「ねえ、タカシ。こうしていると私たち、空を見上げているのか見下ろしているのか、わからなくなってくるね」
「ああ・・・」
「いま私たちが乗っかってるこの地球だって、宇宙に拡がる無数の星たちの中のひとつなのよ」
「確かに・・・」
マリコはタカシと二人、屋上で仰向けに寝そべり、手を繋ぎ合い夜空を眺めていた。
「どこかの星でも、同じようにこうして誰かが今この瞬間、この星をみつめているかも知れないね。なんだかそう考えたらステキ!」
「有り得ないとは言えないね・・・」
春まだ早い三月の明け方近く。空にはまだ満天の星が輝いていた。
「あっ、タカシ!見て、見て、流れ星!!」
北東の方角から北西の夜空へ数個の光の欠片が、尾を引いて流れていった。
「きれい・・・」
「ああ・・・」
「ねえ、タカシ。何か願い事した?」
「願い事?別に・・・」
「流れ星を見たときに、願い事をすると叶うって言われているの」
「単なる迷信だよ」
「迷信だっていいじゃない。夢があって・・・」
「マリコは何か願い事したのかい?」
「タカシといつまでも離れることなく、永遠に一緒にいられますようにって・・・フフフ」
「永遠なんて、ありえねえだろ」
「なんで?」
タカシはマリコの問いかけには答えず、スッと立ち上がると彼女の傍を離れ、夜空を仰ぎながら壁際の方向へゆっくり歩き出した。
壁際に張られた2メーター程の鉄柵をよじ登り、その上に不安定な体勢で腰掛けた。
「ちょっと、危ないからやめてよ」
タカシはマリコの忠告も聞かず、ポケットから煙草を1本取り出すと火を点けた。
「そろそろ潮時かなって、思ってるんだ・・・」
「なにが?」
「俺たちの仲だよ」
「どういう意味よ?」
「別れようか・・・」
「いきなり何よ!私が何かした?役者の仕事がもっと起動に乗ってきたら結婚しようって言ったじゃない。 あたし全然急いでなんかいないから、いつまでも待つよ。
それとも、もうタカシあたしの事嫌いになったの?」
マリコは頬を上気させ、大きな黒い瞳に涙を浮かべた。
「別にマリコの事、嫌いになった訳じゃないんだ。っていうか、はっきり言うと好きでもない。ふつう」
「ふつう?ひどい・・・」
「うん。本当にオレ今正直な気持ちで言ってるんだ。最後だからさ」
「言ってることがわからない」
「まあ、いいさ。マリコと今まで一緒にいたのは、多分金目当て・・・だな。
オレは貧乏役者で飯だってまともに食えやしない。君みたいなお嬢様といれば喰いっぱぐれる事はまずないだろ。借りた金もお前、絶対返せって言わないし。
忠告も含めて言うよ。都合のいい女なんだよ、お前。 だから、別にマリコがマリコじゃなくて、今此処に別の女がいたとしても全然いい訳よ」
「そ、そんな・・・」
「それに、本当は俺には妻も子供もいるんだ」
「うそっ!・・・」
「借金が積み重なって、ヤミ金にも手をだした。莫大な利息で首が回らないんだ。ヤクの密売で指名手配もされている。おまけに年金暮らしの隣りの爺さんの仏壇から金も盗んだ。
最低だよ。オレみたいな人間はさ。嫌気が差したよ。生きていく価値なんてないのさ。俺に残された最後の良心は・・・」
「そ、そんな。ひどい・・・ひどいよ、タカシ」
タカシの口から信じられない言葉が次から次へと飛び出した。マリコは悔しさのあまり、タカシのところへ駆け寄り、殴りつけてやりたかった。
タカシは手に持っていたタバコを人差し指で弾くと、座っていた鉄柵を越え、外壁の縁に真っ直ぐに立ち上がった。
今度は立ったままポケットからタバコをもう一本取り出すと、火を点け深く一口吸うと、大きく息を吐きだした。
「ち、ちょっとやめてよ。危ないっ!」
タカシの吐き出した白い煙が、果てしない星空の中を天の川のように、筋を描きゆっくりと溶け込んで行った。
マリコは夜空に拡がる大パノラマの、映像シーンの様な美しさに暫し見惚れた。
「ばいばい・・・」
タカシはマリコの方を少しだけ振り返り、つぶやく様にひとこと言った。
「あっ・・・」
タカシの身体が一瞬宙に浮いたように見えた。
次の瞬間、彼の姿はもうそこに無かった。
あっという間に消えてしまった。
マリコは自分の目を疑った。急いで壁際に駆け寄り、鉄柵によじ登った。
鉄柵の縁に両手を乗せ、恐る恐る塀の向こう側を覗いた。
目眩がした。そこは14階建てのリゾートホテルの屋上。
遥か下方で、小さくひしゃげたタカシの姿がマリコの眼に映った。
あまりにも突然の出来事で泣き叫ぶこともできなかった。全身の力が抜け、動くこともできなくなった。
視界の景色は停止したまま微動だにしなかった。潰されて内臓がはみ出した蛙のようになったタカシの姿を、マリコはただじっと眺める以外に手立てはなかった。
時間の感覚など最早無かった
何分間・・・
何時間・・・
そうしていただろう。
東の空が白々と明けてきた。
カラスが1羽、西側に連なる森の方向から飛来し、タカシ目掛けて舞い降りた。
停止画面が動き始め、マリコは我に返った。
――早く部屋に戻って、誰かに知らせなくてはいけない。
ようやく、まともな思考が戻ってきた。しかし、長時間鉄柵を握り続けていたので両手の感覚はすでになくなりかけていた。マリコは十本の指を閉じたり開いたりしながら感覚が戻るのを待った。
停止していた血流が全身を流れ始めるのを感じた。
マリコは両手でしっかりと鉄柵を握り直し、そして右足をゆっくり一段下へ移動した。
しかし次の瞬間、右足はマリコの意思とは反対に上段に掛かった。
両腕に更に力がこもり、四肢は降りようとする自分の意志とは正反対に機敏な動作で上昇を始めた。そして鉄柵をあっという間に越え、気づけばマリコは外壁の縁に真っ直ぐに立っていた。
眼下にはタカシの姿。
つい今しがたタカシと仰向けに寝そべり手を握り合い、流れ星に願ったマリコ自身の言葉が頭の中に瞬時に蘇った。
――タカシといつまでも離れることなく、永遠に一緒にいられますようにって・・・フフフ
背筋に冷たいものが駆け抜けた。
「うそでしょ?・・・いやだーっ!!」
マリコは大きな声で叫んだ。
しかし、両腕はマリコの意思を無視し、カラスが翼を羽ばたくかのごとく左右に大きく開らかれ、その右足は宙に向かって一歩踏みだした。
続いて左足も・・・ |