幸太はアリスと共に一階へと続く階段を降りていた。
金でできた手すりには手垢などついていない、天井に吊されたシャンデリアの明かりによって光が反射するほど綺麗に磨かれている。
階段には赤絨毯が敷かれているが、きっとめくっても埃など一切でてこないのだろう。
無駄に綺麗な階段、そして無駄に広い屋敷。
「はぁ……」
思わず溜息をこぼしてしまう。
どこか嘆きにも似た吐息に後ろについてきていたアリスが反応した。
「どうかしたんですの?」
お嬢様口調なのだが、それは高飛車ではなく心の底から幸太を気遣う声音だった。
背後からかけられた声に幸太は小さく首を振ると言った。
「些細なことなんだけど……少しだけ屋敷が広すぎると思って」
「旦那様の屋敷のほうが広いと思いますけれど……」
「でも、食堂まで三百メートルってどう思う?」
「そうですわね……幸太様ほどのお方ならば、もっと広くていいと思いますの」
アリスにとっては、まだ狭すぎるようで幸太はげっそりとした表情を浮かべる。
そして、階段を下り終えた幸太は食堂に続く廊下を歩き始めた。
食堂に続く廊下は階段を下りてすぐ横にある角を曲がらなくてはならない。
そこはやはり主ではなく、メイドしか通らないからか調度品も赤絨毯も敷かれてなどいない。
天井に吊られているのもどこか安っぽさを感じる小さなシャンデリアだ。
だからか、曲がる前と後では明るさが全然違った。
まるで地下通路のような薄暗く肌寒さを感じさせる。
だが、ここはあと数日で改築する予定だ。
幸太は格差が嫌いだ。メイドだからこれでいいだろうと安易な事は考えない。
できるだけ仕事がやりやすいように、改築はメイド達にまかせている。
他に何か変更したいことがあれば好きにさせる。それが幸太の方針だ。
今歩いている廊下の奥にある食堂の場所も移動させるつもりだ。
玉座が置かれた幸太の間と呼ばれるふざけた場所と食堂を入れ替える。
ふと思い出したかのように、アリスは足を止めて前方を歩く幸太に向けて言った。
「幸太様、わたくし達、佐倉家冥土隊も本日からここに住むことになりましたの。宜しくお願い致しますわ」
「えっ?」
寝耳に水とはこのことだろうか、幸太はその言葉を聞いて歩みを止めてしまう。
そして、驚いた表情で後ろを振り返る。
そこには、涼しげな顔で微笑むアリスがいた。
風など屋内に起きるはずもないのに、アリスの金色の髪がさらさらと泳ぐように宙になびいている。
「おぶっ!?」
否、突如起きた突風に幸太は吹き飛ばされた。
体勢を整えようとするも、勢い余ってアリスの胸に飛び込んでしまう。
「今日の幸太様は積極的ですのね……」
少し驚くも、すぐさま歓喜の表情を作り幸太を抱き締めるのだった。
○
幸太がまだ階段を下りている頃、食堂内ではメイド隊と冥土隊の嫉妬と憎悪が渦巻く中、今まさに開戦されようとしていた。
食堂の中央辺りには、香月が明日香を脅迫していて、その後ろではすみれが顔を俯かせ身体を震わせている。
更に少し離れた場所には夜菜と雨季が肩で息をしながら気味の悪い笑みを浮かべていた。
「やるじゃねぇか……へへ」
「あなたこそ、なかなかやりますね」
お互いを称え合う。それは熱血漫画にでてきそうな光景で青春を感じさせる雰囲気なのだが二人の周りはそうではなかった。
綺麗に並べられていたテーブルは軒並み倒されていて脚が折れている。
もちろん粉砕されているテーブルもあって、その近くには数名のメイドが巻き込まれたのか呻き声をあげながら倒れていた。
階級が下のメイド達は遠目に冷めた視線を送り続けているが、二人はそれに気づかない。
「これで楽にしてやるぜ!」
「これで終わりにさせて頂きます」
夜菜がイノシシの如く突っ込み、雨季は宙に浮き上がると蹴りを繰り出すのだった。
そんな地獄絵図とも言える場所から離れた食堂の隅のほうでは、まだ完成しないのか毒を仕込み続ける富美と清音がいる。
清音は失敗した毒料理を見つめながらポツリと呟いた。
「姉さん、毒強すぎて料理が腐敗しちゃってるよ」
「大丈夫よ、あの脳筋共はそれさえ気づかずに食べちゃうんだから……」
せっせと毒を料理に仕込んでいく富美を見て、清音は背筋がゾクリとするのを感じた。
富美の姿が怖いのではない、こんな姿は日常茶飯事だから慣れている。
――もしバレたら……。
そう――脳筋共に毒が入っているのをバレたら無事ではすまない。
どのメイドも化け物じみた者達だ。恐らく骨一本残らない。
額に浮かんだ汗を拭い、清音は富美を止めようとする。
「姉さん、やっぱりこういうのはよくないよ。正々堂々と勝とうよ?」
清音の言葉に富美の身体がビクリと震え、作業をしていた手が止まった。
「清音……」
清音に視線を向けた富美の瞳が悲しげに揺れた。
わかってくれたと安堵から胸を撫で下ろした清音は言う。
「ボク達二人がいれば、メイド長だって倒せるよ。だから頑張って幸太様の近く……に……」
清音の言葉に勢いがなくなり、とうとう無言になってしまった。
理由は瞳に映る富美が薄笑いを浮かべていたからだ。
富美は視線を清音に合わせると、
「苦労して勝っても楽しくないのよ! 卑怯な手を使い、楽に勝利を手にする! 表向きは同情して、内心では笑いが止まらない! 最後に笑うのは私達、いいえ――私だけよ!」
卑怯こそが勝利への近道だと信じている富美には通じていなかった。
しかも、妹である清音でさえ最後は敵となる。
そう血筋など最も利用するべき物なのだ。
同情など無価値、手加減など無意味、妹など捨て駒にすぎない。
悪魔より非道い富美の高笑いは食堂に響き渡る。
「甘いよ……反対に利用されているという事を知るべきだよ。姉さん?」
天井に向けて腕を突き上げ笑い続ける富美を見て、清音はニタリと口の端を吊り上げた。
この姉にして、この妹あり。
どす黒い空気が食堂の隅に充満し始めたのだった。
富美と清音の姉妹愛憎劇から離れて、中央ではある変化が訪れていた。
香月がとうとう本格的に明日香をイジリ始めたのだ。
「厳格である明日香さんが、こういうことしていいのですか〜?」
ピラッともう一枚の写真を撮りだし明日香に向けて突き出した。
写真には幸太の布団に包まれて明日香が至福の表情を浮かべている。
だが写真に写った明日香と違い、実物のほうは、
「…………」
なにも言えない、言おうとしても言葉がでてこない。
まるで死んだ魚の目のように、瞳には光がなくなっていた。
これを好機と見た香月は更にたたみかけていく。
「まだありますよ……次はこれですね〜。すっごい幸せそうですけど、正直どうなんでしょう〜? 変態さんですか〜?」
更にもう一枚取り出した写真には幸太の服が入っているタンスを物色している明日香の姿があった。
遠くから撮られたはずなのに、容易にその表情が読み取れてしまう。
鼻息が荒く幸太の服を掴んだ姿はまさに変態の名にふさわしかった。
「おふっ、ふはははは」
なぜか唐突に笑い始めた明日香、もう笑って誤魔化す道しか残されていなかった。
香月は追い詰めたと嘲笑う。
トドメを刺すためにとっておきの写真を撮りだした。
「これを皆に見せたらどうなるのでしょうか〜?」
ぴらぴらと明日香の眼前で写真を揺らす。
最後の写真には、幸太の服に頭をつっこんだ姿の明日香がいた。
どうしようもないほどの変態の姿が映し出されていた。
「知らん知らん知らん! 我は知らんぞ! ふわわわわわ」
とうとう明日香は壊れてしまう。
腕をばたばたと慌ただしく振りながら、写真を奪おうとする姿はさすがと言うべきか……抜け目がない。
ひらひらと迫り来る手を避けながら香月は言う。
「佐倉家冥土隊、変態騎士、円城寺明日香さん♪」
恍惚とした表情で、とても嬉しそうに呟いた。
その言葉に暴れていた明日香の動きがピタッと止まり顔を俯けた。
香月は怪訝な顔を作ると、表情を窺うように覗き込もうとした。
だが――……。
「ひっ!?」
小さな悲鳴をあげると、パラパラと落ちていく前髪を見た。
眼前にはよく斬れそうな、人など簡単にまっぴたつにできる。光輝く鋭利な刀身が向けられていた。
少し調子にのりすぎたと思っても既に遅かった。
「も、もう我慢ならん! お主を斬ってやるるるるうううう!」
引き抜いた刀を振り上げると、すぐさま空気を切り裂き振り下ろす。
目にも止まらぬ速さに香月は死んだと思った。
ガギィ――。
だが、火花が目の前で散った。
小さな花火のようでとても幻想的だと魅入ってしまう。
束の間呆けていた香月だったが、視線を下に向けた。
そこには、ボルグルで刃を受け止めるすみれの姿があった。
すみれは明日香を見上げると口を開く。
「メイドに刃を向けた以上は、許すことはできないの。これより佐倉家メイド隊【メイド長】獅子童すみれが相手をしてやるの」
と静かに告げた。
香月はすみれの背を見つめる。
小さいのに大きく見える背中、どんな盾よりも安心できる分厚い壁にも感じる。
さすがはメイド長だと内心感動してしまう。
最も古く幸太に仕えるメイドにして、佐倉家メイド隊最強と呼ばれる小さな巨人、獅子童すみれ。
「どこからでもかかってくるがいいの」
腕を伸ばし手を広げ指先をクイクイと挑発するかのように動かす。
その仕草を見て血が騒ぐ、幾多もの戦場をくぐり抜けてきた戦士の血が煮えたぎる。
明日香は陶然とした、どこか酔い痴れた表情を浮かべた。
「それでこそメイド長だ! お主等と決着をつけるときがきたようだ!」
黒刀を横に払うように向けた。
そして、佐倉家冥土隊【漆黒の騎士】円城寺明日香が命じる。
「黄金に輝く【獅子の女王】の名の下に、主神――幸太様の剣となりて盾となる。我等佐倉家冥土隊――抜刀!」
後ろに控えていた冥土達が一斉に刀を抜き放つ。一寸の遅れもなく皆同じ速さで同じ動作で鞘から刀を引き抜いた。
それを見ていたメイド数人から感嘆とした溜息が漏れる。
それほどまでに鮮烈で美しい光景だった。
だが見惚れることのなかった者がいた。
「上等だ! やってやろうじゃねぇか!」
夜菜がまず素手で冥土隊に突っ込んでいく。
雨季は涼しげな表情で割れたメガネを予備に替えると、夜菜の背を見つめた。
「確かにメイド同士で争っている場合じゃありませんね……ふふっ、本当のメイドの力を魅せてあげます。それと――写真を返しなさい!」
床を蹴り上げ跳躍すると、空中で身を翻し冥土隊の頭上から攻撃を仕掛ける。
そんな二人についていくかのように、野次馬の如く周りを囲んで見ているメイド達を掻き分けながら――あの二人が現れた。
「どきなさい! 私の毒料理を食べさせてあげるんだから!」
「姉さん、これ投げたほうがいいんじゃない?」
「ダメよ! 至近距離でぶつけたほうが威力は倍増なの! むしろ一撃必殺!」
いつも通りな言い合いを始めながら、富美と清音も戦いに加わっていった。
頼もしい部下達を見て、すみれはいつもの無表情から、どこか頼もしそうに目を細める。
「すみれ達も行くの。メイド隊こそが幸太様に相応しいということをクズな奴等に教えてやるの」
「仕方ありませんね〜。久しぶりに本気だしちゃいますよ〜」
ゆっくりと歩き始めた二人は奮闘する夜菜達に加勢する為に戦地に足を踏み入れていった。
いつしか戦いは他のメイド達も加わり食堂には絶叫と喚声――怒声が響き渡る。
綺麗に磨かれた床は無造作に破壊され破片が辺りに飛び散る。
テーブルは盾となり、椅子は武器に取って代わる
食堂は食事をするところから、敵を討ち取る戦場へ変貌を遂げたのだった。
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