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片手にわたしの武器を握って、

作者:鯨井あめ
その日、舞子は晩御飯を作る気力が底をついていた。

入社3年目にして、連日の残業が積もりに積もって積み重なり、美味しいものを食べたいという食欲も、おしゃれな夕食を作りたいという満足心も、何もかも、すべてを根こそぎ押しつぶされていた。

定時をとっくに回った時計を睨みつけ、どうにか日をまたぐ前に仕事を終えた彼女は、ふらふらとした足取りで駐車場に向かい、愛車であるホンダのライフに乗り込んだ。
そうして車を走らせているうちに、ファストフード店を見つけ、吸い込まれるように停車していたのだ。

今日くらい、なんだっていい。
食べられるのなら、それで。

舞子は後ろで強く結った髪をほどき、夕ご飯の時間が過ぎているにも関わらず賑わう店内へ入ると、適当にワンコインで足りる注文をした。
テリヤキバーガーとサラダとポテトとオレンジジュースのセット。計500円なり。

ちらほらと空いているふたり用の席があったので、そのうちのひとつに座る。カウンターには行かない。壁に向かって食べていると、なんだか虚しくなるからだ。

ポテトを1本頬張る。

疲れた。

「ねえ」

突然の声に驚いたが、すぐ合点した。
後ろに座っている女子高生ふたり組だろう。

時間帯が時間帯のため、舞子だって座る席は吟味する。絡まれたら厄介そうな外見をしている若者には近づかない。離れた席を取り、嵐が通り過ぎるのを待つようにひっそりと食べて、忍者のごとく気配を消して出るのが最良だ。
舞子がその席に座ったということは、背後の女子高生たちはそれほど派手な外見でなく、素行の悪そうな子たちではなかったということになる。時間帯こそ遅いけれど。

どんな子だったかな、と記憶をたどるが、容姿が全く思い出せない。人の記憶とはひどく曖昧でいい加減だ。かろうじてぼんやりと浮かんだイメージは、ふたりで向かい合って座って、スマホを触っているものだった。
友人が目の前にいるのに、別の友人とやり取りをしているのは、舞子にとっては居心地の悪いことだ。印象に残ったのだろう。

「もしもの話なんだけど」

さっき話しかけた方の女子高生が続けようとして、「きいてる? せれん」と言った。

相手の女の子はせれんちゃんと言うらしい。
舞子は、キラキラネームだ、と思ってから、後輩に同じ名前の子がいたことを思い出し、遠い世代の話ではないことに衝撃を受けた。次にどんな漢字なんだろうと思い、わからなかったので勝手にセレンとカタカナを当ててみた。

「きいてるよ、杏樹」

セレンちゃんが答えた。

はじめに話しかけた方も相当なキラキラネームに思えたが、この子もか。頭の中で杏樹と当てた。

「もしも、なに?」
「明日さ、世界が滅びるとするじゃん」
「は?」

舞子も「は?」と、ジュースに伸ばしていた手を止めた。
なんだ、そりゃ。

「滅びるの?」
「例えばの話」
「突然なに」
「いま、しみずから訊かれて」
「あーね」

しみず、とは、名字だろうか。
ということは、杏樹ちゃんはスマホ越しに質問された内容を、目の前のセレンちゃんに訊いているということになる。

ややこしいな、と眉をひそめながら、舞子はストローに口をつけた。

「明日世界が滅びるなら、何する?って」
「あいつそーゆーの好きだよね。てか、杏樹ってしみずと付き合ってんじゃないの?」
「たぶんあいつうちのこと好きだけど」
「コクられたらどうすんの?」
「ないわ」
「わかる」

女子高生の会話のテンポは速い。
テレビのワイドショーが、『今の高校生は「わかる」と「やばい」だけで会話が通じる』と映像を流していたことを思い出した。

「杏樹は? なんて返したの?」

イスが音を立てた。セレンちゃんが身を乗り出したのだろう。

「めんどかったから、『わかんね』って、返した」
「やば」

なにがやばいんだろう。
半分に減ったポテトを1本つまみながら、ああでも、と舞子は思う。

自分の勤務時間も、相当やばい。

先日スマホのニュースアプリで見た、"社畜"という言葉には、さすがに笑ってしまった。誰だろう、考えたのは。天才か。

「そしたらしみず、なんて?」
「『だよね』って」
「やば」

だから、なにがやばいんだろう。
サラダを食べながら、少し笑ってしまう。
やばいって、便利な言葉だな。

「あ」

セレンちゃんの声がして、次にイスを引く音がした。

「いったん抜ける」
「ん」
「すぐ戻るから」

セレンちゃんは片手にスマホを持って、舞子の横を通り、入り口へ向かった。外に知り合いがいたらしく、親しそうに話しかけている。相手も柄が悪そうには見えない。

舞子が子供の時なら、こんな時間に出歩いている子供は即補導されていた。不良たちの時間だった。今は随分と街も明るくなったし、そういうわけじゃないのかもしれない。

取り残された杏樹ちゃんは、しかし何も言わないまま、立ち上がりもしなかった。
振り向くのも不自然なので、舞子には彼女が何をしているのかわからなかったが、おおよそ予想はついた。たぶん、スマホの画面をタップするので忙しいのだろう。

舞子は1年前にスマホに買い替えたばかりだった。それまでは、高校生のとき親に買ってもらったガラケーと同じ機種の最新版を買い続けていた。慣れていて使いやすかったからだ。

わたしが彼女くらいの年には、と、テリヤキバーガーにかぶりつきながら、舞子は十数年前に思いを馳せてみる。

舞子は、大学3年になるまで、自分がOLになるとは思いもしていなかった。
小学生や中学生、さらには高校生の自分に今の職業を伝えれば、驚かれ呆れられるに決まっている。

舞子はずっと、漫画家になりたかった。

親に反対され、専門学校に通わず4年制の大学へ進学したが、漫画だけは書き続けた。幼い頃からの夢だった。絵で、コマで、ストーリーで、セリフで、読んだ人を楽しませたかった。
だから、それに専念するために、スマホに買い換えなかった、というのもある。スマホ使ってる暇があったらペンを握っていたかったのだ。

しかし、現実とは難しいもので。

送った賞からことごとく漏れ、佳作にすらならず、必死にスキャナで読み込んでネットにアップしてみても、それほど莫大な反響があったわけでもない。
自分が、少し絵がうまく少し漫画が書けるだけの人間、と気づいてしまったとき、舞子は静かにペンを置いた。
ただの、ほんのちょっとだけ絵が描ける凡人では、厳しい出版業界を生き残っていけない。
今までの自分を裏切った、重苦しい後悔だけが残った。
半ばヤケで就活しか見ないことに決め、取れた内定先に就職したら、残業の日々だ。
社畜は辛い。笑えるほどに。

バーガーの包み紙を折りたたむ。
引っ越しのときに捨てられなかったから、あの愛用のGペンはまだ引き出しの中だ。他のペンもきっと、ケースに入ったまま。
初めてのお年玉で買ったのが、そのGペンだった。捨てようにも捨てられない。
決して、諦めが悪いわけではなく。そう、すでに諦めてしまっているので。きっとあの頃の夢は、頭の中ですべての物事の真下にあって、重石になった他のそれらのせいで、ぺしゃんこ。

「ごめーん」

セレンちゃんが小走りで帰ってきた。

「先輩だった」
「あー、大会の帰りじゃん」
「うん。山下先輩マジかっこいい」
「バスケ部だっけ」
「マジ目の保養」

残ったポテトを平らげて、腕時計を確認した。
そろそろ帰って風呂を炊かないといけない。
舞子はカバンから手帳を取り出すと、バーガーの包み紙についていたクーポンのシールを貼った。特別集めているわけではなかったが、こういうのを見ると自然と残しておいてしまうのだ。

「さっきの話なんだけど」

セレンちゃんが唐突に言ったので、立ち上がりかけていた舞子は結果的に座り直してしまった。

「さっきって?」
「明日世界が滅んだらってやつ」
「あー」

まだ続くんだな、その話、と思いながら、舞子は頬杖をつく。

ふと思った。
自分なら、そのしみずくんになんて答えるだろうか。

紙とプラスチックのゴミだけになったトレイを、意味もなく眺める。

最後の一日くらいは、仕事もせず、家からも出ず、ゆっくり、のんびり、過ごしたい。
大学時代の友人だって、用事があるだろう。結婚している人もいるから、誰かを誘うのは申し訳ないし。
そうして、最期の瞬間をひとりで迎えるのだろう。
そこまで想像して、苦笑した。
馬鹿みたいだな、と思った。

有給の日と何ひとつ変わらないじゃない。

「明日突然、世界が滅ぶなら」
「何をする?」
「って質問ね」
「うん」
「変な質問」
「漫画でも読んだんじゃね?」

高校生らしい質問だ。
子供の時、思春期に特に、そういう漠然とした疑問を抱く。
答えのないそれを思案して、自己完結して、大人になっていくのだ。
舞子にも覚えがあった。
若いなぁと、しみじみする。

「うちはよくわかんなかったけど、セレンは、何すんの?」

杏樹ちゃんの質問に、セレンちゃんは「フツーに考えて」と前置きした。

普通に考える。ああ、そうだ。
家に帰って風呂を炊いて皿を洗ってメイクを落とし湯船に浸かって疲れを取って、明日も仕事に行かなくては。
肌に合わない職場だし、仕事内容も自分の得意分野とはまるで正反対で、苦しい日々だが、仕方がない。

舞子はトレイを持って、よいしょ、と腰を浮かせる。

「当たり前だけど」
「うん」
「倒すよね」

立ち上がれなかった。

「何を?」
「その、滅ぼそうとしてくるやつ」
「人? エイリアン?」
「わかんね」

杏樹ちゃんは明るい声で笑ってから、「まあ、」と言う。

「フツーそうか」
「だって納得いかないっしょ。なんでうちらの人生が世界と同時に終わんなきゃなんないの」
「あーね」
「うちまだまだやりたいことあるし」
「山下先輩と付き合ったり?」
「大学行ったり」
「漫画家になったり?」

心臓が飛び出るかと思った。

「うん」

セレンちゃんの堂々とした声が、舞子の頬を勢い良くひっぱたいた。

「やっぱ、やりたいことやるでしょ。杏樹も」
「あー、まあ、世界一のチョコ作るまでは死ねないかな」
「友チョコ楽しみにしてる」
「何がいい? またリクしてよ」

イスを引きずる音がして、舞子の横をふたりの女子高生が通り抜けていく。

「フローズン、マジ当たったわ」
「期間限定だっけ」
「ツイッターで拡散しよ」

ふたりはゴミを分別してゴミ箱に入れ、トレイを台へ返し、店を出ていった。

舞子は動けなかった。

頭の中で、いろんな言葉がものすごいスピードで飛び交っていた。

どれもが青々しく、初々しく、若々しく、舞子にとってはまぶしいものだったが、同時に日の光のようにあたたかくもあった。

目眩を覚えてもいいはずなのに、俄然足元はしっかりしていて、すべてが明瞭だ。

抗って、いた。
彼女たちは、抗った。
理不尽だと。
わたしは、受け入れた。
仕方がないと。

それだけが、その事実だけが、淡々と降り注いでいる。

「……」

今から自分がすべき、たくさんのことが、とめどなく溢れて視界を埋めた。
だのに道はまっすぐ見えた。
脳裏で瞬間的に爆発が起こって、押し固めていた何かが膨れ上がった。風が吹き荒れている。何もかもをかき消していく。彼女はその中に立っている。

諦めてなんか、いられなかった。
そうだ。諦められるはずがないのに。
どうして。

声が聞こえる。
ここにいるから早くおいで。

机のなかの、上から2つ目の引き出しの奥、木箱の中身が、舞子を呼んでいる。

そうだ、わたしは。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
あなたにとってこの作品が、ふとした瞬間に思い出していただけるような、そんな作品であれば、幸いです。

それでは。

※7月7日
 文芸フリマ短編小説賞・一次選考を通過しました。
 ありがとうございます。
※9月1日
 文芸フリマ短編小説賞・優秀賞を受賞しました。
 ありがとうございます。

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