屋敷に戻ってきた幸太は食堂に向けて足を進めていた。後ろには高月来夏がオドオドしながらついてきている。
さながら肉食動物に怯える草食動物といったところか……。
「ご、ご主人様。あの、あの来夏のような役立たずで間抜けな見習いメイドが、後ろを歩いてもいいのです?」
振り向いた幸太の瞳に映ったのは、緊張しているのか辺りに忙しく視線を動かす来夏がいた。
「いいんじゃないか? それにさ、別に後ろを歩かなくてもいいぞ。追い抜いてくれてもかまわないし」
幸太は前方に手を向けた仕草で笑みを作った。
それを見た来夏はぶんぶん頭を振ると。
「滅相もないです! いくらご主人様が来夏のお尻が好きでも、恥ずかしくて見せられないですよ!」
「いや、そういう意味で言ったんじゃ……」
「そ、それにです! 来夏は夜菜さんみたいに胸はありませんし。雨季さんみたいにメガネもかけてません」
「……胸とメガネ関係なくないか?」
「わかってないです。ご主人様はまったくわかっておられないです! あの胸とメガネがあったら来夏も立派なメイドになれるですよ。そうすれば『獅子の女王』に勝てる自信があるですし、メイド長の座だって夢じゃないですよ。メイド長になれば、佐倉本家メイド隊のメイド熾天長達にも挑戦できるですよ」
「……メイド熾天長とか目指してるのか?」
幸太はそう呟いてから来夏の頭の天辺から足の爪先までじっくりと眺めていく。
確かメイド熾天長は、あのすみれでもなれなかった。アリスでさえメイド熾天長と争うことは避けている。
佐倉本家メイド隊――幸太の父親直属のメイド部隊。
最も優れたメイドだけが入れて、その中で最も優れた女性、四名だけが選ばれる。
違うメイド隊からの挑戦も受け付けているが、メイド熾天長の座が佐倉本家メイド隊から一度も離れたことはない。
メイド熾天長になるのは単純明快で、現在のメイド熾天長を倒せばなれる。
しかしだ、幸太はメイド熾天長の戦いを何度も見たことはあるが、どんなに贔屓目に見ても佐倉家メイド隊では歯が立たない相手だろう。
メイド長であるすみれでも、数多くあるメイド隊のメイド長にすぎない。
事実すみれが挑戦したときなんて、手も足もでなかった。
あのすみれが子供扱いなのだ。今、目の前にいる高月来夏なんて絶対無理だろう……。
だから、幸太は優しく言うことにした。
「まあ、人それぞれだしな、得手不得手ってのがあるしさ。そんな無理することないんじゃないか? たぶん生きて戻れないぞ」
最後だけ本音を混ぜて来夏を見るも、心ここにあらずといった感じで話を聞いていなかった。
「むふふ〜。メイド熾天長になればご主人様を独占なのですよ〜。絶対なるですよ」
「そんなになりたいんだったら……挑戦してみるか?」
「ふぇ?」
幸太が小さく言った言葉に来夏は現実に引き戻される。
なぜか顔を引き攣らせて、震え始めた。
「まあ、どの程度の実力差があるか見てみるのもいいだろ。意外とあっさりなれるかもしんないし、来夏ならなれそうな気がオレもしてきたよ」
「ぇ、ふぇ、ふぇええ? でもでも、メイド長にしか挑戦権が与えられていないので、来夏には無理ですよ! それにそれに、間違いなく死ぬですよ!」
「なーんて、冗談だよ」
と、幸太が意地の悪い笑みを浮かべた時、丁度食堂についたのだった。
「心臓に悪いです〜……ひどいですよ」
胸を押さえながら来夏は安堵のため息を吐く。
「まあ、その感じじゃ当分はメイド長はおろか、アリスすら倒せないな」
扉を開けた幸太は食堂に足を踏み入れた。そして固まる。
「どうしたですか?」
硬直する幸太を怪訝な表情で見ながら、来夏は食堂に眼を向けた。そして、眼を剥いた。
「…………」
「…………」
あまりの光景に二人は声がだせない。そんな二人の視線はある一人の女性に向けられていた。
中央にあるテーブルの上に大量の骨付き肉を載せて、その周りには食堂で楽しく談笑していたであろうメイド達が転がっている。
「…………」
そんな状況の中で一人の女性が黙々と肉を頬張っては骨を床に捨てている。
白髪のセミロング、眼はブルーサファイアのように青く輝き、骨を頬張る姿はまさに肉食獣。
着ている服装は赤のフリルが使われた黒のメイド服、エプロンは純白。あれだけの量の肉を食べておきながら油一つメイド服についていないのは、さすがと言うべきか。
……見なかったことにしておくか、関わっちゃいけない。あれだけは関わっちゃいけない。
幸太は隣にいた来夏に目配せをする、来夏は察したのかコクリと頷き、二人は静かに食堂の扉を閉めようとした。
その時――。
「……逃げたら、んくっ、食べる」
肉を引き剥がし、残った骨を幸太に投げつける。
高速の弾丸にも似た……骨が顔の横を通過していった。あとほんの少しズレていたら頭蓋骨が粉砕されていた。
嫌な汗が額に浮かぶ……隣にいる来夏に眼を向けた。
口をだらしなく開けて、白目を剥いて立ったまま気を失ってる、なんて器用な奴なのか。
幸太は愕然とするも、なんて役立たずなメイドなんだと改めて心に刻む。
「連れ戻せ、と言われた」
骨をクルクル手の中で回しながら、口を唐突に開いた女性、幸太はそちらに視線を向けて疑問を口にする。
「誰に……?」
「旦那様」
骨を口に咥えてエプロンのポケットから一枚の手紙を幸太に投げてきた。
幸太は女性から視線をはずさず、足下に落ちた手紙を拾い上げ無造作に開ける。
そこには――。
幸太、お父さんは寂しいです。帰って来て下さい。だから彼女を使いに送ります。
ああ、愛しの幸――。
と、ここまで読んだ幸太は手紙を破り捨てた。
「それで、わざわざメイド熾天長が迎えに?」
紙くずとなった手紙を何度も踏みながら、目の前でまだ肉を食べているメイド熾天長に言った。
メイド熾天長は肉を咥えながら。
「んむぐさどけど、ほうむんい」
まったく何を言ってるのかわからない。そもそも、肉を食べるのをやめてほしい。
しかも、漫画にでてきそうな巨大な骨つき肉である。そんな細い身体によく入るものだと感心してしまう。
「んぐッ……肉が食べ」
「……ん?」
「嫌だったけど、しかたない」
「内容変わってるだろ。絶対」
「しらない」
いまいち要領がつかめない幸太は諦めるようにため息をつく。
「それで……連れ戻すのか?」
少しの間を置いて、メイド熾天長は首を傾げた。
「戻る?」
「戻りたくはないな。親父の事嫌いだし」
「じゃあ、いい。待つ」
意外にもあっさりと諦めてまた肉にかぶりつき始めた。
呆気にとられた幸太は、呆然とその光景を眺めていたが、ふと気になって。
「なあ、なんで食堂にいた皆が倒れてるんだ?」
いくら主力の夜菜やすみれ達がいないからとはいえ、これでも鍛えられたメイド達であり、数にしても五十は下らないのだ。
「肉、くれない。だから、張り倒した」
「……そっか」
――さすがは……メイド熾天長と言えばいいのか……。なんだかなー。
これ以上なにを言えばいいのかわからなかった。なんで張り倒すまでに発展したのか、そんなことを聴いても今より疲れそうな気がするし。
だが、ふと、幸太は思い出してしまう。そういえば、まだ厄介な連中がいたなーと。
その時――玄関がある方向から重厚な門が開く音が響いてきた。
ああ――……と幸太は思わず泣き笑いにも似た複雑な笑みを浮かべる。
そして、隣で気を失った頼りにならない見習いメイド高月来夏を見て、羨ましいなと思うのだった。
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