6章 条件
教皇暗殺が失敗に終わったタケオは、それに屈することなく再び王都にて暗殺の機を待っていた。
ひっそりと城の様子、町の様子を窺いながら、教皇の情報を探るのだ。
またこの時、情報に関してベントを頼ろうかとも思ったが、それはやめておいた。
既に王都はウジワールの手の内である。ベントがウジワール側につく可能性は高く、もしウジワール側についたとなれば敵同士。
情報漏洩を防ぐためにベントを斬らねばならない。
しかし、タケオはベントを斬りたくはなかったのである。
そしてカシスと王都を行き来しながら数日が経ったある日の夜。
タケダ商会にてタケオは、ベントからの言伝を受け取る。
それは王の存命を知らせるものであり、またアルカトへの呼び出しでもあった。
「ベントは王の側についたのか」
タケオはどこかうれしそうに、黒の水溜まりを潜ってアルカトへと向かった。
タケオはアルカトのとある家屋に転移する。
そして役所へと行き、町長室をノックした。
すると中にいたのはベントと町長であった。
「これはタケオ会長」
「ベント会長お久しぶりです」
挨拶もそこそこに、ベントはこれまでの経緯を語った。
王軍二万が奴隷兵三千に打ち負かされた王都での大敗。
王以下数名しかいない現在の状況。
各地の諸侯や他国と連携して、ウジワールに当たらんとする今後の展望。
「――そう、ですか」
その全てを聞き終えると、タケオは目を瞑った。
視覚を遮断し、考えに没頭するためである。
(コエンザ王の考えは当然のものだ。
王都の次に力が強いのがカシス。要塞都市アルカトを有し、敵に対するにはうってつけといっていい地なのだから)
しかし、カシス領主テオドルスは一体どうするのか。
王都で敗れ、およそ軍といったものを持たずに逃げ延びた王。
テオドルスは言った。
緒戦で王軍が敗れたならばウジワールに下る、と。
王がいなければ戦う意味もない、と。
現在カシスにとっては、ウジワールに下るには足らず、王と共に戦うにも足らない状況であった。
さらにもう一つ。
ベントは敢えて口に出さなかったが、アルカトにて戦うということ、それすなわちここに住まう者も戦いに参加すべし、ということであった。
(……どのみち、ウジワールがコエンザを征服すれば、ここに住む者は生きていけなくなる)
しかし、だから戦えと?
戦っても戦わなくても命は代価となる。
ならば戦うべきである、という思いはあった。
だが、それが本当に正しいのかどうか、タケオには判断がつかなかったのだ。
関わりのある者の死。それを思うと胸が抉られるようになる。
そしてタケオは、今すぐにでもコエンザの王城に突撃したい衝動に駆られた。
あらゆる兵を除いて、教皇を殺害せしめるのだ。
だがそこでタケオは、額を強く叩き、己の浅はかな感情を打ち消した。
冷静になれと。
それは最良ではないと。
そしてタケオはゆっくりと目を見開く。
「……町長、ここに住む者は事情を?」
子犬の町長は首を横に振った。
この街の住人で事を知っているのは、ベントから話を聞いた町長だけであり、他の住人は戦争が起きていることすら知らない。
「ベント会長、皆に話す前に王陛下に謁見したいのですが」
「今ですか? それとも明日ですか?」
現在、コエンザ王は別室で家族と共に休んでいる。
「今すぐです。
それから町長は、住人に緊急呼集を」
「わかりました」
「わ、わかりました」
ベントと町長の両者がそれぞれの役目を果たすために退室する。
タケオはその間も、休むことなく思考し続けていた。
暫くして王と兵士が入室すると、タケオは片膝をついて迎えた。
「よい、楽にせよ」
「はっ」
町長の席に腰を下ろした王。その許しを得て、タケオは立ち上がる。
「それで、お主がここを取り仕切る商人であると聞いたが……」
「はっ、そのとおりでございます。
タケダ商会、タケオ・タケダ。
カシス領主テオドルス侯の許しを得て、ここに亜人達の街を作りました」
「ふむ。その名、覚えておこう」
「ありがたき幸せにございます」
タケオは胸に手を当ててお辞儀をした。
心に受け止めるという礼である。
「それで話とはなんだ」
「この地の住人を兵士として使うつもりですか」
核心。
何ら取り繕うことなく、王の瞳を真っ直ぐに見て、タケオは問うた。
兵士達が剣の柄に手をかける。
ここは目の前の商人が治める地。王の答え次第で、タケオが何か事を起こすのではないかと案じたためである。
「ここが亜人達の安住の地であることはベントから聞いておるし、余も実際にこの目で見た。
この地が戦火に巻き込まれることは、確かに心苦しいことではある……」
すると王はやにわに立ち上がり、拳を握りしめた。
「しかし、国難である!
国そのものが無くなろうとしておるのだ!
それだけではない! ウジワールのならず者が国を支配すれば、亜人は皆奴隷となるのだ!
そなたも知っておろう!
心を意のままに操る奴隷の首輪のことを!
ウジワールの目的は大陸制覇! 逃げ場はない!
亜人である以上、どのみち戦う以外に道はないのだ!」
コエンザ王の咆哮が役所を震わせた。
その荘厳な姿は、やはり王であった。
兵士達もどこか誇らしげである。
「……おっしゃるとおりでございます。
ですから一つ条件をいただきたいのです。
それを飲んでいただければ、私が亜人を戦わせましょう」
「なに、条件とな……?」
タケオの“条件”という言葉に、王がどかりと腰を下ろしながら訝しげな顔をした。
すると、兵士の一人が怒りをもってタケオに意見する。
「貴様、王陛下に向かって条件とは何事か!」
それを王は手のひらで制して、「言ってみよ」とタケオに告げる。
タケオは再び片膝をつき、そして王に願った。
「亜人に人と同じ権利を!
これより先、虐げられることがないよう布告を!
王陛下がそれを認めてくだされば、この地の住人は元より周辺の部族からも助けが得られることでしょう!」
なんと、タケオは亜人の不遇を無くすことを条件としたのである。
兵士達は目をしばたたかせた。
タケオが商人らしく、賎しい願いをするのかと思っていたからだ。
しかし、そこにはタケオの利することは何もない。
ただタケオの優しさがあるだけであった。
「む……」
王はすぐに言葉を出せなかった。
タケオの出した条件。
それはこの大陸の常識、人の常識に反するものである。
そんなことを許せばコエンザの立場は――。
と、そこまで考えて、ふと現状を思いやった。
ウジワールが起こした侵略戦争と奴隷の首輪の意。
どちらも大陸の常識をぶっ飛ばすほどのものである。
さらにはコエンザという国自体が、存亡の危機であるという現実。
それは先程、自身がタケオに語ったことでもあった。
王は瞠目する。
多くのことをその瞼の裏に思い見て、そして遂には、よいではないかと思った。
(エルフは人を助け、人の友となった。
ならば亜人もまた然りであろうよ)
コエンザ王の心は決まった。
この戦い次第で、亜人を友とする事に決めたのである。
すると不思議なもので、既に亜人を友としている目の前の男に、王は言い様のない好感が湧いた。
「お主はよほど亜人を愛しておるようだな」
それは王が、ただ純粋にタケオを評したもの。
そこには称賛や皮肉といった脚色は微塵もなかった。
対して、タケオは言う。
「いいえ、人もエルフも亜人も、どの者も隔てなく愛しております」
その言葉にコエンザ王は最初ポカンとして、しかし次の瞬間にはニッコリと満足そうに笑った。
「そうか……ふっ、そうだな」
コエンザ王自身、エルフを側室にもつ異端な王である。
歳はそれなりにとっていようとも、その身には何物にも染まっていない純白の心を持っていたのだ。
◇◆
「おい、ライナ! 緊急集合だってよ!」
家の戸をドンドンと叩く音に目を覚ますと、続けて狼族の男アルダルの耳障りな声が聞こえた。
「なんだい、うるさいね! 明日も早いんだから、起こすんじゃないよ!」
あたしは頭に血をのぼらせて、家の戸を開けると大声で怒鳴った。
「いやだから、緊急集合なんだって。タケダの旦那がアルカトの住人を大広場に至急集めるようにって」
「タケダ様が……?」
あたしは顔をしかめた。
あたし達がここに来てからこれまで、アルカトの住人を全員集めたなんてことは一度もない。
それに緊急ともいった。
嫌な予感しかしなかったが、ここに住まう以上、行かないわけにはいかなかった。
「わかった。すぐに着替えるからちょっと待ってな」
緊急とはいえ寝巻きで行くわけにもいかず、あたしは服を着替えに家の奥へと戻った。
あたし達が大広場に着くと、そこにはもう二百人か三百人ほどの住人が集まり、それぞれ緊急集合について話し合っていた。
とはいえ、アルカトの住人は六百人を超えるというので、まだまだ全員には足りない。
夜であるため、周囲には火が焚かれ、一番前には台が置かれている。
「なあ、なんだと思う?」
アルダルが何を勘違いしたのか、うきうきワクワクといった様子で話しかけてくる。
「さあ? でもきっとろくな話じゃないだろうね」
「……え? ……そうなの?」
物凄い愕然とした様子のアルダル。
一体何を期待してたんだこの馬鹿は。
「ま、すぐわかるさ」
あたしは静かにタケダ様が来るのを待った。
アルダルは周囲に聞き耳を立てて、落ち着かない風であったが。
やがて人も集まると、タケダ様とおぼしき人が町長と共に現れる。
あたしは仮面の姿しか知らず、思ったよりも若々しいタケダ様の素顔に少し驚いた。
しかしそれよりも、仮面をしていないことに疑念が湧く。
「おいおい、あんなに若いのかタケダの旦那は。まだ子ど――」
失礼な言葉を吐きそうになるアルダルを、とりあえず拳骨で黙らせる。
「ってえ、なにすんだよ〜」
「あんたが無礼を働く前に止めてやったんだ、感謝してほしいぐらいだね」
「無礼?」
頭に疑問符を浮かべるように、間抜け面を晒すアルダル。
「もういいから黙っときな、タケダ様が来てるんだから」
「あ、ああ」
そしてタケダ様が台の上に立つと、他の騒いでいた奴らもサッと静かになる。
「タケダ商会のタケオ・タケダだ!」
その声はやはり仮面の男のものだった。
「今日は夜分にすまない!
だが、アルカト始まって以来の危機なのだ! どうか許してほしい!」
アルカトの危機。
その言葉にザワリとどよめく住民達。
「それは王様がここに来ていることと関係あるんですかい!」
離れた場所から声が上がった。
王が来ている……? 何故?
「関係あるともいえるし関係ないともいえる! 王陛下がここにいらっしゃらなくても、危機はやってくるのだ!」
謎かけのようなタケダ様の返答であった。
皆がざわめく中、タケダ様が続けて言う。
「戦争だ! 今、コエンザ王国はウジワール教国に攻め込まれているのだ!」
――戦争。
その言葉を聞いて、誰もが言葉をなくした。
つい先程まであんなに騒いでいたのに
やがて、誰かが言う。
「お、俺達を戦わせるつもりですか!」
これに住人達は再び力を得たようにざわめき出した。
「静まれ! 順序だてて説明する! まず何故戦争が始まったのか――」
そこからタケダ様が話された内容は、絶句を通り越して、肝が潰れ心臓が止まるかもしれないような内容だった。
ウジワール教国による戦争。
人間以外の種族は奴隷の首輪をつけられて、その意思まで奪われるということ。
既に、あの巨大なベルスニア皇国は敗れ、さらにコエンザの王都まで占領されてしまったということ。
ウジワール教国は大陸制覇を目的としており、逃げ場はないということ。
「そんな……嘘だろ?」
アルダルは隣で震えていた。
「――今も占領地では、ウジワールにより亜人に対し徴発が行われている!」
恐慌。
そこにいる者全てが突然の事態に、恐怖し狼狽していた。
「お、俺を部族の下に返してくれ! 危険を、危険を知らせなくちゃならねえ!」
叫んだのはアルダルだ。
あたしはそれを拳骨で止めようとは思わなかった。
「無論、そのつもりだ!」
「ほ、ほんとか!?」
まさか認められるとは、そう思い部族を持つ者達は色めきだつ。
「だが、部族に危機を知らせどこに逃げるつもりだ! 他国を荒らせば行く末は奴隷か死!
うまく住み着いたとしても、やがて来るウジワールからも逃れられるのか!」
「ぐっ、く……」
そう亜人の集団など人間からしてみれば、厄介者でしかない。
部族ごと他国に行けば、その土地の領主に捕らえられて奴隷にされるか、殺されるかだ。
「だからだ! ここに己の部族を連れてきてくれ!
我々は王の旗の下、この地で反攻する!
共に戦おう!
ウジワールに勝利し、自由を勝ち取るのだ!」
そういうことか、とあたしは思った。
タケダ様はあたし達にウジワールと戦ってくれと頼んでいるのだ。
だから、仮面も外している。
あたし達に誠実な姿で願いを伝えるために。
「もし、勝ったら部族の奴等もここに住まわしてもらえるのか!」
隣のアルダルがそう質問すると、他の何人かの者達はゴクリと固唾を飲んだ。
ここはまさに天国といっていいだろう。
仕事も酒も何もかもがある。
人間以上の暮らしができるのだ。
部族の者も住まわせてやりたいと思うのは当然のことであった。
そして、タケダ様はその質問を待っていたとばかりに、笑った。
「住まわすどころじゃない!
この戦いに勝てば、お前達は今後、人間と同じ立場が得られるぞ!」
その言葉を、あたしを含め誰もが理解できなかった
するとタケダ様が一枚の紙を天に掲げる。
「ここに王の署名と印が捺された文書がある!
ここには、お前達がコエンザ軍と協力しウジワールに勝った暁には、亜人を人間の友とし、人間と同様の権利を約束する旨が書かれている!
詳しくは今から回すので見てくれ!」
一枚の紙を皆で回すのか、と思ったが町長が紙の束を持っていて、それを回すようだ。
「それらは全て王陛下がお書きになったものだ!
今、現在も同じ文書を何枚も何枚も作っていらっしゃる!
決して無かったことにできないように! お前達を安心させるために!」
一枚の紙に何十人も群がった。
月明かりだけでは見えぬ者の、火の側へ行けとしきりに訴える声がそこかしこで上がる。
やがて一つの声がした。
「マジだ……」
それを皮切りに、声がドンドンと増え、大きくなる。
「本当に書いてあるぞ!」
「自由が、自由が手に入るんだ!」
「これで部族の者もみんな苦しい生活から抜け出せるぞ!」
歓喜の声。
まるでお祭りのように皆が騒いでいた。
「えっと……こえんざに、す、すまう、も、もの……」
アルダルが勉強中の読語を駆使して、なんとか書いてある文字を読もうとする。
かくいうあたしも、文字には弱い。
アルダルに負けじと勉強を始めたばかりであるが、アルダルには婚約者の手紙を読むという目標があるためか、あたしは今一歩後れをとっているのが現状だ。
そこに、「読んでやるよ」と現れたのは獅子頭の凶悪な顔をした警備隊長である。
「コエンザ王国に住まう者、皆等しく国民の権利を有するものなり。
これは、人間、エルフ、亜人、その他あらゆる種族に共通するものなり。
またこれらを異なって扱った者には、余の名をもって罰するものなり。
コエンザ王国が――」
淀みなくスラスラと読んでいく警備隊長、顔に似合わず博学である。
「それが本物であり事実であることは私が命を懸けて保証しよう!」
「私も命を懸けて保証します!」
タケダ様と町長。
住民はタケダ様を信頼しているが、亜人である町長にはまた別の信頼がある。
その二人が命を懸けるとまでいったのだ。
今、目にしているものは本物であり事実であるに違いなかった。
「それで、どうする! 戦うか! それとも逃げるか!」
「俺は戦うぞ!」
「俺もだ!」
「私だって!」
皆が酔っていた。特に感情的になりやすい若い者はそれが顕著である。
そしてあたし自身、元は剣を生業にしていた探索者。
権利云々はともかくも、心の奥底でなにか沸々と沸き上がるものを感じていた。
しかし同時に、心のどこかで危険であるとも感じていた。
探索者の習性である危機察知、それがズキリズキリと疼くのだ。
「そうか! 部族を連れてきてくれる者は、その紙を持って今すぐに出立してほしい!
ウジワールはすぐそこに迫っている!
時間はない! 負ければ何もかもが奪われるのだ!」
かくして、アルダルを含めた何十人もの亜人達は、己の部族の下へと旅立っていく。