6章 ラストバトル 1
タケオは壁の穴から城の中へと舞い戻る。
集まっていた兵士を倒し、再び玉座の間へ。
そして、教皇ランディエゴの前に立った。
「サカテも所詮はウジワールの紛い物であったか」
現れたのは、坂手ではなくタケオ。
それは、坂手がタケオに倒されたことを意味するものである。
しかしランディエゴは、坂手が倒されたことを気にも留めていないようであった。
すると、教皇を守護する十人からなる騎士が前に出る。
強者の風格を備えたその者達。
そのいずれもが、亜人の剣を児戯とするほどに武に秀でていた。
だが、それだけではない。
「……」
その時タケオが、無言のまま片眉をピクリと動かしたのは、守護騎士達を飾る色彩豊かなものが目に入ったからである。
「驚いたか」
顔に愉悦の色を浮かべて、教皇が言った。
火、氷、土、風、木、金。
十万人に一人いるかといわれる魔力変換者の集団、それこそが教皇を守護する騎士の正体であったのだ。
「我が最強の騎士達に勝てるかな?」
ランディエゴが余裕の表情を浮かべ、意思をもった自然現象、そして剣撃がタケオへと殺到した。
何匹もの炎の蛇がタケオへと放たれる。
あらゆる物を凍てつかせる冷気を宿した槍がタケオへと走る。
土人形達がタケオの動きを阻害しようと突撃する。
風を利用し、神速を得た踏み込みによって放たれる剣がタケオを狙う。
しなやかで弾力のある枝が、タケオの四肢を捕らえようと伸びてくる。
時には剣、時には槍、その姿を変幻自在に形状を変える武器が、タケオへと振るわれる。
それは、人一人を殺害するにはあまりにも過剰な攻撃。
いかなる者も確実に死へと至らしめる不可避の殺人術。
――だが、そのどれもがタケオを捉えることはなかった。
タケオは向かってくる攻撃の全てを掻い潜り、騎士ら全員を斬り伏せたのである。
「ほう」
自身の守護騎士が倒されるのを目の当たりにしながら、依然として余裕の表情を崩さない教皇ランディエゴ。
そして、ランディエゴは傍らの剣を掴み立ち上がった。
「中々の強さであったぞ、泥団子。だが所詮、泥団子は泥団子に過ぎぬ」
その立ち居振舞いには、絶対者の威厳ともいうべきものが備わっていた。
◇◆
――教皇ランディエゴとは何者であるか。それを知るには、彼の幼少時代にまで遡らなければならない。
ランディエゴは幼少のみぎり、何をするにおいても愚劣であった。
容貌は醜く、魔力は乏しく、理解は遅い。
まさに愚劣。
教皇の一族の中でもあってはならない存在。
それがランディエゴである。
そのせいか、五歳にもなるとランディエゴは小さな屋敷に幽閉された。
神の恩恵の象徴が教皇であり、その一族の中に白痴がいることは、教皇の沽券に関わることだったからだ。
ランディエゴの住まう屋敷には、彼とその面倒を見るために雇われた老婆がいるだけであった。
ある日のこと、ランディエゴの下に兄を名乗る少年がやって来た。
十四歳で長男だという兄は絢爛に飾りつけられた姿をしており、対するランディエゴは必要最低限の服を着ているだけである。
兄との初めての対面。
しかしランディエゴは、兄本人よりも、兄の身に付けている物のきらびやかさに目を奪われた。
特に、首から下げた緑に光る宝石がランディエゴを引き付けて離さなかった。
そして、とてつもなく欲しくなったのである。
ランディエゴは正直に、それが欲しいと兄に言った。
すると兄は、優越感に浸る顔で宝石を見せつけた後、「欲しいか?」とランディエゴに尋ねた。
勿論、答えは決まっている。
ランディエゴは強く何度も頷いた。
すると兄は、「お前みたいな奴にあげるわけないだろ」と言って大きく笑ったのである。
ランディエゴはなんだかムカついたので、奪いとってやろうと兄に襲いかかった。
だが、逆に兄の拳の一発で黙らされてしまう。
そして兄は、高笑いを上げながら去っていった。
兄がいなくなった後も、ランディエゴはやはりあの宝石が欲しくて堪らなかった。
兄が宝石を貰ったという父親に頼みたくとも、ランディエゴはそもそも両親を知らない。
ただ一人己を世話してくれる老婆に頼んでみたものの、老婆はその願いを聞いてはくれなかった。
仕方がないので、ランディエゴは地面にでも落ちていないかと庭を探した。
しかし、綺麗な石すら見つからない。
でも、どこかにあるのではないかとランディエゴは思い、さして広くもない庭を毎日探す日々が始まったのである。
ランディエゴが庭で宝石を探していたある日のこと、またも兄がやって来た。
兄から無理矢理に奪ってやろうと思ったが、この前敢えなくやられたことは記憶に新しい。
ランディエゴにも、どちらが強いかを理解する頭くらいはあったのだ。
兄は手で土を掘っていたランディエゴを見て、何をしているんだと尋ねた。
ランディエゴは馬鹿正直に、宝石を探していたと答えると、兄はにやにやとしながら言った。
「宝石は土を固めてできるんだぜ」
ランディエゴはそれを信じ、手で茶色の土を掬い丸めてみた。
しかし、土は固まらない。
「水を使うんだよ、水を」
兄が腹を抱えて笑いながら言った。
ランディエゴは、何がそんなにおかしいのかと思ったが、考えても詮なきことである。
兄の指示に従い、ランディエゴが壺の水を使って土を丸める。
土は柔らかく粘着性を帯びて、コネコネと手の中で転がすと、段々と形ができていく。
そして完成したのは汚ならしい土団子。
おかしい、キラキラ輝く宝石にならないではないか。
そう思い、ランディエゴは兄を見た。
「ああー、残念!
土で造った石ってのは、造った奴のことを表しちゃうんだよ。
つまり、お前はその泥団子のように汚い出来損ないってことだ」
それだけ言うと、兄はゲラゲラと笑いながら去っていった。
その後もランディエゴは、泥だらけになりながら一生懸命に土をこねたが、出来上がるのは泥団子ばかり。
こうしてランディエゴは、己が出来損ないであることを身に染みて理解したのであった。
それからまた幾年が過ぎ、ランディエゴが八歳の頃のこと。
ある日、四歳の弟が病死したと老婆は言った。
「とても頭がよくて、誰からもよく誉められていた弟様だったんですよ」
存在すら知らなかった弟であったが、老婆がそう言うのならそうなのだろうとランディエゴは思った。
しかし、それから少しすると、ある一つの疑問がランディエゴの脳裏に湧いた。
「出来損ないの僕が生きてるのに、良くできた弟はなぜ死んだのだろう」
ランディエゴは汚い泥団子を丸めながらポツリと呟いた。
そして、その疑問はランディエゴの頭の中を大いに蝕んだ。
弟が死んで一月程が経っても、ランディエゴは泥団子を造るのも忘れて、考え続けたのである。
やがて、一つの答えが出た。
「――僕が弟よりも優れているからに決まっているじゃないか」
その日から、ランディエゴは学問を好むようになった。
まるで聡明であった弟が乗り移ったように。
弟よりも優れていると“思い込んだ”ランディエゴは、弟にできることは自分にもできるという結論に至ったのである。
実が伴えば、泥団子も宝石になる。
そんな思いがランディエゴにはあった。
それから十二年が経ち、ランディエゴは二十歳となった。
これまでに美男子だった兄、魔法に長けた弟、運動が得意であった兄、その他の兄弟も誰しもが死んだ。
病死であったり、山狩りに出掛けて転落死だったりと、死因は様々である。
するとランディエゴは、兄弟が死ぬ度にその者が得意であったことを励んだ。
やがてランディエゴの心身が磨かれていくうちに、その顔までも変化が生じていく。
凸凹と歪んでいた輪郭は彫像のように整い、肌は透き通るような白さと滑らかさをもち、髪は驚くほどに艶やかに。
まるで何かに引きずられるように、醜から美へと変貌を果たしたのだ。
そしてさらに五年が過ぎ、二十五となった時、ただただ美しい者が出来上がっていた。
強い魔力、鍛えられた肉体、秀でた頭脳、そして誰よりも優れているという心。
その肉体と心は、容姿すらも美しくさせ、誰もが見惚れるような青年がそこにいたのである。
「出頭命令が来た。もうここには戻れないだろう」
ベッドに横たわる老婆に、ランディエゴは告げた。
老婆は「そうですか」と優しく笑いかけるだけだ。
寝たきりであった老婆の面倒を見ていたのは、ランディエゴである。
ランディエゴがいなくなれば、老婆はもう生きていくことはできないだろう。
「私のことは気にせずに」
老婆のその言葉を最後に、ランディエゴは屋敷を後にした。
行く先はウジワール教皇のいる大宮殿である。
ランディエゴがいなくなった部屋で、老婆は涙していた。
「本当に立派になられた……」
温かな涙は、冷めきった老体を熱くさせた。
老婆は力を振り絞りベッドからずり落ちる。
幾つかの骨を強かに打ち付け、激痛が走った。
しかしそんなもの関係ないとばかりに、老婆は力の限り這いずっていく。
やがて机の前までくると体を止め、今度は腕を伸ばして引き出しを開けた。
その中を漁って取り出したのは、銀色に光るナイフである。
「婆は嬉しゅうございます……。
リンディや、貴女の息子は……私の孫は立派になりましたよ……」
ランディエゴの母であり老婆の娘であったリンディは、ランディエゴが産まれたと同時に死んだ。
愛する娘の代わりに産まれた醜い孫。
憎く思っていた。
だが、違った。娘の仇でありながら、それでも何故かいとおしかった。
そしてランディエゴが立派になるにつれ、娘の死に意味があったことを知った。
老婆はナイフを己の胸に突きたてる。
すると、その胸からは老体とは思えぬ勢いで血飛沫が上がり、老婆は息絶えた。
目を閉じた老婆が最後に見たものは、娘と孫が共に手を繋いでいる姿であった。
老婆は死んだ。では兄弟の死のように、老婆の優しい心はランディエゴに宿るのか。
生きる者が誰もいなくなった部屋。
そこにある棚には、昔にランディエゴが造った泥団子が飾られている。
その泥団子は、まるで黒曜石のように妖しく輝いていた。
玉座の間にて膝をつき、教皇との謁見を待つランディエゴ。
その隣には、もう一人招かれた男がいた。
「ほう、よくぞそんな成長を果たしたものだな」
男はランディエゴに対し、見下すような嘲笑を浮かべている。
ランディエゴはその男に見覚えがあった。
それは、かつてランディエゴに泥団子の嘘を教えた、長兄であったのだ。
「どうしたなにか喋らんのか」
未だ喋らぬランディエゴを前に、白痴のままであったかと、長兄は内心でいやらしい笑みを浮かべる。
やがて教皇が現れると、二人はただ頭を垂れた。
教皇は玉座に座り、静かに口を開く。
「死んだ息子には十二人の男子がおった。
しかし、その者達も数々の不幸に見舞われ今や僅か二人のみ」
「皆優秀な者ばかりでした。ゆくゆくは、ウジワール教の柱石となる者ばかりでしたでしょう。
ウジワール教徒として、そして長兄として、哀惜の念が堪えない思いです」
「……」
長兄の男は哀悼の意を示したが、ランディエゴは黙したままである。
「今日において、お主らを呼んだのは他でもない。
我が跡を継ぐ者を決めるためである」
「なんと!」
「……」
長兄は大仰に驚いたが、やはりランディエゴの反応はない。
「それで、どのようにして……?」
「ウジワール教の成り立ちは、勝利から始まる。
それゆえ、貴様の非道は全く正しい。
過程はどうあれ、貴様は他の兄弟に勝利したのだ」
長兄は、自分の悪行がバレていたことを知って、やや驚いた顔をする。
しかし、それを認めるような発言を教皇がしたことにより、すぐに誇らし気で満足感溢れる顔になった。
「兄弟の争いも今日で終わりだ。
後継者の争いが血塗られたものであったなら、その終わりも血によって完結させよう。
互いの武を示せ。生き残った方を世継ぎとする」
騎士が剣を二人に差し出す。
この場で死合いせよということであった。
長兄とランディエゴは立ち上がり剣を取った。
そして、距離をとって向かい合う。
互いに防具の類いは着けていない。
敗者は確実な死。
しかし、どちらも怯む様子はなかった。
「ふふふ、まさかお前と座を争うことになるとはな。
ええ? 泥団子よ」
「……」
「白痴ゆえに言葉も忘れてしまったか。それとも、震えて声も出ないのか」
尊大で不遜。
己よりも優れた者を許さず、兄弟ですら闇に葬った。
己を絶対の者とし、ただ弱者を嘲る存在。
長兄はこの場においても、ランディエゴに対し傲慢と慢心をもって接したのである。
「心配するな、お前が死んだら、泥団子くらいは供えてやろ、うッ!」
瞬間、長兄がランディエゴの間合いへと踏み込んだ。
行うは自身最速の突き、狙うはランディエゴの心臓である。
「え、あ?」
しかし、その口から漏れたのは呆けた声。
長兄の放った突きはあっさりとランディエゴに躱されて、剣を持ったその腕は空中に飛んでいたのであった。
「あ、ああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっ!!!!」
耳をつんざくような絶叫が玉座の間に響いた。
それは、長兄の剣と腕が地に落ちる音すら掻き消すほどの叫びであった。
長兄は地面に倒れ込み、肘より先が無くなった右腕を左手で押さえている。
血を止めるためか、無くなった腕を思ってかはわからない。
するとランディエゴがその首に剣を添えた。
痛みに喘いでいた長兄は、漸く現状を理解し焦ったように言う。
「ま、待て! 俺の敗けだ! やめてくれ、殺さないでくれ!」
懇願。
必死の命乞いであった。
しかし、一向に剣を退ける様子はない。
「教皇様! いやお祖父様!
勝負はつきました、私の敗けにございます!
ですからどうか、ランディエゴに剣を退くよう言ってください!」
「ならぬ」
教皇の鬼のような形相、血も涙もない宣告。
そこにはなんの慈悲もなく、ただ奈落へと落とす非情さが含まれていた。
「十人……貴様は己が弟達を亡きものにしてきたのだ。
そのような者にかける情けなどない」
「あ、ああ……。
ら、ランディエゴ! 頼む、情けを憐れみを!
今までの事はすまなかった!
そ、そうだ! 宝石もなんでも欲しいものはなんでもやる!
だから兄を助けて――」
スッと剣が首筋から離れた。
見ればランディエゴは剣を下ろしている。
「おお! ランディエゴ! 弟よ! ありが――」
そして、大きく振りかぶったランディエゴの剣が長兄の首を見事に断ち斬った。
「――とうッ!?」
空へ舞い飛ぶ長兄の頭。
その目がランディエゴをとらえる。
「礼はいらんよ、泥団子」
長兄が最期に見たものは、ランディエゴが倒れ伏す胴を前にして、見下すように笑っている姿であった。
前回の感想返しは夜行いますm(__)m