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後日談2 由利子

 パチパチと点滅する蛍光灯。

 その周りを光に誘われるように虫が戯れている。

 そこは、とある自然公園の男子トイレであった。


 その広さは然程でもなく、小便器が二つと個室が二つ、さらに洗面台が一つしかない程度のもの。

 そして、そんなトイレには良美を含む由利子のクラスメイトが三人おり、さらに他の生徒達は外で待機していた。


「おっ、出てきたぞ」


 中空に浮かぶ黒い水溜まり。

 その中より現れたのは由利子である。


 すると、「由利子っ!」という声と共に小さな影が由利子の胸に飛び込んだ。


「来るのが遅いから、心配したんだからねっ!」


「ごめんね、良美」


 由利子は胸に頭を埋める良美を抱き締めた。


 良美だけではない。トイレの中の生徒も外から顔を覗かせる生徒も、皆が安堵の表情を浮かべていた。

 なにせあちらの世界に由利子を残して、一度黒い水溜まりは消えているのだ。

 その時は、皆が愕然としたものである。

 それ故に、また黒い水溜まりが現れた時には、良美がいの一番に飛び込もうとして皆で止めたなんていう一悶着もあった。


「それで、ここは?」


「どこかの自然公園みたい」


 由利子の質問に良美が手を握りながら答える。

 あの長く閉ざされた生活の中、二人はよく手を握るようになっていた。

 寂しさを埋めるように、決して離れないように。


 それから生徒達は皆で公園の外に出て、近くの民家に警察への連絡を頼んだ。

 二十九名からなる見知らぬ者が夜に訪ねてきたなれば、家の住人は頼まれずとも警察を呼ぶというものである。


 やがて、近くの交番より警察官がやって来て、生徒達は事情を話す。

 すると、警察官は不意打ちを食らったように口をポカンと開け、そして、我に返ると焦るように警察署へと連絡を入れた。


「やっと家に帰れる……」


 警察署より派遣されたバスを見て、呟いたある生徒の万感の思い。

 しかし、それは生徒全員の思いであった。


 生徒達はバスに乗り込み警察署へと向かう。





 警察署の一室に生徒達はいた。

 用意された椅子に座り、ただ時間を待った。

 やがて、バタンと扉が開くと皆がそちらに顔を向ける。


 すると現れた者の顔を見て、一人の男子生徒が立ち上がった。


「母さんっ! 父さんも!」


 恥ずかしいなんていう感情はない。

 男子生徒は人目を憚ることなく両親の胸に飛び込んだ。


 互いに、もう会えないのではと思っていた家族。

 その時、一つの家族が喜びの涙を流した。


 さらにもう一組、もう一組と生徒達の両親が現れ、そして四番目の訪問――。


「由利子っ!」


 扉より姿を見せた由利子の母が駆け寄り、由利子を抱き締めた。


「お母さん……っ!」


 由利子も母の背中に腕を回す。


 由利子の性格は少々とんがっているといっていい。

 いわゆる家族の馴れ合いに関しては距離を置く今時の若者というやつだ。


 少し前なら、こんなこと恥ずかしいだなんだとといって絶対にやらなかっただろう。

 しかし、今は母の温もりに浸りたかった。

 他の生徒達と同様に。


「よかった……っ! タケオみたいに帰ってこなかったらどうしようと……っ!」


 母のその言葉に由利子の胸がざわついた。

 温かい心の中に、なにか熱いものが湧いた。


(アニキはもうずっと前に帰ってきているよ。

 それなのに、お母さんは……)


 由利子の時計は動き出したけれど、母の時計は八年前から壊れたままであったのだ。


 母を抱き締める由利子の腕に自然と力が入る。

 それを自身への愛情と勘違いした母は、いっそう強く由利子を抱き締めた。




 その後も続々と生徒達の両親が現れ、皆再会の感動を味わっていた。

 良美の両親はまだ見えない。

 由利子は母と抱き合う時こそ手を離したけれど、今はまた良美と手を繋いでいた。


 そしてまた扉が開く。

 由利子の目が新たな来訪者を捉えた。

 体がビクリと震える。


 それは千鶴の母。

 隣にいるのが父親だろう。


 千鶴の母はキョロキョロと、必死に娘を探している。

 しかし、由利子は声をかけることができなかった。


 やがて、千鶴の母が由利子と良美を認めて近寄ってくる。

 ギュッと由利子の手を握る良美の力が強くなった。


「由利子ちゃん、良美ちゃん……千鶴は……?」


「千鶴は……」


 由利子はそれ以上言葉が出なかった。

 動揺に目が揺れて、喉がカラカラになり、手に汗が滲んだ。

 なんて言えばいいのか。

 千鶴の死という悲惨な結末。

 それを告げるのはとても残酷で勇気のいる行為であった。

 そして――。


「千鶴は……千鶴は私を庇って、ころっ、殺されました……ッ!」


 由利子の手を握る力がこれでもかというほど強くなり、全身を震わすように良美は叫んだ。

 その慟哭のような声に、辺りは一瞬にして静まり返る。


「え……?」


 訳がわからないといった風な顔をする千鶴の母。

 しかし、段々と良美の言葉を理解するに従い、不安、怯えの感情が混じり、信じたくないという表情になる。


「う、嘘……嘘よね……?」


「あたしも、あたしも千鶴に庇われましたっ!」


 由利子も勇気を出して言った。

 千鶴の死を良美だけに背負わせてはならなかったから。


「そいつらが悪いんじゃない、俺達クラスの皆が騒いだせいなんだ……。それで見せしめに……」


 家族と語り合うのをやめた生徒達が、一様に顔を沈ませる。

 皆があの日を悔いていたのだ。


「ごめんなさいっ、ごめんなさいっ、おばさん!」


 泣き叫ぶ良美。

 由利子もまた泣いていた。

 由利子の母が、泣く由利子を抱き留めようとするが、それすらもはね除けて、由利子は涙を流した。


「千鶴は、最期まで誰かのために行動できたのね……」


 ごめんなさいと泣き謝る二人に、千鶴の母は気丈にも微笑んで見せた。


「謝ることなんてないわ、千鶴は立派なことを……だから褒め、褒めて……ッ」


 彼女はもう限界であった。

 千鶴は自慢の愛娘。

 いなくなったと聞いたとき絶望した。三ヶ月が過ぎて、もう見つからないのではという、諦めにも似た現実的思考が時折頭の中をよぎった。

 そして、生徒達が見つかったという報告。

 どれだけ嬉しかっただろうか。

 だが、それは全て幻にすぎなかった。いや、もっと残酷な現実を突きつけられたのだ。

 どこかで元気にやっている。いつかは会えるんじゃないか。

 そんな夢すらもう見られない。


 千鶴の母は崩れ落ち、泣き出した。大声で、赤子のように。

 生徒達全員が先程までの喜びが嘘のように、悲しみの涙を流した。


 やがて良美の両親も現れる。しかし、良美は家族との再会を喜ぶことをできなかった。


 他にもいる。

 当たり散らす坂手の母とそれを押し留める坂手の父。

 ただ静かに涙を流している松村の母。


 喜びは悲しみへと変わり、胸をえぐるような痛みが生徒達の心を傷つけるのであった。


 その後、聞き取り調査は明日以降行われると説明され、さらに事件のことについては何があっても話さないようにと署名をさせられて、生徒達とその家族は家に帰ることになる。




 一夜明け、自分のベッドを懐かしむように昼まで由利子は眠っていた。

 目が覚めると、母がいた。

 ずっといたのかと、百合子が尋ねると、心配だったからと母は答えた。


『昨夜未明、行方不明の生徒三十二名のうち二十九名がY県Y市の公園で発見されました。

 県警によりますと、未だ行方不明者の生徒達の一人から連絡を受け、現場に駆けつけた警察官に保護された模様です。

 一方で未だ生徒の三名は行方不明であり、警察は関係者から事情を聞き、残り三名の捜索を続けていく方針です』


 由利子はリビングに降りてテレビをつける。

 すると自分達のことがニュースで取り上げられていた。

 由利子はなんとなくそれを眺めていたが、やがて飽きたようにチャンネルを変える。


『○○さん、三ヶ月前の行方不明事件の生徒が見つかったようですが――』


 さらにチャンネルを変える。


『現場からの中継です。現在、Y県Y市の公園では警察が――』


 そこで由利子はテレビを消した。

 どこもかしこも、由利子達が発見されたというのニュースばかりである。

 しかし、それは当然のこと。

 三ヶ月も行方不明になってた者達が突然帰ってきたのだ。

 騒がない方がおかしいだろう。


 遅い朝食をとりながら、母から今後の予定を聞かされる。

 寝ていた間に警察から連絡があり、準備ができ次第健康診断を受けに行き、その後は事情聴取ということであった。

 由利子は、モグモグと口を動かしながら、あまり興味なさそうにそれを聞いていた。


 食事を食べ終わると、ふと、アニキはどうしているだろうかと思いが由利子の頭によぎる。

 連絡をしたいが携帯はあちらの世界だ。


「お母さん、アニキの携帯の番号教えてよ」


「え?」


 キョトンとしたような母の表情。

 アニキという言葉が理解できないような、まるで兄とは誰のことを言っているのだろう、とでもいうようなそんな顔。


「あ、ああ、タケオね。そうね、タケオにも由利子が帰ってきたことを報告しないとね」


 ややあって、母は思い出したようにその名を口にする。

 すると由利子の体の中にどうしようもない悲しさが滲み出た。


 後でメールをするという母に、どうしてもと言って教えてもらい電話をする。

 母の携帯電話からだと少し抵抗があったので、家の固定電話からだ。

 けれど、電話は繋がらない。

 予想はしていた。

 まだ向こうでなにかをやっているのだろう。


 由利子は兄の姿を思い出す。

 まさか助けに来てくれるとは思わなかった。

 だってそこは異世界。

 でも兄はヒーローのように颯爽と現れた。

 嘘みたいな本当の話。


 あちらの世界では伝えたいことは、ほとんど伝えられなかった。

 話したいことはたくさんある。


 由利子は今日にでも新しい携帯電話を買ってもらおうと思った。



◇◆



「それじゃあ行ってくるよ、お母さん」


「気をつけてね? あと、良美ちゃんにもよろしくね」


 昼食後、お母さんの見送りの下、良美の家に行こうとして外へ出た。


 夏の暑い日差しが降り注ぐ。


 もう日本に帰ってきてから一週間。

 警察による事情聴取も昨日で終わり、あたしは今日から自由の身だ。


 目まぐるしい日々であったが、明日からは漸く落ち着いた生活に戻れそうである。


 でも帰ってきて、平穏が訪れてこそ余計に悲しくなる。


 ――千鶴の死。


 それはとても重いもの。


 両親はあたしを気遣ってくれている。

 あたしは心配させないように仮初めの笑顔を作る。


 良美は言っていた。

 笑ってはだめだけど、笑うしかないんだって。

 あたしといる時だけが、本当の自分をさらけ出せる時なんだって。


『そうだね、あたしもだよ』


 そう言うと、良美は泣きながら、漸く本当の笑顔を作るのだ。


 ――でも違う。


 あたしは良美にも本当の顔は見せられない。


『坂手君も松村もきっと帰ってくるよね』


 あたしはそれに偽物の笑顔を返す。

 でもそれは違うんだ。


 あたししか知らない坂手と松村の死。

 のし掛かるように、潰れてしまいそうなほどに、とても重いもの。


 アニキはなんであたしに二人の死を伝えたのか。

 知らない方がよかったと、つい恨めしく思ってしまう。




『行方不明者が連れ去られていたのは地球ではなく異世界!?

 未だ取り残されている三人を救うのは日本からのエージェント!?』


 途中、暑さに負けて立ち寄ったコンビニで、ある雑誌を手に取った。

 昨日、警察から事件について外では話さないようにと、あらためて強く念を押されたのはこういうことだったのだろう。


 どんな経緯があったかは知らない。

 生徒の誰かが話したのかもしれないし、その家族が話したのかもしれない。もしくは警察官が話したのかもしれない。

 しかし、そんなことはどうだっていいことだ。


 あたしは雑誌とジュースを購入し、再び良美の家に向かった。


「あ、由利子」


 家の前で待っていたらしい良美。

 昔のような無邪気な笑顔はない。

 儚げに、もの悲しげに、彼女は笑った。


「じゃあ行こっか」


 そう言ってあたしは良美の手を握る。


 これからあたし達は千鶴の家へと向かう。

 何があったのか、その全てを話しに行くのだ。


 千鶴のお母さんは詳しいことを、なにも聞かされていない。

 ただ別の世界に連れていかれたことだけを教えられ、それを喋らないことを約束させられただけだという。


 何か理由があってのことだろう。

 でも、あたし達は千鶴のお母さんに、あちらの世界について話すことを選択した。


 あちらの世界で何があったのか、一言一句全てを伝えなくちゃいけない。

 それが千鶴の親友としてのけじめだと思ったから。


「ねぇ、坂手君と松村はそろそろ帰ってくるかな」


「……そうだね、多分もうそろそろだよ」


 暑い、暑い太陽があたしを照りつける。

 偽りの笑顔を見せる度に、あたしの心は干からびていく。


 アニキ……早く帰ってきてよ……。


 あたしにはそう願うことしかできなかった。



◆◇



 東京のとある研究施設。

 そこの一室では昨日より運ばれてきたある物について、調査がなされていた。


「間違いないこれは人間だ」


 コンピューターの画面に映るデータを前にして一人唸ったのは、この部屋のただ一人の住人である白衣を着た初老の研究者。


 男は部屋の中央の机の上に目を移す。

 そこには保存液が注がれたガラス張りの円柱のケースがあり、そしてその中にあったのは、銀色の針金を束ねたような皮膚をした生物の頭。


 それは地球のどこにも存在しない明らかな異形であったが、されどその血液はそれが人間であることを示唆していた。


 男は席を立ち、ガラスのケースの横に置かれていた金属の欠片のようなものを手に取った。


「皮膚の硬度の高さは並みの金属より遥かに勝り、その上、剛性は低く、しかし降伏点は非常に高いため永久変形は容易に起こらない」


 それは異形の皮膚を、苦労して削りとったもの。

 化学の歴史を覆しかねない未知の物質であった。


 男は知らぬことであったが、その物質は何億年という月日を費やして行われる進化を一夜にして行い、さらに魔力という異質なものが混じりあって生まれたものである。


「そしてその強固な皮膚を容易く断ち切った、この首の切断面……まるで乱れがない」


 男は称賛するように独り言を続ける。


「もしその場に体があれば、切断されていることすら気づかずに動き続けるのではないだろうか、とすら思えるほどだ。

 何をどうやったらこんな切断面になるんだろうな。

 まったく謎ばかりだよ」


 やれやれと大仰に首を振って、手に持った金属を置いた。


「……だが、その謎のとっかかりはある」


 最近見つかった行方不明であった少年少女達が、異世界より帰ってきたということを男は聞かされていた。

 そして場所こそ違うが、同県同市の距離の近い公園で発見されたこの異形の頭。

 関係があると考えるのが普通であろう。


 未だに帰ってきていない三人。

 あり得ないとは思う。

 だが、その異形の瞳の色が日本人であることを連想させた。


「果たして君は一体どこの誰なのかな?」


 男はそっとガラスのケースを撫でて言った。

 どこか満足したような笑みを浮かべる異形の頭が、それに答えることはない。


 かくして、不明者の両親に対し、ことの詳細は秘密のままDNA鑑定が行われる。



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