エピローグ
その夜、アルカト北のウジワール軍陣営地に異変が起きた。
奴隷の首輪をつけていた者が全員逃げ出したのである。
夜間ということに加え、絶対服従すると聞かされ油断していたこともあり、ウジワール軍に奴隷兵の逃亡を止める手だてはなかった。
その後、ウジワール軍の将幕ではすぐに軍議が開かれる。
そして、出た結論は――政変。
逃げた奴隷兵は全員、コエンザ王都に向かっていたのだ。
そのため、教皇の身に何かあったのではと考えたのである。
「将軍、どうなさるのですか」
「うむ……」
将軍と呼ばれたウジワールの指揮官は、難しい顔をしながら顎をさすった。
軍の重臣はウジワールの者で固めてあったが、兵士の大部分はコエンザとベルスニアの者で形成されている。
もし教皇に何かあったと知られては、軍が引っくり返るほどの造反に繋がりかねない。
「既に使いは出した。王都からの知らせがあるまでは、これまで通りだ。
ただし規律の厳守を徹底させよ。妙な噂を流し士気を乱す者がいれば、ただちに斬れ」
ウジワールの指揮官は、現状の維持を選択した。
こうして翌日より、ウジワール軍によるアルカトへの攻撃が始まったのである。
「梯子を立てよ! 門を壊せ! 臆する者があれば、敵が殺す前に俺が殺してやるッ!」
――オオオオオオォォォォォッッ!!
先日のことなどまるでなかったかのように、嵐のごとく攻め立てるウジワール軍。
されど、対するのはアルカトにそびえる巨大な壁と高い士気を保っているコエンザ軍。
ウジワール軍は四方からアルカトに攻撃を仕掛けるが、自軍の被害が増えるばかりで芳しい成果は得られなかった。
おまけに、南からはコエンザの援軍も現れる。
「我らカシス騎兵団、コエンザ王の窮地を助けに参った! 南門よりアルカトに入る! 立ち塞がる者は全て殲滅せよ!」
カシス騎兵団、その数三千。
勇猛果敢なカシスの騎馬兵らは、一塊となって南よりウジワール軍の囲みを破り、アルカトへと進入したのである。
これにアルカト城内は沸き上がり、その士気はさらに高まった。
「ぐうぅ、このままでは千日手ぞ!」
容易にはいかぬ城攻めに、ウジワール軍の指揮官は歯噛みする。
さらに悪いことに、アルカト城内よりカシス・コエンザの混成騎馬隊四千が囲いを破って脱出。
以後、同騎馬隊はカシスを補給地として遊軍となり、昼夜問わず隙を見てはウジワール軍を強襲した。
「……こうなれば、カシスを攻めるか」
アルカトを攻め続けても、早々には勝負はつかない。
ならばとばかりに、ウジワール軍はその矛先をカシスに向けようとする。
カシスに残っている兵は一万にも満たない上に、カシスを先に落とせば補給の心配が無くなり、いくらでもアルカトを囲んでいられるからだ。
しかし、懸念もある。
「南国ポリスカフェル……」
カシスはコエンザ王国の最南端であり、一歩南に出ればそこは新たなる敵地である。
カシスを攻めることは、南国ポリスカフェルを大いに刺激することだろう。
それはコエンザの戦火が鎮まらぬうちに、また新たな火種を呼び込むことになりかねないことであった。
「さて、どうするか……」
思案するウジワールの指揮官。
だが、既に南国ポリスカフェルは動き出していた。
「急報! ポリスカフェルより三万の兵が北上中!」
「なにっ!?」
無論のこと、コエンザへの援軍である。
南国ポリスカフェルは、カシスが動いたとみるや勝算が十分にあると判断し、コエンザ王の要請に応じる形で兵をアルカトに進めたのだ。
まさに、ウジワール軍の敗北が決定した瞬間である。
この日、ウジワール軍はコエンザ王都へ撤退を始めた。
教皇の安否すらわからぬ不安定な状態で、二国を相手にするわけにはいかなかったのだ。
そして一週間ほどをかけて、王都を眼下に捉えたウジワール軍。
しかしそこで見たものは、王都の前に布陣するコエンザ王国旗を掲げた二万の兵であった。
――やられたっ!
ウジワールの指揮官は、苦虫を一度に何十匹も噛み潰したかの如く顔を歪ませた。
教皇は既に敗れ、コエンザ王都は敵の手に落ちていたのである。
「こうなった以上、もはや王都を無視しベルスニアまで退くしかない」
数の上では王都の軍よりも、ウジワール軍の方が上。
だが、ウジワール軍の苦境――いや、教皇の所在はおろか生死すら不明である今、ウジワール教の窮地といっていい状況である。
もし王都の軍と一戦でも交え、その窮地を兵に知られては、軍はたちまちに崩壊するだろう。
ウジワール軍は、その進路を西のベルスニアへと向ける他なかったのである。
ウジワール軍の撤退。
これに歓喜したアルカトのコエンザ軍であったが、その数日後に届いた知らせには、皆が仰天せざるをえなかった。
『ウジワール教皇捕縛せし。
我ら王都の兵、全てコエンザ王に従うものなり』
何かの策略かと誰もが疑い、王都に使いを出すが、どうも本当のようである。
コエンザ王は小首を傾けつつも、ウジワール軍と入れ違いに現れたポリスカフェル軍と合流し、軍を率いて王都へと向かった。
そして、幾日の後にコエンザ軍は王都に到着。
そこで見たものは、武器を手放して頭を垂れる兵士達と、変わり果てた姿の教皇ランディエゴであった。
「こやつがランディエゴであると申すか」
「は、はい、そうでございます」
玉座に腰かける王の質問に、一度は敵に降った騎士が、怯えながら肯定する。
その騎士の横には、「ぐうぅ」と呻きながら床に転がる、両足のない醜悪なる者があった。
騎士はそれがランディエゴであるという。
そんな馬鹿なと、コエンザ王は思った。
とはいえ、コエンザ王自身、ランディエゴを実際に見たことはない。
その姿は、世に語られる美貌の青年とは似ても似つかぬもの。
だが、ランディエゴが使用していたという王の部屋からは教皇の印璽が出てきた上、醜悪な者が指にしている印章も教皇のものであった。
聞くところによれば、ある黒髪の男がランディエゴを襲っている最中、突然その姿が変わったのだという。
「その男は」
「それが、どこにも見当たりませんで……」
「すぐに探せ! 見た者に似顔絵を書かせよ!」
「は、ははぁー!」
教皇を捕らえた大殊勲者。
されど王石を持つ彼我不明の人物でもある。
探さないわけにはいかなかったのだ。
またその間にも、王は街に残る司祭を全員引っ捕らえて、不眠不休で奴隷の首輪の解除をさせていく。
やがて用意された似顔絵に、コエンザ王はある商人を思ったが、そんなわけないかとすぐに否定した。
そして結局、その男は見つかることはなかったのである。
こうしてコエンザ王国は、一先ずの落ち着きをとり戻す。
しかし、ウジワール教国は未だにベルスニアを支配しており、予断の許さない状況であった。
今後コエンザ王国は、西側の安定を図るために、またコエンザの大地を汚したその報復のために、南国ポリスカフェルと共同して、ベルスニアへと攻め込むことになるだろう。
「まだまだ休むことはできんな」
玉座に座るコエンザ王が、激動の未来を思って一人息を吐いた。
ウジワール教国との戦いはまだまだ終わらないのだ。
「タケオさん……」
一人の少女が涙を流した。
彼女の名前は高崎紗香。
そして彼女の前には、一人の男が横たわっていた。
「タケオさん……」
紗香がもう一度、男の名を呟いた。
しかし、男からの返事はない。
男の顔は、生気のない青白とした色をしており、目は閉じられていた。
だがその顔は、とても安らかに見える。
――まるでただ眠っているかのように。
だが、その時のこと。
「あの……なんで僕の部屋にいるのかな……」
男はパチリと目を覚ましたのだ。
そう、眠っているようにしか見えないのは当たり前。
事実、タケオはベッドで眠っていたのだから。
ちなみに、今いるのは日本のタケオの部屋だ。
そして起きてびっくり、隣の部屋の高崎紗香が目の前にいる。
「あの、タケオさんが心配で……」
「うっ」
紗香の不法侵入は、体調不良のタケオを心配してのこと。
そんなことを言われては、タケオに追及などできるわけがない。
すると、ガチャリと入り口の扉が開く音が聞こえた。
『ちょっと、サヤカ!』
ドタドタとやって来るのはジルである。
『アラ、ジルサン』
『あらジルさん、じゃないわよっ! あんた、またタケオの部屋に忍び込ん――』
ジルが紗香を怒鳴りつける。
しかしそれは、隣の部屋からドゴッという音によって中断された。
いわゆる壁ドンであった。
『ジルサン、モウスコシ、シズカニ』
微笑を浮かべながら、片言の異世界の言語を話す紗香。
『あんたねぇ〜』
誰のせいだと、ジルは額にピクピクと血管を浮かべた。
けれど静かにせねばという思いから、怒りを爆発させられない、このもどかしさ。
ジルはせめて顔だけはと、鬼の形相で怒ってますアピールをしたが、紗香は素知らぬ顔だ。
タケオは体調が悪いのだから、朝くらいゆっくり寝かしてやれと主張するジルと、じゃあ起こさなければ問題ないですねと考える紗香。
そもそも勝手に入ってこないでほしいと思うタケオ。
そんな考え方の相違が、ジルの怒りを生んだのである。
もっとも紗香にしても、タケオの体調を案じてのことであり、引くつもりはない。
『はぁ、もういいわ。ていうか、いい加減、涙拭きなさいよ』
『スイマセン、ツイ』
ジルがポケットからハンカチを取り出して、紗香に渡す。
紗香はそれを気兼ねなく受け取って、涙を拭いた。
その様子を見て、何だかんだでうまくやれているようだとタケオは思った。
時刻は午前八時。
ゆっくりと上半身を起こすと、まだまだ身体はだるさが残るものの、体調は大分回復したようであった。
「タケオさん、駄目です。まだ寝てなくちゃ」
「いや、調子は結構いいんだ、もう大丈夫だよ」
『ねえ、こっちの言葉で話さないでよ、わかんないじゃない』
『ごめんごめん』
ハハハと笑いながらジルに謝るタケオ。
少し前、タケオが戦争に参加して死にかけたことなど忘れるくらい平和であった。
思えばあれから何日経ったのか。
――地下牢で倒れたあの日、タケオは無意識下で助けを求めていた。
その求めは残り僅かな魔力と王石によって、コエンザ中の奴隷兵に伝わることになる。
それにより、国中の奴隷兵達があらゆる任務を放り出して王都を目指し、また王都にいた奴隷兵はタケオのいる地下牢へと向かった。
そして、奴隷兵達の手厚い看護の下、次の日にはなんとか目を覚ますことができたというわけだ。
まさか王の私室に寝かされいるとは思わず、さらに部屋を埋め尽くすばかりの亜人達がいて、とてつもなく驚いたのは秘密である。
その後は、アルカトにひっそりと帰還。
さすがに血を流しすぎたこともあり、体調は最悪であった。
コエンザ王には、もう後はいいから休めと言われる始末である。
さらに弱り目に祟り目というべきか、タケオは病気になり、その間にウジワール軍は撤退し、コエンザ軍も王都へ向かった。
こうしてやることもなくなったタケオは、病の体のまま日本へと戻ってきたのである。
『さて、そろそろ向こうでも動き出さないとね。亜人の生徒達も、学校に呼び戻さないといけないし』
体調を崩している間も、タケオはその後の情勢が心配になり、あちらの世界には何度も足を運んでいた。
コエンザ王は無事に国を取り戻し、ミリアもタケダ商会に戻っている。
ジルとラコは、タケオが心配だと言って日本に残り、紗香の部屋に泊まっていた。
二人がタケオの部屋に泊まっていないのは、紗香が断固反対したからである。
その本心はわからないが、複数人で泊まれば騒音で隣人に迷惑がかかるという紗香の言い分が採用されたのだ。
紗香の部屋ならば隣はタケオの部屋のみ。ちなみに下の階はかよ子の部屋なので問題はない。
そして今ラコがいないのは、紗香の部屋でまだグースカ寝ているのだろう。
『とりあえず、朝御飯を食べようかな』
「あ、もう作ってあるので、こちらに持ってきますね」
『ラコを起こしてくるわ』
部屋からいなくなる二人を尻目に、タケオは起き上がり、窓のカーテンを開ける。
すると、まだ朝だというのに暑い日差しがタケオに降り注いだ。
タケオは目を細めながら、夏の空を少しばかり眺めていた。
そこにあったのは青い空に浮かぶ入道雲。
それを見て、タケオは誰かを思い出しクスリと笑った。
振り返ると、机の上にあった携帯電話が目に入り、タケオはなんとなくそれを手に取った。
画面には膨大な電話着信履歴とメール着信履歴が表示されている。
タケオが電話着信履歴をクリックすると、鮫島の名前ばかりが並び、申し訳なさげに山野の名前もあった。
そして、その中に一つだけある他とは違う名前。
タケオはそれを選び、通話ボタンを押す。
耳元ではプルルルルという呼び出し音が鳴り、そして――。
『――もしもし?』
携帯電話の向こうからは、声を弾ませた妹の声が聞こえた。
――ある日、突然異世界に拐われた
――そこで酷い目にたくさんあった
――けれど、かけがえのないものにもたくさん出会った
――僕の大切な人達
――今度は絶対に失わない
――どんなことがあっても守るから
――だからゴルドバ
――僕達のこと、見守っていてね
夏の空。
窓から覗く真ん丸頭の入道雲が、タケオにそっと笑いかけた。
これで「奴隷商人になったよin異世界」は完結となります。
ここまで読んでくださった方々、本当にありがとうございましたm(__)m
感想を下さった方々も本当にありがとうございましたm(__)m
誤字脱字報告や色々指摘を下さった方々も、本当にありがとうございましたm(__)m
皆様のお陰で、なんとかかんとか挫けることなく完結させられました。
本当にありがとうございましたm(__)m
この後は一応補完といいますか、後日談的な話を投稿しようと思います
それでは、またどこかでお会いしましょう
さようなら