少女は父親を嫌っている。
反抗期というわけではない。父親という存在が憎いのだ。
この世に生を受けてから少女は父親の愛情を受けずに育った。
母は優しく、使用人達も可愛がってくれた。そこに不満はない。
ただ、父親が憎い。幾多の愛人を抱え、子供を作る男が憎い。
母は何も言わない。『あの人も大変ね……』と笑っている。
少女はその笑みを見て胸が締めつけられた。
娘なのに会話とて一言二言しか交わした事がない。
使用人達は男は仕事が忙しいのだと言う。
なら、愛人と遊ぶ時間はあって、子供と遊ぶ時間はないのかと、少女は幼いながらも思ったものだ。
憎しみの炎は衰えることはなく、激しさを増しながら少女は成長していく。
ある日、少女の元にある噂が舞い込んできた。
なんでも、あの軽薄な男が女遊びをやめて、子育てを始めたというのだ。
耳を疑った。同時に嘲笑もする。
自分の子供の面倒も見たことがないのに、子育てなどできるわけがないと。
そして気にもなった。どうして子供を育てる気になったのか、それがとても気になった。
「それで何か掴めたのかしら?」
肩にかかった艶やかな黒髪を片手で払い。目の前に立つ軍服姿の女に目を向けた。
「一応は知ってはおります」
何を思いだしたのか軍服姿の美女の口許がへにゃと崩れた。
珍しいものを見たといった感じで眼を細める少女。
「……なにをニヤついてるの?」
「失礼。数日前の事を思い出しておりました」
「説明しなさい」
「どこから説明したらいいものか……」
軍人美女は顎に手をあてると目を伏せて唸った。
「最初からよ」
少女は二月ほど前、目の前の軍人にとある命令を下した。
『佐倉源治郎の人工島に潜入せよ』との指令である。
だが、作戦開始から二日目で彼女からの連絡が途絶えた。
「人工島に上陸したのは良かったのですが、なぜかそこには大隊規模のメイドが待ち伏せていたのです」
つまり、任務失敗である。
「相手に情報がもれていたと?」
「いえ、それはありえません」
「なら、なぜそこにメイドがいたの?」
「佐倉源治郎氏のご子息の警護だったようで、運が悪かったとしかいえませんな」
「そう……佐倉源治郎の――息子ね」
娘ではなく息子ということに少女は驚きを隠せなかった。
佐倉源治郎には娘しかいなかったのだ。
娘ばかりなものだから遺伝子操作しているのではないかと言われている始末である。
「それで二ヶ月間囚われて、今更のこのこ帰ってきたと?」
射貫くような視線を向けるが、軍人美女は涼しげな顔で受け止めると肩をすくめて口を開いた。
「二ヶ月間、幸太様――源治郎氏のご子息のお世話をさせて頂いておりました。ライバルが多くて蹴落とすのに難儀はしましたが、それ相応の見返りはありましたね」
「………」
子供の名前を聞いて眉間に小さな皺を作った少女。
だが、軍人美女はその些細な変化に気付かず。無言が先を促すものだと勘違いをした。
「ですが、こちらは囚われの身。色々と問題が起きまして。それらを解決するために帰還しました」
「つまり?」
「幸太様の専属メイドとなるので、転属させて頂きたいのです」
「なぜ?」
「監視をはずすにはお嬢様のメイド隊を抜けるしかないのですよ」
「ふぅー……却下よ」
軍人美女は驚きで眼を剥いた。
「な、なぜ……でございましょう」
「とても残念なことに、あなた以上のメイドがいないからよ」
「私の下には優秀な部下が揃っております。確かに私より優秀な者はいないでしょう。ですが、私以上の能力が必ずしも必要であるわけではないのです」
引き締まった太腿に取り付けたホルスターから、拳銃を取り出すと少女に向けた。
「ですから、どうか転属させて頂けませんか?」
向けられた銃口を見て、少女は嘆息する。
「それが許可を求めている者の態度かしら」
「根っからの軍人なもので、これ以外の交渉術など持ち合わせていないのです」
「そう……もう一度言うわ。却下よ」
パンッ――銃声が室内に響き渡る。弾丸は少女を逸れて背後の壁にめり込んだ。
「次は当てます。許可を頂きたい」
「少し落ち着きなさい。お前に新たな指令を与えるわ。佐倉源治郎の息子を連れてきなさい。世話係にはお前を任命しましょう。源治郎の息子の世話がしたいのでしょう?」
「む……」
軍人美女が難しい表情を作り、銃口は少女に向けたまま思案を始めた。
時間にして数秒、軍人美女はホルスターに拳銃をしまう。
「必ず幸太様をここに連れて参りましょう」
軍人美女は敬礼するとすぐさま踵を返して部屋をでていった。
残された少女は無表情のまま、机上の写真立てに視線を巡らせる。
そこには姉妹達が仲良く写っている姿がある。もちろん腹違いの大事な妹たちも。
だが、どの写真にも父の姿はない。
少女はふいにイスから立ち上がり窓辺に寄った。
窓をあけると肌寒い風が入ってくる。空は青くどこまでも透き通っていた。
「佐倉源治郎……あなたの物は全て頂く。地位、名誉、権力、全てをね」
天を掴むように少女は腕を伸ばした。少女は楽しげに小さな笑いをもらすのだった。
二日後――一人の幼い少年が少女の屋敷に連れて来られた。
佐倉家に引き取られて二度目の春を迎えた――佐倉幸太である。
まだこの頃には野暮ったいメガネもかけておらず。幼い可愛らしい顔立ちをしている。
そして見知らぬ屋敷に戸惑いを露わにしていた。
「あ、あの」
「どうかしたかい?」
目の前に立つ男装の麗人が笑みを向けてくる。
「ここは……どこですか? それにリリヴァは……」
「ふむ……ここは佐倉一花っていう怖い女の屋敷だ。それとリリヴァというメイドなら、その――一花姉さんの所にいるはずだ」
不安そうな目で見上げてくる幸太の手をとり、男装の麗人はゆっくりと説明してくれた。
「そんなに不安がることはないさ。さすがの一花姉さんでも君を取って食おうとはしないと思うからね」
「なんで僕はここに?」
「ん~、ごめん。それはわたしにもわからないな。それで、君は佐倉幸太くんでいいのかな?」
「あっ、はい」
幸太は慌てて頷く。緊張している少年を見て男装の麗人は微笑む。
「うんうん。素直でいいね。わたしの名前は佐倉四葉、佐倉家では四女ということになる。うちは姉妹が多いし腹違いも多いからね。とりあえず、正妻の四女ということになるかな」
「はあ……」
どんな表情で返事をしたらいいのか、迷った末にでたのが気のない返事だった。
「ここで待ってても仕方がない。お菓子でも食べて待っていようか」
四葉は幸太の手をひっぱり歩き始める。
「うちは姉妹は多いんだけど兄弟はいないんだ。弟ができたなんて知ったら、きっとみんな驚くだろうね。そういえば幸太くんは、姉がいることは知らされてたかな?」
「し、しらなかったです」
「そうか、お父様は教えてくれなかったんだね。結構な数の姉がいるんだけど、とりあえず、この屋敷には――一花姉さん、わたし、あと二人の姉が住んでいるから今日中には会えると思うよ。他の姉妹達は各々の母親の実家にいたりして、ここには住んでないけどね」
「そ、そうですか」
「まだ緊張してるのかい?」
「そ、そんなことない――うぷっ!?」
幸太は浮遊感に襲われて、そして一瞬にして目の前が真っ暗になった。
柔らかいものに顔が包み込まれる。
「どうかな? 落ち着いたかな?」
「むぅー!」
幸太の後頭部に腕が回され頭が胸の間に埋まっていた。酸素を求めて手足をバタつかせる幸太の行動に、四葉は喜んでいると勘違いしたのか、更に両腕に力が込められる。
「そんなに嬉しいものなのかい? 男っていう生き物は変わっているね。わたしからしたら胸なんてものは邪魔なんだけどね」
「――むぅーうー!」
「そんなに喜んでもらえるとうれしいな――」
「それ絶対苦しんでるわよ」
と、横合いから言葉が飛んで来た。
四葉がそちらに視線を向けると、胸元が大きく開いた派手なドレスに身を包んだ少女が腰に両手をあてて二人を見ていた。
「おや、二葉姉さん。パーティーに呼ばれてたんじゃなかったのかい?」
「つまらないから帰ってきたわ」
「また殴ったんじゃないだろうね」
「殴ってないわよ。蹴ったのよ。いやらしい目で人の胸みるんだもの」
「二葉姉さんの胸は大きいからね。しかも、胸を強調するようなドレスを着るからだよ。見てくれって言ってるようなものだ。それに、イヤならパーティーにでなければいいのに」
「あんた達のせいでしょ。一花姉様は無駄って言い捨てるし、三葉はあんなだからだせるわけないし、あんたは男装して男共の自信を打ち砕くから」
「いや、ボクは別に男装が好きって訳じゃないんだよ。なぜかメイドたちが男装しかさせないんだ」
「なんでもいいけど、そろそろ、その子放してあげたら?」
「あっ――幸太くん大丈夫かい?」
腕の力が緩んだのを見て、幸太が慌てて後ろに跳び退る。
「げほっげほっ、ぜふぅー、ふぅふぅ」
「あら、可愛い女の子ね」
と、二葉が苦しむ幸太の前にしゃがみ込み顔を覗き込む。
「幸太くんは女の子じゃないよ。ボクも最初は驚いたんだけどね。男の子らしいんだ」
「うそっ!? こんな可愛い顔してるのに女じゃないなんて勿体ないわね~」
二葉は遠慮なく幸太の頬を触ってくる。
「四葉すごいわよっ! すべすべよっ!」
「幸太君と歳はそれほ離れてないし、わたしたちも結構すべすべだと思うけど?」
四葉は自分の頬を撫でながら呟く。
「そんなレベルじゃないの! なんかすごいの! あんたも触ってみなさい」
「おお……ホントだ。これはすごいね。男の子が持っていていい肌じゃないね」
「やめ――やめてくだふぁい」
顔を真っ赤にさせて幸太は後退る。が、腕を捕まれて逃げられない。
「顔真っ赤にしちゃって可愛いわね。肌も真っ白よ。なんかこれで男ってずるいわね。ほれほれ、抵抗しないと服が脱げちゃうぞー」
「これは三葉姉さんに見せたら大変だね。あの人には言わないでおかないと」
「やめっ、やめてっ!」
「あはは、ここがいいのかしら。そういえば、この子は誰なの……?」
「弟だよ」
「ふーん、弟……弟!?」
「お父様が養子に迎えたそうだよ」
「あんた、なんでそんな重要なこと言わないの!」
「いや、知ってるとばかり……」
「うう……ひどい」
ようやく解放された幸太は泣き崩れていた。パンツ一枚という情けない姿で……。
脱がされた上着を引き寄せる。扇情的な画だった、中性的な顔立ちの少年が目尻に涙を浮かべ上着を引き寄せる姿は、男も女も関係なく目が引き寄せられることだろう。
「こ、これは……」
「二葉姉さん鼻血がでてるよ」
もちろん姉妹はちゃっかり見ていた。
「悪くないかもね。これが弟なら文句がないわ」
四葉から差し出されたハンカチを鼻にあてながら、二葉は涙目で服を着ようとする弟を見て興奮していた。
「それは同感だけど、手伝ってあげようよ。さすがにいたたまれない気持ちになってきたんだけど」
「そ、それもそうね。手伝ってあげ――」
幸太を見つめていた二葉だったが、四葉の言葉で正気に戻った。
だが、言い終える前に――、
「ぶふぉっ!?」
ドタンッ――大きな物が倒れる音が廊下に響き渡った。
「なにしてんの。あの子は……」
「……はあ。見つかっちゃったよ」
「うへ、転んじゃった」
ボサボサの頭を掻きながら、照れ笑いを浮かべて近づいてくる少女がいた。
髪はぼさぼさ、前髪で目が隠れていて表情がいまいちわかりにくい。
だぼだぼのジャージを身に纏い、典型的な引きこもりといった風体である。
「あれれ……キミは」
「ひっ」
突然現れた少女に顔を覗き込まれて幸太は身を強ばらせた。
「ぶふぉっ!? なんという……なんという破壊力! 廊下にでたら美少年が素っ裸でいるなんて……これは幻か!? 神からの贈り物なのか! 好きにしてもいいの!? 美少年が上目遣いで見つめてくるなんてっ! こ、こんな生物が地球上にいたなんてっ! 素晴らしいよぉ~素晴らしすぎるよぉ~生まれてきてよかったよぉ~」
ジャージ少女はその場に崩れ落ちるように倒れるとゴロゴロと転がり始めた。
「ね、ね。キミの名前は? キミ名前はなんていうの?」
カサカサという擬音がよく似合う姿で、壁際まで幸太を追い詰める少女。
「こ、こうたですっ」
「幸せになれ太! って書いて幸太って読むらしいよ。ちなみにわたしたちの弟だよ」
と、適当な四葉である。
「幸太くんかぁ! いいね、とてもいいねぇ! 幸くんって呼んでもいい? いいよね?」
「かまいませんけど……」
「ありがとぉ。幸クンか、いいね、とてもいい感じなんだよ。しかも、弟だなんて――むふははははは」
「はあ……」
やけに高いテンションの少女を前にして、幸太は平静を取り戻しつつあった。
「あ、あの」
「なにかな? なにかな?」
「服、返してください」
「これ? これ幸クンの服? すーーーーーーーーーーーーーー! ぜはぁぁぁぁぁ、くぅぅぅ、これが弟臭ってやつですかぁ!」
まるで風呂上がりに牛乳一本みたいな事を叫ぶ少女。その手には幸太の服があった。
幸太の顔は引き攣っていた。もう怖いってものじゃなかった。
目がヤバイ、この少女の目はヤバイ、完全にダメ人間の目をしている。
「さすがにドン引きよ」
「それはさすがにダメだね」
「ええ~、いい匂いだよ」
「あの、だから服を――」
「あっ、わたしの名前? わたしの名前はヒ・ミ・ツ♪」
ツン――と鼻面を人差し指でつつかれる。
「…………」
「ホント、どん引きよ」
「さすがにそれはないよ」
「……あはっ。佐倉三葉だよっ! 上目遣いで、みつ姉って呼んでみて!」
恥ずかしくなったのか言いくるめるように、鼻息荒く言ってくる。
「えと……みつ姉、服を」
「いやぁ~可愛い! 可愛い~、みつ姉だって、みつ姉だって! 宜しくねぇ、幸くぅん」
ぎゅむっ――豊かな胸に幸太を引き寄せる三葉。
「あたしの事は二葉お姉様ね。お姉様……いい響き」
「うん。わたしは四葉姉さんでいいよ」
「歓迎だよ~。こんな可愛い弟なら大歓迎だよ~。あーたまらんのう、たまらんのう、ええ匂いじゃのうううう」
「だ、だから……服を返してください」
幸太が情けない声をあげていると、
「お前達は何をしている」
廊下に響く冷めた声に四人は一斉に目を向ける。
そこには黒いドレスを身に纏った黒髪の美少女が立っていた。
「げぇ、一花姉ちゃんだっぶるっ!?」
三葉が黒髪の少女に目を向けた途端、べたーんと無様に床にたたきつけられた。
「……言葉には気をつけなさい。あと、その薄汚れた服を着替えなさい。屋敷を追い出されたくなかったら身なりを整えろといつも言ってるでしょ」
「ふぇ……ごめんなさい」
三女を踏みつけて、残った二人の妹に鋭い視線を投げつける。
「二葉、またパーティーでクズを殴ったのね。よくやったわ」
「ありがとうございます」
優雅に頭を下げる二葉。
「でも、ドレス姿のままで何をしているのかしら。その無駄にデカイ胸を自慢しているの? 歳の割には無駄に成長して、だからあなたの成績が上がらないのよ」
「い、いえ違います。自慢だなんて! それに、少しは成績も良く――ひゃん!?」
足を払われてスカートが舞い上がりその場で尻餅をつく二葉。
可愛らしい下着だった。幸太は見てしまい顔が真っ赤だ。
「見ちゃダメでしょ!」
見られた本人はスカートを押さえて顔を羞恥で染めている。
注意された幸太は慌てて顔を伏せた。
「弟に見られたぐらいで恥ずかしがるな。ああ……そう、姉である私に宣戦布告してるということなのね」
「えっ、ちがっ」
「なんでお前の胸は無駄に大きいのかしら」
「ひっ――やんっ、やめ」
「姉の私より大きいなんて妹失格ね」
「ご、ごめんなさいぃ」
二葉の胸を踏みつけながら、残った最後の妹に目を向けた。
「お前もいつまでも男装なんかするな」
「ひっ!?」
なぜか他の姉妹より強烈な回し蹴りが飛んで来て、ガードをするも衝撃までは消せず壁に激突する。
「な、なんでわたしだけ――こんなにキツイのさっ!」
「勝手に幸太を連れていった罰よ。姉の断りもなく連れていくなんて、どういうつもり?」
「いや、あんな所で待たすよりお菓子を食べてもらおうと……」
「そう……お菓子ね」
と、一花の視線がパンツ一枚の幸太に向けられる。
言い訳のしようがなかった。脂汗が大量に噴き出すのを感じながら、四葉は壁際から離れて逃げ道を探し始める。
「逃がさないわ」
「ご、ごめんなびゃい!?」
背を向けて逃げようとした四葉に、一花は跳び蹴りを決めた。
うつ伏せに倒れた妹を二度ほど蹴り、一花は幸太に近づいていく。
「かわいそうに……おもちゃにされたのね。もう大丈夫よ。ついてきなさい。新しい服をあげましょう」
「服ならここに――!?」
服を拾おうとしたが、横から伸びてきた一花の手のほうが早かった。
「これは洗濯させておくわ」
「えっ、でも……」
「こっちよ」
残りの衣類も全て回収され、呆然とする幸太についてくるよう促す一花。
「早くしなさい。そのままでは風邪をひくわ」
幸太の肢体を妖しい光を宿した瞳で見つめる一花。それに気づけるほど幸太はまだ彼女のことを深く知らなかった。
靴下まで脱がされたパンツ一枚の幸太は、ペタペタと一花の背中を追いかけていた。
癖毛一つとないストレートな黒髪が歩く度に揺れている。
「幸太。あなたに言っておくことがあるの」
と、突然振り向き言ってきた。
「えと……な、なんでしょう?」
「その言葉遣いはやめなさい。私達は姉弟なの。他人行儀な受け答えは相応しくないわ」
そんな事を突然言われても、初対面なのだから敬語になってしまうのも仕方がない。
迷っている幸太は少女の機嫌を伺うようにチラチラと顔を見るが、その冷ややかな表情からは何一つ読み取れない。
しかも時間が経つ事に周りの温度が急激に下がっている気がする。幸太は口元を引き攣らせながら。
「な、なにかな?」
「そう、それでいいのよ」
小さな微笑を浮かべて満足そうに頷く一花。
「佐倉源治郎の事は忘れなさい。あの者は父親として相応しくないわ」
有無を言わせぬ口調だった。というよりも否定のしようがなかった。
確かに、佐倉源治郎は企業家としては優秀だが、人の親としては失格の烙印をおさずにはいられない。少しの間だけだが一緒に暮らしているのだ、これには幸太も頷くほかない。
それに――忘れろと言うのも無理な話である。あれほど強烈な人物を忘れる事などできるはずがない。
「あなたは今日からここで住むことになるわ。私の事は母、姉、恋人、妻、全てだと思いなさい」
それはちょっと無理があるかな……なんて幸太は思うが、氷塊のような美少女に意見など言えるわけもなく頷くしかない。
「私の命令には従うこと。これは妹たちにも言ってる事だけど、逆らったら追い出すわよ。いえ、社会的に抹殺する」
裸で追い出されたらたまらない。彼女はやりそうな気がする。
勢いよく幸太は何度も頷く。これでもか! というほど強く頷いた。
「素直ね。でも、それが一番利口よ。うちの妹たちにも見習わせたいわね」
言いたいことだけを言うと一花は背を向けて再び歩き始めた。
幸太としては逃げ出したい気持ちが最高潮である。
知らない屋敷に突然連れてこられて、いきなり母、姉、恋人、妻宣言である。
意味がわからない。逃げ出したいが彼女はどこまでも追いかけてきそうだ。
――だって源治郎の娘だもん。
桜坂のメイド達が助けに来てくれないだろうか、なんて祈るも彼女達は現在メイド研修とやらを受けさせられていて引き離されているのだ。
このような状況に陥っているなど想像できるはずもない。いや、彼女たちなら気づいてくれるかな。なんて淡い期待を抱いておくことにした。
ふと……あることを思い出して幸太が一花の背中に向かって声をかけた。
「あのリリヴァは……どこにいったんですか――いったのかな?」
彼女なら顔見知りであるから、いてくれたら楽になる。
そう思ったのだが、
「リリヴァなら新しい任務を与えたわ。少々面倒なことが起きてね。あなたには関係ないことよ」
と、言われては、こちらからはなにも言えない。
「そ、そうですか」
「……ここよ。ここが今日からあなたの部屋」
一花は観音扉の前に立つと幸太の背中に手をあて扉のノブを回した。
「うわぁ……」
これは言葉にならない。幸太は眼を剥いて隣に立つ一花の顔を見上げた。
だが、一花の表情からは相変わらず何も読み取れない。
仕方がないのでもう一度部屋に視線を巡らせる。
壁際には調度品や天蓋ベッドが置かれていて、部屋の片隅には真っ黒な執務机があり、机上にはいくつかの写真立てが置かれている。
近くには専門書やらが詰め込まれた本棚、高級ソファが鎮座している。
彼女とはそれほど歳も離れていないはずだが、本棚の専門書などを見ると頭がいいということが伺える。幸太には読める気がしない。というより読む気がしない。
それにしても……よく部屋を観察してみると、間違いなく男の部屋ではない。
天蓋ベッドは細かな細工が施されていて、抱き枕やヌイグルミがあったり、フリルがついていたりと妙に女の子っぽい。
調度品が置かれている所には化粧品類があり、新たに用意された部屋とは言い難い。
複雑な表情をしている幸太に気付いたのか一花が口を開いた。
「ここは私の部屋でもあるのよ。今日からあなたの部屋でもある。遠慮はいらないから」
と、背中を押されて部屋に入るよう促されては、どこかに身を寄せるしかない。
幸太はとりあえずパンツ一枚のままソファの端に腰を下ろした。一花は向かいのソファに座った。
「あなたにはいくつか聞きたいことがあるの。ちゃんと答えてくれると嬉しいわね」
「その前に服を……」
さすがに寒くなってきた。
すがりつくような目で一花に視線を向けるが、彼女は首を横に振った。
「私の質問に一つ答える毎に一枚あげる」
いつの間にか幸太が着ていた服は彼女の手から消えていて、新たな衣類が彼女の腕にかかっていた。
「わ、わかりました」
幸太は頷いたが彼女の言葉が返ってこない。
何か機嫌を損ねることをしただろうか、と考えてみるけどさっぱりわからない。
目元が更に厳しくなる彼女をまともに見られない。
視線をそらした幸太はある事に気付いた。
「あっ――わ、わかった」
「それでいいのよ。これからは気をつけなさい」
一花は満足そうに頷いた。それを見て幸太は胸をなで下ろす。
「では、まず一つめ。桜坂遼太郎、桜坂幸はあなたの父と母でいいのね」
「はい」
亡くなった父と母の名前をだされて、胸が張り裂けそうになる。
だが、泣かないと決めたのだ。幸太は必死でこらえる。それが父と母との約束だから。
一花もそれに気付いたのか、あまり変化のなかった表情が、申し訳なさそうな顔をしていた。
「手をあげなさい、片手じゃなく両手よ」
「えっ?」
「言ったでしょ。服をあげるって。着せてあげるから」
恥ずかしいので断りたかったが、抵抗など無意味と言いたげな視線を受けて幸太は早々に諦めた。
「ごめんなさい。ちゃんと聞いておきたかったから……」
謝罪を小さく口にして彼女は丁寧に上着を着させてくれる。
浮世離れしたお嬢様といった感じなのに手慣れていて、幸太はちょっと驚いた。
幸太の顔から考えている事を読み取ったのか一花が口を開く。
「妹達の世話をしていたから慣れてるの。さて、次の質問ね。佐倉源治郎、佐倉咲希、これが自称、父親と母親ね」
「うん」
「どちらも親としては失格ね。そもそも兄妹で親権を奪い合うこと事態が子供にはいい迷惑よ」
「はは……」
これまた幸太には否定できない。あの二人は良い人ではあると思うのだが、とにかくやることなすこと滅茶苦茶なのである。
父母が亡くなって咲希が尋ねてきた時には、とにかく一日中抱きつかれて、否、泣きつかれて困ったのは記憶に新しい。散々泣かれたあとは誘拐されそうになり、幸太のメイド達と衝突していた。
源治郎は源治郎で初めて会った時に、今日から父親と叫びながら抱きついてきた。こちらは寸前にメイド達に取り押さえられて袋叩きにされていたが。
父母が死んだという事実を悲しむ暇もなく、日々は忙しく過ぎていった。
そして、現在は上着にパンツ一枚という情けない姿になってしまっている。
「じゃあ、次はスカートね」
「うん」
返事をして立ち上がったが、すぐさま首を傾げた。
聞き間違いだろうかと彼女を見上げてみるが、相変わらず読み取れません。
「あの……僕は男なんだけど」
「わかってるわ。だからスカートなのよ」
わかってないだろう、と言い掛けたが言葉がでてくることはなかった。
彼女の目がマジだったからだ。
幸太はようやく少女が誰の娘かを思い出した。彼女はあの源治郎の娘である。
変な性癖があってもおかしくはない。いや確実にあるだろう。
――だって源治郎の娘だもん。
「大丈夫よ。この屋敷には私と妹たち。それに数人のメイドしかいないから」
「そ、そういうことじゃなくて……いや、それもあるんだけど、今はそういうことじゃなくて」
「ああ、なるほど。そんな事を気にしていたのね。防犯なら完璧よ。これだけ広い屋敷に女だけの暮らしだと不安になるものね。でも、今日から幸太もいるし大丈夫よ。姉である私を最大限に守るといいわ。一緒の部屋なのだから」
「そ、そういうことでもなくて」
「他になにかあるの?」
首を傾げる一花は年相応の少女らしさがあった。先ほどの近寄りがたい雰囲気とは違う。
思わず見とれてしまうほど、彼女の表情、仕草は美しかった。
だが、今はそれに見とれてる場合じゃあない。
「僕は男だからズボンがいい」
「ダメよ」
即答だった。
「お、おかしいよ。だって僕は男なんだ! なんでスカートなの!?」
「おかしくないわ。私の妹も男装してるもの。それに幸太ならきっと似合うと思うの」
「に、にあうとか……そういう問題じゃあ」
「でもそのままだと寒いでしょう?」
確かに寒い。だからといってスカートなどはけるはずもない。
「それに、スパッツも用意してあるの。とても暖かいわよ」
と、言ってから手にとって見せてくる。
幸太は首をふるふる横に振る。言葉がダメなら態度で表す。
これはメイド達と暮らしてきて身につけた悲しい習性である。
「わがままな子ね。でも、私は姉だもの。我慢してあげる」
やれやれと肩をすくめる一花に、ようやく諦めたか、と幸太は安堵のため息をもらす。
「そんなにストッキングがいいだなんて」
「ち、ちがうわーーーー!」
「……姉にそんな口を利くなんていけない子ね」
「ひぇっ」
凍てつくような風が頬をかすめていった。幸太は思わず恐怖に顔を引き攣らせるが。
「怖がらなくても大丈夫よ。私は姉だもの」
と、彼女は存外にも優しい口調である。
「あの……イヤと言ったら?」
「言わせない」
「ひぅっ!?」
獣の目をした一花を相手に幸太は抵抗する事もできずソファに押し倒された。
「また一つコレクションが増えた」
一花は勝者の笑みを浮かべている。その手にはデジカメがあった。
天蓋つきのベッドには、ゴシックロリータ衣装に身を包んだ幸太が疲れた顔をして眠っている。
一花はベッドに乗り上げて幸太に近づくと愛おしげに頬を撫でた。
「あなたは私が育ててあげる。だって私は姉だもの」
一花はそのまま横になると、幸太を胸元に引き寄せ目を閉じた。
窓から差し込む光が執務机の写真立てで反射する。
その写真には、妹たちに囲まれた赤子を抱いている彼女の姿があった。
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