自分では潔く死ぬと思っていたくせに、仇が指摘するまで気付かぬ自分が悔しくてならなかった。
しかし、この憎たらしい男に言われっぱなしでは男として面目が立たない。
公孫瓚は意地になって言い返した。
「何を、どうせ貴様も同じようなものだろう!?
結局冥府に行けずにさまよっているではないか!」
それを聞くと、袁紹は妙に神妙な顔になった。
「むう……確かに結果は同じ事だ。
だがな、わしは未練のあまりさまよっている訳ではない。
……理由があるのだ」
「理由?」
公孫瓚は一応いぶかしげな顔を作って、聞く素振りを見せた。
しかし、心の中では、言葉の中からあら捜しをする気ばかりだった。
それを読んだのか、袁紹はうんざりしたように口を開きかけ……。
「うむ、だがおまえに話す価値はないようだな。
うぐっ……ゴホゴホゲボォッ!!!」
突然、胸を押さえて激しく咳き込み、体を震わせた。
袁紹の指の間から、真紅の鮮血がぼたぼたとこぼれた。
吐血したのだ。
それは床に落ちると、まるでそれ自体が意思を持つように広がり出した。
公孫瓚の足元を飲み込んで、あっという間に血の汚れが部屋中に広がった。
そしてその血に侵食されるように、石の床は金網に変じていた。
「な、何だと……!?」
驚いている公孫瓚の足元で、がんっと嫌な音がした。
公孫瓚は一瞬、体が宙に浮いたように感じた。
だが、体はすぐさま重力に従って落下を始めた。
足元の金網が、外れたのだ。
「うわあああ貴様あぁ!!!」
袁紹の冷めた視線の先で、公孫瓚は深淵の闇に飲み込まれていった。
公孫瓚の姿が見えなくなると、袁紹は思い出したように別れの言葉を口にした。
「さらばだ、宿敵よ。
わしを救えぬおまえにもう用はない。
地獄で悪魔の胃袋にでも引きこもっておれ!」
それだけ言うと、袁紹は胸の傷を押さえてその場に座り込んだ。
(痛い……これは、かなりかかるな……)
袁紹は唇の血を拭いながら思った。
自分はもう死んでいるから、どんな傷を負っても死ぬことはない。
ただ、生前と同じ苦しみだけは残っている。
(ああ、そうか……生きていれば、これほど苦しむ前に死ねるのだな)
死人である自分は、苦しみを味わいながら傷が治るのを待つしかない。
死ぬことはなくても刺されるべきではなかったと、袁紹は後悔した。
気がつくと、頭から角を生やした小さな鬼が側に来ていた。
小鬼は袁紹の顔を見上げて、驚いたように言った。
「いやあ、見事に落としてくれたなあ。
旦那さん、なかなかやるねえ」
袁紹は、答えなかった。
袁紹が黙っていると、小鬼はおどけたように続ける。
「あんた、表の旦那さんやろ?
裏ならともかく、表の旦那さんができるなんて……意外やったなあ」
そう、自分はあくまで自分の表層にすぎない。
心の奥の感情は……裏の自分は、今も自分の背後から自分を見ている。
袁紹の後ろで、少年が笑みを浮かべてつぶやいた。
「当然だよ、この人とぼくは元々一人なんだもの。
それに、あんな奴は……地獄に落ちて当然、だろう?」
途中から、声が大人のように低くなった。
少年はいつの間にか、袁紹とそっくりの姿になっていた。
袁紹は背後にたたずむもう一人の自分に目をやり、ふっとため息をついた。
これは自分が壊れないために切り離してしまった自分。
少しでも楽になるために、心の深淵に閉じ込めてしまった自分。
心の底で、いつも苦痛にまみれていてくれた自分。
もう一人の袁紹は、体中血に濡れた姿をしていた。
彼は表の自分に向かって、言い聞かせるように告げた。
「まあ、あやつの事はもう気にするな。
やり方が分かったなら、次を試さねば」
そう、次は救ってもらえる事を祈って。
「そうだな、いずれにせよこの魂は直さねばならぬ」
袁紹は振り返り、うなずいた。
魂が完全な形でないと、人は冥界に行けない。
袁紹の割れてしまった魂では、冥界への道が見えない。
だから誰かが自分の全てを許して……抱きしめてくれないと……。
救ってくれる誰かを探して、袁紹は易京楼を後にした。
見事にバッドエンドです、はい。
公孫瓚はもともと袁紹と仲が悪かったせいか、見つけるヒントをことごとく「袁紹が悪い」という方向に曲解してしまいました。いくら力が強くボス敵を倒せても、謎解きができなければグッドエンドにはいけません。公孫瓚が袁紹のことを上辺しか知らなかったのも、一因でしょう。
次は袁紹のことをよく知っている人物、息子の袁譚が登場します。袁紹の悪夢もこの回よりずっと明らかになりますので、ご期待ください。