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サトウヒロシ

落丁していく世界の中で

作者: 白い黒猫

夏のホラー2014参加作品です。

他のサイトにおいて同じ作者名で掲載しています。

「この異様な状況に気が付いたのは些細な事からでした」


 男は憔悴した様子で俺に語りだす。完璧主義でずっとエリート街道を歩きプレッシャーの中で生きてきた男が陥りがちの統合失調症の認知障害。それがその男への診断だった。

「その日は金曜日だったのですが、その日の事が一切思い出せない。過ごした筈なのにその日の行動は全て抜けおちている。最初は気のせいだと思ったんです。そして疲れているだけだと。

 でも気が付いたんです。それは俺が忘れていたわけでなく、金曜日そのものが消え失せていたと」

 こういう患者の言葉は否定するのではなく、ジックリ聞いてあげる事が重要。その上で質問することで、自分で事実を気付かせる。そうして妄想を認識させる事が必要なのだ。

「実際、手帳を調べてみても、スマフォを確認してみても俺が行動していた跡が一切ない」

 俺は男の言葉に落ち着いた感じで頷いてみせる。

「会社の他の人はその金曜日の事をどう話されていますか? 金曜日というと会社は営業していますよね」

 社会が動いている限り、男が言うように一日が消えたとなると大問題になる。丸一日経済活動が止まってしまうと世界は大混乱してしまうだろう。

 しかしそんな事はなく、その男の言う日は俺は普通に仕事をしていたし、新聞を見ても普通に事件が起こりいつもと変わらぬ一日があった。

「会社のみんなは普通に仕事をしていました。そこが恐ろしい所なのです。

 その日俺はこの世界に存在していなかった。

 一人まったく仕事どころか何の活動をしていないのに誰もその事に気が付かず当たり前に生活している。可笑しいと思いませんか?」

 男がその日存在しなかったのではなく、普通に生活した。しかし男の記憶からその一日が抜け落ちただけなのだが、男は世界が毀れてきていて人の存在が抜け落ちていっていると言い張る。

「そういう事が起こっているのは俺だけでなく、もう様々な所で起こっている事なんですよ! 何故誰も気が付かないのか? こんなに恐ろしい事に」


 男の症状は悪化し、一日どころか、二日、三日と一週間と記憶が抜け落ちていく期間が大きくなっていっているという。

 さらに妄想は進み、周囲の人間が時たま丸一日消え失せているのに、誰もその事を気にせず生活していると感じているようだった。

「先生も、周囲をよく見てください。気が付きませんか、誰かが一日存在が消えてしまう時があると!

 そんな事が起こっているのに何故誰も気が付かないのか! 妄想じゃないですよ! 本当なんです! 先生信じてください」

 興奮してきた男の肩に手をやりなだめる。

「いや、疑っているのではないです。ただ私の周りではそういう現象が起きていない。だからもう少し落ち着いて詳しく話をしていただけませんか。そして一緒に検証させてください。いいですか?」

 結局男の話を聞いてあげるだけでカウンセリングは終了する。男には毎日行動記録をつけさせ、それを見ながら事実を認識させるようにという治療をさらに続けていく事にした。

 男を送り出して俺はため息をつく。

 コトンと机の上に珈琲が置かれる。そちらを見ると、アシスタントの笹井がニッコリと笑う。

「お疲れ様でした」

 俺はその柔らかい表情に癒され思わず笑顔を返す。精神病患者と話すという事は、他者が考える以上に気力と体力を使う。それに今日は何故か異様に忙しかった。

「今日はなんで、こんなに患者が多いんだろう?」

 カルテを見ても、飛び込みという形できた患者はおらず予約してきた人だけの筈なのに忙しい。

 このクリニックは七人の医師が交代で勤務している。そして一日八名前後の患者を看るのだが今日は十一名となっている、忙しかった筈である。

「予約の受付けスケジュール、もう少し考えて貰わないとな」

 俺の言葉に笹井は一瞬不思議そうな顔をするが直ぐに笑顔をつくり頷く。

「アシスタント全員に伝えておきますね」

 俺は頷く。最近時々こんな風に忙しい日がある。

 まあ何か人の環境に変化が起こりやすい時期など患者が増える事もあるが、今はそういう意味で中途半端、しかも新しい患者がいないのになぜこんなに忙しいのか?

 俺は報告書を書くために、今日診た患者のカルテを捲る。そこに少し違和感を覚える。

 三つ程見慣れぬ字のカルテがある。最初のページを見ると担当医の所に『佐藤(サトウ)(ヒロシ)』とある。俺は首を傾げる。

 基本このクリニックは余程の事がない限り、一人の患者に一人の医師がつく。対人訓練をする患者が、その時間専門スタッフが担当する事はあっても、担当医が変わる事はない。それだけ人の繊細な部分を取り扱っているからだ。

 にも関わらず、何の連絡もなく『佐藤宏』という医師の患者を俺は診て、患者もなんの説明もなく俺が担当しても当たり前のように受け入れた。

 そもそも『佐藤宏』とは誰か?

  このクリニックの医師は七人。金田一理事長と、二宮医師と、三ツ石医師と、四十万医師と、五十嵐医師と、俺で全ての筈。

「先生 ! 今日は確か奥様とお出かけの予定ではなかったですか? お急ぎになったほうが」

 笹井の言葉にハッとする。今日は結婚記念日、妻も今夜の事を楽しみにしていた。遅れる訳にはいかない。俺は気を取り直し、報告書をさっさと仕上げる事にする。そして妻との甘く熱い夜を過ごし、引っ掛かっていた事も忘れてしまった。


 熱病に浮かされたような甘い夜も、日も変わり朝が来ると日常が戻る。職場にいつものようにいき、職場の人と挨拶してスケジュールを確認する。医師を掲示してある所を見ても知った名前だけが並び、出勤者5名、休み二名で何もオカシイ所はない。

 昼休みには同期の佐藤宏が『お前の所は結婚三年目なのに、まだラブラブだな』とからかってくる。照れながらも澄まして『悔しかったらお前も早くお嫁さんを貰え』憎まれ口を返す。そういういつもの感じになんかホッとする。昨日のよく分からない違和感もバカみたいに思えた。


 その後、相変わらず忙しかったり、そうでもなかったりという日々を過ごす。そしてある日、仕事の終わりに別の違和感を覚える。

 今日の予約患者八名だった筈なのになんか足りない。カルテは八つ準備されているのに、診た患者は七人だった。しかしキャンセルという連絡も、すっぽがされた感覚もない。

 カルテを一つ一つ見直してみる。一人だけ今日書かれる筈の記述がない患者がいる。『鈴木(スズキ)孝司(タカシ)』自分の患者で、自分の字で書かれたカルテなのにその男の記憶がない。

 それがどんな男なのかも分からない。そこに書かれているのは時々世界から自分が消失してしまうと言う妄想を抱いている男の言動の記録。

 心がざわめく。何故か気になり次の休みの日にカルテに書かれた『鈴木孝司』の住所に足を運ぶ。しかし、『鈴木孝司』は玄関のベルをならしても出てこない。

 ドアノブ回しても、当たり前だが鍵はかかっている。ポストも見ると一つだけチラシも入ってなく綺麗な状態。と言うことはやはり人はいるのか? と思うがドアの前で中を伺うが人がいるような気配がない。

 偶然通りがかった同じアパートの住民に聞いて見るが、驚いた顔をされる。

「え! ここに部屋なんてあったんですね。そういえばドアも表札もありますね……どんな人が住んでいたかって? 知りませんよ、部屋があること今気が付いた状態ですよ」

 といった話をしてくる。別にそんな特殊な場所に部屋がある訳でもなく、普通に廊下の途中にドアがある。

 しかし住民は皆一様にその部屋の存在からして知らなかったと言い、ましてはそこに住む住民の事なんて覚えている筈もなかった、存在感がいくらない男だったとしても、ここまでくるとすごい。

 忘れ物をされた喫茶店の店員を装い、『鈴木孝司』が勤めていたらしい会社にも電話してみたが、そんな男は居ないと言われてしまう。俺はよく分からない事態にただ呆然とする。

 住所は保険証から転載されたものだし、保険証もあることから、身分を偽って受診したとも思えない。しかし『鈴木孝司』という男は綺麗サッパリ消えてしまった。俺は首を横に降る。

 『鈴木孝司』は恐らくは精神病を悪化させ不名誉な形でクビになったのだろう。だから会社はいないことにした。そして行き場を無くし失踪しただけ。

 自分の中で納得いかない所だらけだが、そう思い込む事にした。こういう仕事をしているとある程度のスルー力も必要だからだ。自分の心の平穏を保つ為に。

 俺はそのカルテは棚に戻して『鈴木孝司』という患者の事を忘れる事にした。俺に他にも必要としている患者がいる。彼らの為にも些細な問題に構ってられない。そして忙しい日々を過ごし俺は謎多き患者の事を本当に忘れていった。

「皆、少し手を止めて集まってくれ」

 一日の業務を終えその準備をしていると金田一理事長がそういって皆を呼ぶ。隣に一人の男が立っている。

「ずっと皆には激務を強いて申し訳なかった。しかし来週からこの七瀬医師が共にここで働く事になった。

 ずっと長い間六人で頑張ってきたが、今後は七瀬君も加わり、我々の体制も強化された。患者のケアもしやすくなっただろう。皆もパワーアップしたこの体制でこれからも一緒に頑張ってもらいたい」

 俺は、忘れていた違和感というかモヤモヤとした気持ち悪さを覚える。何か忘れている。でも思い出せない。

 その事を口にするのが何故か怖く、笑顔を作り新しく来た医師を歓迎するために、皆にあわせて拍手をした。回りのスタッフも誰も何も言わない。きっと俺の気のせいだ。俺はそう思う事にした。


 新しい医師も増え、クリニックでの仕事は格段に楽になる。商売繁盛で仕事が忙しいのは良いことなのだが、こういうクリニックが繁盛しているというのも社会的にはどうかと思う。

 そして休憩時間、他の医師ともそんな話をしていた。

「とはいえ、今週の水曜日はなんか忙しかったよな。いつもと何も変わらないのにそう思えるあの感覚。なんなんだろうな」

 そういう同僚の言葉に俺は首を傾げる。そんな記憶がないからだ。

 水曜日は俺も出勤日だった筈なのに。そしてふと思う。水曜日俺はどういう一日を過ごしたんだろうか? と。

 あれ……? 一切思い出せない。たかだか二日前の話なのに……。身体が少し震えるのを感じる。俺は何かいやな感覚を振り払うように首を横にふった。

挿絵(By みてみん)

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― 新着の感想 ―
[一言] バッドエンドコンテストをぼちぼちと回っています。 サトウヒロシシリーズ。 存在の不確かさ。 自分の認識に対する不信。 誰にも届かない。 そういうところから人は壊れていくような気がします。…
[良い点] 面白かったです。 [一言] 怖いです。こんな感じの怖さが一番怖いのかもしれませんね・・・ 自分が認識する恐怖ではなく、自分が認識されていないのではないかという恐怖。 ほとんどが前者であ…
[良い点] 何気ない日常がどこからか綻び、はがれおちていく様が伝わってきました。 [一言] ご無沙汰です、白い黒猫さん。楽しませていただきました。タイトルから惹きつけられていました。秀逸なタイトルです…
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